最初の事件

「おわっ」

 奇妙な声を上げて、中年男はぶざまに転んだ。右手からハンドバッグが勢いよく飛び出してアスファルトに投げ出される。這ったまま逃れようとする中年男を、ふたりの若い男が追う。どちらも高校生くらいだろうか。サングラスをかけた若い男が左手を、えらく背の高い若い男が背中を、それぞれ踏みつける。ぐえっ、とヒキガエルのようにうめいて、中年男は身動きできなくなった。

 3人目の若い男は、少々目つきが悪いようだ。転がったハンドバッグを拾い、こぼれたものはないかと周囲を見回している。


「おけがはありませんか」

 4人目の若い男はにこやかに、老婦人に話しかける。はねる髪を後頭部でまとめ、顔立ちの整ったなかなかの好青年だ。4人目といっても、若い男たちの中で最初に行動したのは彼だった。ひったくりに遭い、悲鳴を上げた老婦人に駆けつけるが早いか、彼は地面すれすれに何かを投じた。それはふたつ連なった銀色のリングで、ひったくり犯はもののみごとに、片足ずつリングの中にとられてすっ転んだというわけだったのだ。

「いやぁ、とんでもない男だ。あなたのような素敵な女性から物をかすめとろうなんて。男の風上、いや風下にも置いちゃいけないなぁ……はいよ」

 街を行く通行人たちがあっけにとられそうな、ナンパ寸前のセリフだが、老婦人は思わず知らず顔を赤らめていた。若者の方は照れた様子も見せず、仲間に向かって無造作に、束ねたロープを放る。ひったくり犯をおさえつけたふたりの若者は、手際よくロープを巻き付け、中年男を電柱に縛りつけて逃げられなくしてやった。

「全部拾えたと思いますが……確かめてみてください」

 ハンドバッグを拾った若者は、自分のスマホを耳から離しながら、老婦人に歩み寄ってきた。幸い、取りこぼしはなさそうだった。老婦人の返事を確認すると、陽気でナンパな好青年は、集まってくる仲間たちをちらっと見ると、こう言った。


「じゃ、もう警察には連絡してありますので、オレたちはこれで」

「えっ……あの、お名前を」

 驚いて老婦人は、4人を呼び止めようとした。きちんとお礼もしていないのに。せめて連絡先を聞いておかなくては、後々困ることになる。だが彼は気を変えるつもりはなさそうだった。

「いえいえ、オレたち、名乗るほどの者じゃないですよ。まだまだ修行中の手品師のタマゴでして――」

「おい急ごう、限定20食、なくなっちまう」

 サングラスの男が(高校生だと思うのだが、なぜサングラスなぞかけているのだろう)、軽く眉をしかめて呼ばわる。やたらと背の高い大男も「同感だ」と、太く低い声を出した。

「それじゃ、失礼します。帰り道、お気をつけて」

「あ、あのう……」

 老婦人がとまどう間に、4人の男たちは雑踏の向こうへ走り去ってしまった。若く明るい躍動感に満ち溢れた動きで。入れ違いに向こうの角から、制服姿の警察官がふたり、こちらへ走ってくるのが目に映った。



「よかったのかよ、警察が来る前に離れちまって」

 一馬かずまは、後方をちらっと振り返りながら、抗議した。

「あんなモンにつき合ってたら、限定20食大盛り丼セットメニューは売り切れるぞ」

「うむ」

 大食いの黒川くろかわ江平えびらは、取り合う様子もない。ただ食欲がすべてに優先しているらしかった。

「いいじゃないの。真にカッコイイ男ってのは、婦女子を助けて、名乗ることなく立ち去るものよ」

 ひったくり犯から取り返したリングをもてあそびながら、麗人れいとはくすりと笑った。ふたつつながっていたはずのリングは、あっという間に外れていた。彼はそれを、しまう場所があるとは思えないベストの内側に無造作に入れる。

「おい、嘘だろ、もうあんなに並んでる」

「げげッ」

「……13、14、……まだ間に合うぞ!」

 4人の若い男は、アーケードの中を、それぞれに全力疾走して、目指す店に急いだのだった。



 これは、あの4人の高校生たちが、知り合ってから初めて一緒に出かけた休日の出来事。彼らが力を合わせて解決した、最初の事件の話である。



 ※※※


本エピソードは、カクヨムコン9の期間中に開催された、「カクヨムWeb小説短編賞2023 創作フェス」に参加するために執筆した短編に、加筆修正を行ったものです。第1回目のお題は「スタート」でした。

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