【20.ふたりの関係】

 関東某県の県境付近にある平坂山。

 標高は1000メートルに僅かに満たない程度だが、鬱蒼とした山林で覆われているうえに霧がかかることが多く、さらにまともな道も(例外の1本を除いて)通っていないため、訪れる人はほとんどいない。

 その平坂山の山頂付近に築かれた屋敷──明徒館に、五月半ばのある日、珍しく3人の“来客”があった。


 「本日はお招きいただき、ありがとうございます」

 「「ありがとうございまーす!」」


 屋敷の居間でキララの養父たる“小野秦広”に3人の少女──朝倉姉妹と塩崎香津実が挨拶をしている。

 普段からお嬢様らしい言動を心掛けている恵恋はもちろん、花梨も香津実も生粋の聖女っ子だ。友達の親御さんに挨拶する時くらい、礼儀正しく振る舞うのは訳無い。


 「ようこそ我が家へ。楽にしてくれたまえ。こんな辺鄙なところにある家をわざわざ訪ねてくれて、娘も喜んでいるよ」


 仕事着の黒づくめのスリーピースではなく、やや色合いの明るいグレーのジャケット姿で少女たちを出迎える秦広も、口調の硬さはともかく、心なしか雰囲気が和かい。


 「3人とも、ありがとう。お父さまが言う通り、ウチって辺鄙な場所にあるから、お客様をお迎えすることって滅多にないんですよ」


 紅茶の入ったティーポットと人数分のカップ、そしてお手製のクッキーを盛った皿をサービングカートに載せて、キララが現れた。


 今日は友人達の手前、メイド服こそ着ていないが、テーブルにそれらを並べる手つきは堂に入ったものだ。

 昨年の文化祭の模擬店の指導でわかっていたことではあるが、それでも見事な所作に、3人はしばし見惚れる。


 「あ、このクッキー美味しい! もしかして、キララの手作り?」

 「ええ、本当に。紅茶のお味も、朝倉家ウチ鷺澤メイドさんが淹れたものと遜色ありませんわ」


 口にした朝倉姉妹に絶賛されて、“父”の前だからか、キララが珍しく照れた表情かおを見せる。


 そのまましばし居間で歓談している際中に、ふと香津実が疑問を漏らした。


 「それにしても、こんな広いお屋敷なのに、専任の家政婦さんとか使用人の方はいないの……ですか?」


 友人だけでなく秦広そのちちもいることを思い出してか、やや微妙な語尾になっている。


 「いやいや、もちろんいるとも」

 「メイドのヴィオレッタさんは、今日は日曜だからお休みなんです。伊野樹さんは主に運転手と庭の手入れをされてますし、もうひとり、力仕事担当の方もいらっしゃいますよ」


 父と娘がにこやかに笑って否定する。このあたりは、3人を館に招くにあたって予め考えておいたカバーストーリーなので問題ない。


 ちなみに、恵恋たちへの招待は、年末年始にキララが朝倉邸でお世話になったことへの返礼のようなものだ。

 折角なので、この春から仲良くなった香津実と真弥も一緒に招いたのだが……。


 「それにしても、真弥が来れなかったのは残念だったわね」

 「ご家族でのお出かけの御用があるというのですもの。仕方ありませんわ」

 「ニヒヒ、週明け、学校で「おもしろかったよ~」って自慢しちゃおっと」


 場所をキララの私室に移して、4人の少女たちはそんな風に雑談を続けていた。

 なお、通学を機に、キララの部屋は、以前の小部屋からもう少し広めの部屋(と言っても、4畳半程度だが)に移っている。

 この狭さでも、家具の類いがあまりないため、女の子4人がテーブルを囲んで座るくらいは問題なくできている。


 「おもしろい、ですか? 最新の家電も大層な設備もない、むしろおもしろみに欠ける屋敷だと思うのですけれど」


 ひとととおり屋敷を案内したキララは首を傾げているが、他の3人からすれば、この明徒館は、今時フィクションの類いでしか見かけないアンティークハウスの具現だ。

 広さや豪華さで圧勝している朝倉邸も、時を重ねたことによる風格と重みだけは此処に敵わないだろう。


 その後、しばしの雑談やゲーム、そして三時のお茶(腕によりをかけたキララのお手製シフォンケーキ付き)を経て、恵恋たちは満足して帰って(伊野樹がクルマで送って)行った。


 「──今日は、色々ご迷惑おかけして、申し訳ありません」


 3人が帰ったのち、キララは父であり主である秦広の仕事部屋まで足を運び、丁寧に頭を下げていた。


 「いや、謝るようなことではないさ。前々から言っている通り、キミが在学中は“主人”というより“父”だと思って頼ってほしいからな。

 年頃の娘を持つ父親なら、娘の友人たちが家に来たら、あれくらいの愛想は振り撒くものだろう?」

 「そう、かもしれません──はい、ありがとうございます、お父さま」


 “父”の言葉で、ほんの少しだけ申し訳なさそうだったキララの顔から憂いが消える。


 その後は何事もなく、「いつも通りの日曜」がふたりの間で営まれたのだが、ベッドに入る頃に、キララはふと、昼間、香津実に言われた言葉を思い出していた。


 「それにしても、キララの養父おとうさんって若いのね。まだ30歳前じゃない。

 独身みたいだけど、キララは“そういう”方向の感情きもちは抱いてないの?」


 年頃の女の子らしく色恋沙汰に偏った、ある意味下世話な話題だが、キララとしては虚をつかれた思いだった。


 自分は元は男なのだからと笑い飛ばしたい反面、今の自分キララに男性時代のメンタルがどれだけ残っているかと問われたら、首を傾げざるを得ない。

 あの方は(表向きはともかく)“主人あるじ”なのだからという言い訳もできるだろうが、古今、メイドと主の恋愛話なんて五万と存在する。

 男性としての魅力を秦広に認めていないワケではない。むしろ、彼が(昨年、文化祭の時)学校に来てくれた際は、友達に対して誇らしげな気持ちになったものだ。

 “忠誠心”や“感謝”と同じくらい“好意”に類する感情だってある。


 しかし、それらの諸事情をすべて鑑みたうえで、彼女キララ死神悪魔かれに抱く感情の方向性を整理すると……。


 「──止めましょう、これ以上は」


 恥ずかしくなったキララは、誰が見ているわけでもないのに、掛布団を頭の上まで引っ張り上げて、赤くなった顔を隠した。


 (あの方を“本気で父として見て”、“娘として慕っている”なんて、これじゃあ、私がいい歳してファザコンみたいじゃないですか!)


 彼女の心の呟きを先輩メイドが聞いたら「“みたい”じゃなくて、そのものでしょ」と呆れたように肩をすくめたことだろう。

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