第3話 虚ろの祭壇

 階段の先にあった扉の向こうには中央に祭壇がある大きな部屋が存在していた。

 百畳はあろうかと思える程の広さだ。入り口には『弥勒殿』と書かれていた。


(天井が高いな……)


 天井には体育館を思わせる明るいオレンジ色の照明が点いていて室内を照らしている。


(あれ?)


 白石は降りた階段の長さに比較して、不釣り合いな天井の高さに違和感を覚えた。


(こんな地下まで降りたっけ?)


 何だか辻褄が合わないような空間に戸惑っていると、闇バイトの参加者たちが祭壇の周りに集まっていった。

 綿田が怒ったような目つきで白石を睨んでいるのが分かった。

 彼はもたつく相手が嫌いなのだろう。せっかちなのだ。


「これがそうか……」

 

 祭壇には般若の面が六芒星の形で一つずつ置いてあった。そして、般若面の口の部分に愚器があった。

 愚器は教えられた通りの白くて丸い餅みたいな物だった。


「ふん」


 最初に隅器を手にしたのは綿田だ。呪い云々を言われていたが気にしないようだ。

 隅器を手にして光にかざしたりしたが何も変化は無い。


「なんだ楽勝じゃねぇかよ……」


 その一言で安堵したのか、各自が手にした図の指示通りにあった隅器を手にした。


「中に何か黒いシミみたいな物があるね」

「こっちには無い……」

「向こう側が辛うじて見えるな」

「ガラスじゃないし水晶にも見えないな……」

「中華製のアクリルじゃね?」

「一気に安物感が出るからヤメて差し上げろ」


 各々が手にした隅器を天井にかざしたり、重さを計るように手のひらに載せたりしている。

 だが、山引だけは怯えて中々手にしなかった。ジッと隅器を睨みつけているのだ。


「おい……早くしろよ」


 綿田が山引に催促した。彼はグズグズとした人間が嫌なのだ。

 周りの人も、その事に気がついているらしく少しハラハラしていた。


「い、いきなり口を閉じたらどうするんですかあ……」


山引が泣きそうな顔をしている。


「え?」

「は?」

「あ?」


 彼は噛まれる心配をしていたのだ。これには参加者たちは呆れてしまっていた。

 どう見ても作り物のちょっと古めの般若面だからだ。


「だって呪いが掛かるって言ってましたよね?」


 彼は植田が言っていた話を真に受けてしまったのだ。


「ああ……」

「そんな事を言ってたね」

「つうか、信じるやつがいるんだ」


 参加者たちも思い出したようだ。だが、都市伝説の類で眉唾ものの話だと思っていたのであった。


「だったら他の奴らは呪いに掛かっているだろうが!」


 綿田はイライラを隠せないでいた。山引以外は手に隅器を持っているのだ。それを目にしているにもかかわらず、この言い草である。

 彼としてはいつまでも意味不明な事に関わっていたくなかったのであろう。

 さっさと隅器を渡して報酬を受け取りたかったのだ。


「こんなもん、ハッタリに決まってんだろ」


 そう言って綿田は般若の頭を叩いた。指先で軽く弾くような感じでだ。


「ほらよ」


 それから山引の持ち分の隅器を摘んで彼に放り投げた。


「え?」


 予想外の行動に参加者たちは目を見開いた。

 矢引は両手でそれを受け取った。何とも情けない顔をしている。


「!」


 白石には般若の眼が一瞬だけ光った気がした。

 すると、弥勒殿全体がズドンと揺れ、足元からはズズズと重低音が響いてきた。


「え?」

「地震?」


 誰もが一斉に天井を見た。証明が少し震えているような気がしていた。

 再び目線を落とした時に祭壇がわずかに揺れ始めたのだ。


「ぐ、偶然だろ」


 綿田が鼻先で笑って背を向けた。出口に向かおうとしていたのだ。

 すると、空洞だった般若の面の口と目から黒い霧が吹き出して来た。

 参加者たちは思わず後ずさりしている。


「だ、だから言ったのに!」


 山引が涙声で叫んでいる。やかましい。

 吹き出てきた黒い霧状の物体は犬の大きさ位になった。


「ぎゃー」

「うああっ」

「逃げろ!」


 それを見ていた参加者たちは口々に叫んで走り出そうとした。

 すると、綿田は自分で自分の足に引っかかって転んでしまった。慌ていたので足がもつれたのだ。

 黒い霧は口と思われる部分を大きく開き、綿田の下半身を一口で包み込んでしまった。


がきんっ!


 鈍い音が室内に響き渡る。


「ぐあっ!」


 綿田は下半身を噛り取られてしまったのだ。

 べしゃっと鈍い音を出して上半身は地面に落ちる。


「ぐぅ……ぐぅ……」


 上半身のみになった綿田は両手を使って這うよう進んだ。裂けた腹から臓物がズルズルと引きずり出されていく。


「ぐふっ」


 一メートル程度進んだが動かなくなった。目は見開いたままだ。



 綿田は走馬灯のように思い出した。


 あの日は仕事の納品時間が迫っていた。ところが、前の車がノロノロ走るので、時間が切迫しえしまいかなり焦っていた。

 ノロノロと言っても法定速度は守っている。綿田がイライラを見ず知らずの車にぶつけているだけだ。


(早くしやがれノロマ野郎!)


 頭に来たので煽ってやった。すぐ後ろで車体を左右に揺らしたりパッシングしたりした。

 そして、直線道路になったので対向車線に出て追い越そうとアクセルを思いっきり踏んだ。

 前の車の前にトラックが居るのでまとめて追い越そうと目論んだのだ。


(あっ!危ない!!)


 ところが、不意に前の車の運転手は急にブレーキを踏んできた。前の車の後部が急速に目の前に迫ってくる。

 綿田の車は車間距離を取ってなかったせいで、自車のブレーキ制動が間に合わずぶつけてしまった。

 そして、前の車を巻き込んだまま前方のトラックにもぶつかった。つまり、前の車は綿田の車とトラックに挟まれしまったのだ。


(ちっ、忙しいの面倒な事を……)


 この時に綿田が考えたのは、他の車への心配では無く納期に掛かる時間であった。

 事故処理には膨大な時間が掛かる。そして、事故を起こした当事者は事故に現場検証に立ち会わないといけない。

 納期時間厳守は絶望的になっていた。

 だが、面倒な事は事故だけでは無かった。


(え、煙?)


 相手の車はEV車だったせいか、車の底から白い煙が出たかと思うと発火してしまった。

 動力源であるリチウムイオン電池は、ぶつけ所が悪いと発火してしまうのだ。

 特に某国製の粗悪EV車だとこうなってしまう。走る爆弾と揶揄される所以である。

 しかも、燃え尽きるまで消火する手立てが無いのも問題だ。酸素を遮断しても内蔵して有る電池の化学反応なので無意味だし、水を掛けても延焼を防ぐ程度の意味しかない。非常に厄介な車両火災になるのだ。


(ああ……)


 結局、運転手は助からなかった。EV車の場合には電池が座席の下に設置されている事が多い。運転手はシートベルトを外そうとモタモタしている内に高温の炎で焼かれてしまった。


(あれは助けようが無いな……)


 すぐ後ろに居た綿田からは、運転手があっという間に炎に飲み込まれていくのが見えていた。

 その炎の中で人の影が、間際を求めて動いていたが手の施しようが無かった。


(……)


 結局、車は骨組み位しか残らなかった。運転手も残ったのは足首から先と骨だけであった。

 なのに、ドライブレコーダーの一部が焼け残り、中のデータだけは復元出来てしまった。

 中の映像を見た警察に過失運転致死で捕まってしまった。


(急ブレーキを踏んだ奴が悪いだろうに……)


 勿論、当日は納品は間に合わなかったので、取引先からは仕事を切られてしまった。

 不況の中で踏ん張っていた仕事はどうにもならなくなり倒産。

 警察に勾留されている間に資金繰りが行き詰まってしまったからだ。


(なんなんだよ…………)


 失業してしまった。相手の車への賠償金払いで家は差し押さえられてしまった。それでも足りずに膨大な借金も残っている。

 そして、失業者になった綿田に見切りをつけた妻子は出て行った。


(ノロノロ走っていた運転手が悪いのに、全部俺のせいにされている……)


 綿田は本気で考えていた。安全運転していれば良かっただけなのにだ。逆恨みである。

 亡くなった運転手への懺悔は無かった。何故なら綿田は自分は悪くないと考えているからであった。


(ああ、俺の人生って付いてねぇなあ……)


 急速に薄れてなくなっていく意識の中で、綿田が最後に考えていた事は自分の人生であった。

 決して死なせてしまった相手の運転手への謝罪では無かったのだ。



「………………」


 全員、いきなりの事態に棒立ち状態で綿田が絶命するのを見ていた。

 どうすればいいのか分からなかったが正しいのかもしれない。下半身がちぎれた人間を助ける方法など誰も知らないからだ。

 しかし、直ぐに正気に戻った。それは黒い霧が再びもぞりと動いたからだ。


「うえぇ?」

「ひ、ひぃぃぃぃ!」

「うああああっ」

「きゃあー」

「!」

「助けてぇーー」


 だった参加者たちは、慌てて地下室から逃げ出そうと走り出した。


(なんなの……アレ…………)


 入り口で振り返った白石は、綿田の残りの部分が黒い霧に飲み込まれて行くのが見えていた。

 そして、最後には黒い霧が無数の蝶に変化して霧散したのであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る