紅葉狩り ※残酷描写注意
山の斜面に密着するアスファルト道路は、高速道路の影響で
1台のバイクが、2つの影を乗せて小気味よく疾駆している。目撃者がいれば、どちらも若い男性と見てとれたであろう。身長の数倍の高さでアーチを形成する木々の間を抜けると、景色は一変した。道の片側が崖となって、視界がひらけたのだ。ガードレールの向こうは大きく落ち込み、多数の耕作地と、少数の人家と、細い幾筋かの道によって埋められていた。低地のさらに対面は別の山地が幾重にも盛り上がり、高速道路を忙しく行き来する車がどうにか視認できる。そして。
山地は見渡す限り、秋の装いを競い合っていた。青というより群青色の空の下で、赤、黄、深緑がそれぞれグループを作って無秩序に入り乱れ、陣取り合戦といった風情だ。バイク後部の男が口笛を吹いた。
減速する。崖へ大きく張り出した駐車スペースへ、バイクは進入する。ここも貸切だ。後部から跳ねるように降りた男は、赤いヘルメットをむしり取って叫んだ。
「いや、絶景……!」
くせのある茶色の髪を無造作にふるう。丸く人懐こく、いたずらっぽい双眸があらわになった。眉目整った精彩あふれる顔立ちで、肩よりやや長い髪を後頭部で束ねている。177センチと、とびぬけた長身ではないもののやせていて、古典的ながら、すらり、という表現がしっくりする体つきだ。上半身は赤、下半身は黒というライダースタイルがとてもよく似合う。派手な色合いの着こなしが違和感を生じさせない顔なのだ。姓名を
エンジンが完全に停止した。運転者はバイクを自立させて手を離し、ようやく黒いヘルメットを脱いだ。造形の線は細いが表情に険がありすぎる、といった顔が現れる。もっとも、眉間のしわと鋭い目つきは必ずしも不機嫌を意味するものではないのだが。氏名は
「はーるかちゃん」
「おう」
自動販売機の前で麗人が投じた缶コーヒーは、ゆるやかに放物線を描いて黒川の手におさまった。ペットボトルのキャップがねじ切られる音と、プルタブが缶を押し破る響きが重なって続き、こつんと鈍くぶつかり合うと、まずは喉をうるおすほんのしばらくの間、静寂がおりた。
「しかし、すごいなあ」
「ああ」
ふたりの高校生は肩を並べて、錦を広げたような絵巻に見入った。本当に素晴らしいものに触れたとき、単純な感想しか言葉にできないものかもしれない。それきり会話はしばし途絶えた。遠い高速道路を多くの車が走行しているが、ここまで物音は届かない。風もなく、耳が痛くなるほど静かだ。
麗人が、紅茶のボトルを手にしたまま歩き出した。ガードレールに片手をのせ、崖下をのぞきこむ。高い所に来ると下をのぞこうとするのは麗人の癖だ。「あのとき」とどちらが高いのか、無意識に比較しているんじゃないかと、黒川は内心で分析している。
どこかで鳥がひと声鳴いて、飛び立った。
黒川はコーヒーを一口飲んだ。
「それで――」
麗人が呼びかけに気づいて体を起こし、振り返った。
「――紅葉スポットの道連れにおれを選んだ理由はなんだ? 女とデートしなくてよかったのか?」
黒川は唇の端をつり上げてたずねた。バイクを出すかわりに、飲食は麗人が負担するという条件で、運転手をつとめてきたのである。軟派なマジシャン志望の若者にはしかし、皮肉は通じない。麗人は悪びれもせずに答えた。
「ああ、今日のデートの予定で、女の子が揉めちゃってさ。ほら、マサミちゃんとアキちゃん」
「名前なんぞ知らんわ」
「ちょっと収拾つかなくなっちゃってね。公平を期すために今日はデートしないことにしたの。ついでにオレも行方くらました方がなお公平かなってさ。で」
「色男もおつらいことで」
「ほんと困っちゃうよ」
「…………」
どうにもコイツの恋愛観だけはわからん、と黒川は、群青の空の彼方へ
「だから今日は、女の子の話はナシね。純粋に景色を満喫しましょうや、純粋に」
「スタート地点が限りなく不純だがな。要するに、タコ足配線の管理に失敗したってとこなんだろう」
「あら、心が痛む表現」
「真実ってのは残酷なもんだ」
ふたりは歪んだ笑顔を見せあい、どちらからともなく視線を外した。
「それにしても山々の女神さま、今年はまた一層
「女の話はしないんじゃなかったのか」
「やだなあ、この景色の比喩じゃないの」
「嫌がらせを言ったに決まってんだろ」
「嫌がらせをいちいち解説するなよ」
不毛なやりとりに事欠かないふたりである。
……麗人は知らず知らず、また視線を下へ向ける。大きく落ちる崖はずっと下の方で木々に遮られ、底の様子をうかがい知ることはできない。
どっちが深いかな。
崖をのぞくと、思い返される光景がある。麗人が3歳の頃だ。夜。斜めに傾いた空間。車内灯の頼りない光。フロントガラスを突き破り、父の姿は下半身しか見えず、しかも奇妙に歪んでいる。視界を斜めに横切る母の腕。なぜか動かせない自分の体。痛いのかどうかわからない。どのくらいそうしていたのかわからない。いつしか、人の声がざわざわと遠くから聞こえてきて、呼びかけられているような気がしたけど、応じたのかどうか覚えていなくて、早い間隔で明滅する赤い光がちらちらと差すようになって……。
それは本当に3歳児の記憶なのか。それとも、後になって人から聞いた話を脳内で映像化し、記憶と思い込んでいるだけなのか。
母さんは、オレをかばったんじゃないだろうか。いつからか、麗人はそんな可能性に思いをめぐらすようになった。みんな一緒に旅立とうと決めながらも、やっぱりとっさに、母さんはオレを守ろうとしたんじゃないだろうか。ほとんど本能的に。ひょっとして母さんは、最後の最後に父さんを裏切ってしまったような気がして、それで……心の方は、父さんと……。
もちろん、確証はない。麗人の頭をかばった母の腕というのも、麗人の想像の産物にすぎないかもしれない。もう確かめられないのだ。
だけど。
「おい」
ぐい、と肩をつかんで引っ張られた。黒川がこちらをのぞき込んでいる。どうしたわけか、急にサングラスをかけた顔で。
「ああ――」
「酔ったか」
「いや」
いつの間にか忘れていた笑みを浮かべ直し、麗人は数歩後ずさった。崖から離れるように。それで黒川がほっとしてくれるのなら。紅茶を口に含んで、遠い極彩色の風景に改めて見入る。とってつけたような身振りになってしまったが。黒川は麗人と並ぶように立ち、サングラスをずらして、秋の景色を堪能し始めた。さっきの5秒間が存在しなかったかのように。
ただぼんやりと、ふたりは喉を湿らせながら、立ち尽くした。目は遠いパノラマに注がれたまま、意識はしばしば遊離して。
――ああそうか。こいつが相手だと、余計な虚勢を張らなくてすむんだ。
だから一緒にいても疲れないんだな。
景色にかこつけて、あるいはまったく関係のない冗談を言い交して、ライダースタイルの高校生たちは屈託のない笑いをこぼした。
やがて、ペットボトルと空き缶とは、ゴミ箱に居を定める。両手が空いて、高校生たちはそれぞれスマホを取り出し、撮影し始めた。風景だけ、自撮り、ふたり並んで。
「なんで男ふたりで並んで撮らなきゃなんねえんだよ」
「しょーがないじゃん、オレだってヤだよ」
「じゃあなんで撮ってんだよ」
「ほかにいないんだもーん。……もーちょっと寄ってよ、はみ出すじゃん」
「嫌だ」
それなりに気が済むと、撮影は終了し、ふたりはもうしばらく、深まりゆく秋を記憶と網膜に焼き付けた。
「さーて、帰りますか」
「昼メシは高級レストランと行くか」
「あぁ、そんな殺生な」
やがてバイクは目覚め、ふたりの高校生を乗せて再びアスファルトを駆け出した。その咆哮が遠く消え去ると、駐車スペースには乾いた静寂がそっと根を下ろした。
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