ささやかな絶望へ

 電車に乗るとふと絶望的な気分になる。


 今もそう。電車の中で一人、暗い気分に沈み込んでしまう。

 夜に一人でシャワーを浴びたり、風呂に入ったりしたときに、不意に愚痴が飛び出してくる感覚に似ている。人の悪いことをだらだらと羅列しては、自分の正当性を言い聞かせるように、ぐるぐると曖昧な思考が脳内を駆け巡る。


 そして浴室から出た時には、考えていたことを全部「バカみたい」と一言で無いものにしてしまう。だから、風呂上がりはほんのちょっとだけ悲しくなる。でも、それは実際バカみたいなものだと思う。


 私にはよく場所の変化で感情が湧き上がる瞬間がある。

 電車や浴室、トイレの個室だってそう。何もない頭の中に不安のようなものが沈んでくる。死にたいとか辛いとか、そんな直接的な言葉じゃ表せないような曖昧な心情。

 ほんのりと胸の奥で燻っているような暗い感情。


 別に何かあった訳じゃない。ただ電車に乗っただけ。でも、やっぱり電車の中って何かあると思う。浴室みたいに。二人掛けの席に、一人でぽつんと座って。


 電車が動き出すまで、私はその席で身じろぎすることしかできないような変な拘束感を覚える。空いたままの扉から流れ込んでくる冷気に、静かに肩を震わせることしかできない。


 孤独に近い何か。

 扉が閉まるとほっとするようで、もう戻れないとも思う。でも、電車が動き出すと、ささやかな絶望は何処かへ消えて、孤独も知らない間にいなくなっている。

私は大抵窓から外を見ていた。


 カタンカタンと音を立てて流れていく景色。


 時折、小川を見て、漠然とこういうの良いなと思ったり、グランドゴルフをしているおじさん達を見て楽しそうだなと思ったりしている。

 そういう時は、あんまり絶望的な気分にはならない。絶望的になるのは、やっぱり決まって電車に乗った時だけ。そこから、出発するまでずっと絶望的な感情が胸の奥に居座っているのだ。


 こうして出発して動いている内は、そういう感情は湧いてこない。目的地に着いた時は、大抵の場合、気だるげな安心感に包まれる。


 これは何だか、寝る前と起きた後に似ている。

 電気を消して布団に入った時、びっくりするぐらい明日への不安が湧いてくる。どれもくだらない、杞憂に終わることばかりなのに、どうしても考えずにはいられない謎の恐怖に襲われる。

 けれど、朝になればそんな恐怖はどこかへ行ってしまって、真っ白の頭の中には今日の始まりという気だるげな憂鬱さが入ってくる。


 電車に乗るのはそれに似ている。

 あの絶望感は、移動する事への漠然とした恐怖かもしれない。今いる所からの別れと、この先どうなって行くのかという不確かな恐怖。布団に入っている時ほど鮮明に思いはしないけれど、それらしいものを無意識に感じているのかもしれない。


 ちょっとだけ私が電車に乗ると絶望的になってしまうのかわかった気がした。

 けれど、また電車に乗ったら絶望的な気分になるんだろうなと思えてくる。

 そんなふうに思うと何故か、次はいつ電車に乗るんだろうなんて思って、少しワクワクしてしまう。


 そんな自分が少し変で、微笑ましくて、私は少し私を好きになる。

 でもやっぱり絶望的に寂しくて、目的地にすむ友人に『久しぶり。今からそっちの方に遊びに行くんだけど、ご飯とかどう?』なんて聞いてしまうのだ。

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