ワインとエールと穴掘りと
最初にクリス団長に連れて行かれたのは医務室だった。
昨夜、ゴブリンに襲われた時に大きな怪我がなかったから気にもしていなかったけれど、体のあちこちに引っかき傷が出来ていた。
臀部に二か所、足に数か所、大きな擦り傷が。他にゴブリンの爪にやられたのか、それとも小石なんかでできたものなのかはわからないけれど、小さな
あの時、王国騎士団が来てくれなかったら俺は、どうなっていたことか。
「消毒だけしておこうかね」
分厚い瓶底眼鏡のフレームをくい、と押し上げながらマリー先生が真面目な顔をして言う。
「それでは私はしばらく出ていましょう。治療後は洗濯棟へ案内してもらえると助かります、マリエル先生」
クリス団長の言葉にマリー先生は「わかった」と頷く。
美しい金髪をなびかせて、クリス団長は医務室を出ていった。
パタン、とドアが閉まると同時にマリー先生は満面の笑みを浮かべて俺を見つめてきた。なんか人格かわってないか、この人。クリス団長がいた時の真面目な顔はどうしたんだよ。
「それじゃあ、君。そこに横になって」
は?
「横になって」
消毒だけ、だよな?
「横になる?」
「そう、横になって。あ、服脱いでね」
なんで?
「ほら、早く。この後も診察が詰まってるから、早くして」
大丈夫か、この先生。
疑いの眼差しでマリー先生をちらちら見ながらも俺は言われたとおりに服を脱ぐ。
下着一枚の状態で診察台に寝そべると、ぐい、と体を押されて横臥状態にさせられた。
「もしも本当にゴブリンの爪に引っ掛かれてるのなら、傷が化膿するかもしれないからね」
言いながらマリー先生は俺の下着をずらして臀部をじっと観察している。
消毒は?
ねえ、消毒するんですよね、マリー先生?
「それにしても君、肌が綺麗だね」
すり、とマリー先生の指が臀部を撫でた。
「ひあっ?」
わ、変な声が出たぞ。
「ここ、気持ちいいの?」
女性とかわらないんだな、とかなんとかブツブツ呟きながらマリー先生はさらに俺の臀部を撫で
「んひぃっ」
臀部下、太ももの付け根のあたりからタマタマに近いところを撫でられて、俺は意識して両の太ももにきゅっと力を入れた。強く股を閉じて……ここは処女になったつもりで、貞操を守らねばならない場面ではないだろうか。
「いい反応するねぇ、君。新鮮だ」
嬉しそうなマリー先生の声。俺はちらりと彼女の顔を盗み見た。
悪人のような怖い顔をして、マリー先生は笑っていた。
「いやー、ウィンナー卿も女王の愛人たちも、スレてるから反応が面白くないんだよね」
そんなことを言いながら、マリー先生は指先を俺の尻穴にひっかける。
「ちょっとだけ、調べさせてね」
「嫌です」
「ちょっとだけだから」
ヤバい、犯される。
このままここにいたら俺、お婿にいけなくなっちゃうかも……!
そう思った瞬間、俺は寝台から飛び降りていた。
「診察は以上ですよね、先生。ありがとうございます。用事があるので次、行きますね!」
口早に言い捨てながら俺は衣服をかき集める。とりあえずズボンだけ身に着けると残りは両手に抱えて、転がるように医務室を飛び出していた。
走りながら上衣を身に着け、わけがわからないながらに駆けていく。回廊のようなところをグルグルと周り、庭園のようなところを抜けて……気が付いたら、汗だくで。
それにしてもここ、どこだ?
しんと静まり返った空気の中で、何やら木々の向こうから女たちの声が聞こえてくる。
「あら、ユーチ様。もう案内は終わったのですか?」
木立の向こうからステラが顔を出していた。
「ステラ……」
俺はヘナヘナとその場に座り込んでいた。見知った顔を見て気が緩んだのと、全力疾走したばかりで息が切れて苦しかったのとで力が抜けてしまったようだ。
「大丈夫ですか?」
向こうで休憩しましょうと言われ、俺は何とか力を振り絞って立ち上がる。
暑い。空気が乾燥しているから体感的にはまだマシだが、思った以上に気温は高いかもしれない。
木立の奥では穴掘りが行われていた。
クリス団長が言っていた穴掘りとは、もしかしてこれのことだったのか?
「さ、こちらにお座りになってください」
どこからか椅子を持ってくるとステラは手際よく俺を椅子に座らせる。
「これを」
そう言って手渡されたのは、またしてもエールだ。
水のかわりにエールかワイン、ね。
飲めないことはないけれど、できれば水が飲みたいもんだ。
俺はエールを受け取り、少しだけ口をつけた。やっぱり苦い。
「ワインのほうがよろしいですか?」
気遣いのできるステラに構われるのは、悪くない気がする。
「いや、このままでいいよ」
俺はちびちびとエールを口にしながら目の前の光景を眺めている。
穴掘りというのは、そのまんまのことだった。女たちが肌をあらわにして、穴を掘っている。
縦穴……だよ、な。
「ね、ステラさん。あれって、何やってるんですか」
ああ、とステラさんは苦笑いを浮かべた。
「井戸を掘っているのです」
ああ、やっぱりな……と、俺は思う。
「この洗濯棟の中庭にある井戸が枯れてしまったので、それで……」
この国はもしかしたら、水源が少ないのかもしれない。
溜め水で賄わなければならない日常というのが、ずっと頭に引っかかっていた。
「川から水を引いてくることはできないのですか?」
「川はあるのですが……その……」
言いにくそうに俯いたステラさんの表情は、暗かった。
と、言うことは、だ。何らかの事情があって城内に水を引き込むことができない、ということなんだろうか。
「水、出そうですか?」
「ええ、それが……」
掘っても掘っても赤い水しか出てこないのだとステラさんは言う。
だから、いつになっても穴掘りが終わらないのだそうだ。
「近くで穴掘りしているところを見てもいいですか」
昔、田舎のじーちゃん家に行くと井戸があったのを思い出す。
中庭にある井戸は釣瓶井戸で、桶をおろして水を汲んでいた。もうひとつ、畑にも手押しポンプのついた井戸があった。こちらは畑の水やり用に、じーちゃんと俺とで自作したものだ。
ステラさんに案内してもらい、井戸掘りの現場を見せてもらった。
上半身裸で、キャットが穴を掘っている。朝からやってもほとんど進まないのは、硬い岩盤に行き当たったからだ。
進まなくなってからは、ずっとキャットが掘っているらしい。
「キャット、上がってこい。休憩だ」
声をかけるとキャットはこちらを見上げ、ニイッ、と笑う。疲れているのだろう、視線が虚ろだ。
井戸に下ろした縄を伝って、キャットは上がってきた。
全身泥だらけで息も絶え絶えといった状態で、俺は座っていた椅子を明け渡し、喉を潤すことができるようステラさんに頼んだ。
すぐに並々と注がれたワインがキャットに手渡される。
目の前のオッパイは泥だらけで、だけどそんな状態でもキャットの美しさはこれっぽっちも損なわれることはなかった。
それにしても、だ。
井戸を自作した経験のある俺からすると、これは黙って見過ごすわけにはいかない。
井戸掘りを一旦中止するように俺は進言すると同時に、クリス団長に井戸の調査をさせてほしいと願い出た。
とりあえず水が出ればいいだけなら好き勝手に掘らしておけばいつかは水が出るだろう。
だけど飲水として使えるおいしい水は、一日にしてならず、だ。
俺は井戸のことをあれこれ考えながら、自然と頬が緩んでくるのを抑えることができなかった。
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