嬉し恥ずかしモーニングエール

「ほぉらぁ、早く歩きなさいよぉ」

 背後からアイシアに追い立てられ、俺は歩かされている。いやもう、圧がすごいのなんのって。少しでも歩みを遅らそうものなら、叱咤の声が飛んでくる。

 初対面の時にアイシアのあの甘ったるい喋り方に不快感を抱いた俺の直感は、やはり間違いではなかったのだ。

 本来なら朝練に参加しなければならないところだが、キャットがどうしても朝食を食べるのだと言いはった。

 俺も食いっぱぐれてなるものかと朝食を要求したところ、食堂へ行くことが許されたのだ。

 それにしても、だ。

 もう既に日は高くまで登っていて、朝食を終えた他の騎士たちは朝の日課を始めていた。もちろんその中には、クリス団長も含まれている。

 幾ばくかの気まずさを感じつつ、俺は食堂に足を踏み入れた。

 昨晩は料理人たちが就寝してしまっていたこともあって厨房の片隅で食事をしたから、食堂で食事を摂るのはこれが初めてだ。

 目の前に広がるのはあまり繁盛してない路地裏のラーメン屋かと思うような簡素な光景が広がっており、お世辞にもあまり衛生的とは言えない状態だった。

「ここって……食堂、だよな?」

 キャットに声をかけると、「そうだけど?」とさらりと返された。

 ここで食うのは少しばかり勇気がいりそうだ。いや、別に食べようと思えばどこでも食べられるんだけれど……。

 ちらりと厨房を覗くと、やはりあまり衛生状態はよろしくないような感じがしている。

 女がいて、料理をしているから衛生的だと思うのは、俺の先入観でものを考えているからいけないのだ。

 足元を見ると、テーブルの脚にはげっ歯類の動物によってできた歯型が残されている。

 いかん、こんなところで飯食ってたらいつか本当に腹を壊してしまうぞ。

「ユーチ、食おうぜ」

 朝食を前にしたキャットは嬉しそうにどれから食べようか思案しているが、パンとシチューのメニューは昨夜と同じだ。

 大丈夫か?

 この国の食品保存技術がどの程度のものか知らんが、本当に食べても大丈夫なのか?

 俺はおそるおそるシチューを口にした。

 昨夜と同じ味がする。

 傷んではいないようだが、こうして明るいところでよく見ると、好んで食べたいものではないような気がする。

 俺はあまり周囲を見ないようにして食べることだけに集中した。

 さっさと食べて、朝練にまぜてもらおう。

 そうして食べ始めてふと俺は気付いた。またしても飲み物が……ワインかエール。

 水が飲みたい。

 水だ、水。水持ってこーい!

 ……確か、水は溜め水しかないって言ってたな。

 この国の水道事情はどうなってんだ。溜め水を使って色々やってる……と、いうことは、井戸は……?

 そんなことを考えていたら、クリス団長がこちらへやって来る姿が見えた。てか、ばっちり目が合った。

 俺は慌てて残りの料理を口に搔き込むと、手元のエールで喉の奥へと押し流す。

 苦っっ。エール、苦っ。

 酸味の強いエールは、ワイン以上に飲みにくかった。いくら水の代わりとはいえ、朝からアルコール摂ってて大丈夫なのか、この国は。水がほしい。水、くれ……

「おはよう、ユーチ殿」

「お…おはよ…んグッ」

 挨拶を返そうとしたら、盛大にむせてしまった。恥ずかしい。

 ゲホゲホと咳き込みながら席を立つと、いつの間にか朝食を食べ終えたキャットが俺の背中をバンバンと叩いてくる。

「世話の焼けるやつだな、ユーチは」

 痛い、痛いって。

 クリス団長が少し呆れたような表情で俺たち二人を見つめてくる。

「ところでユーチ殿、宿舎の枕は合いましたか」

 いきなりボディブローを食らわされたような感じで、俺は更に咳き込みだした。

「よく眠れたようですよぉぉ、団長」

 意味深な目配せをアイシアが送ってくる。

「そうなのですね」

 団長がどこかホッとしたように口元に笑み浮かべると、アイシアは意地の悪い笑みを浮かべて言った。

「そりゃあもう、気持ちよさそうに寝てましたものねえぇ」

「ああ、そうだな。朝までぐっすり……」

 キャットまで何を言い出んだ。余計なこと言ってんじゃねえよ。

 クリス団長が口元に笑みを貼り付けたまま、どういうことかと聞きたそうにしている。

 もう、やめてくれ。

 俺は呼吸を整えながらクリス団長のオッパ……いや、顔を見上げた。

「あの、け、見学をっ……と、思うのですが」

 まずは宿舎の内外を見てみたい。

 もちろん、他の場所も許されるのなら見て回りたいが、まずは騎士団の宿舎や鍛錬場など、生活の基盤となる場所を、だな。ぐるっと見せてもらいたいなー、なんて。

「そうですね、では、朝食も終えられたようですし、これから案内しましょう」

 そう言ってクリス団長は歩き出した。

 慌てて俺も、後をついていく。

「まずは鍛錬場だな」

 俺の後ろを歩きながらキャットが宣言した瞬間、クリス団長が勢いよく振り返った。

「何を言っているのですか、キャトリーヌ。あなたは今から日課をこなすのですよ。いつもの日課と、それに加えて寝過ごした時間の分だけ剣の素振りをするように」

 冷たく淡々とした口調はまるでお堅い学級委員長のようだ。

「ええーっ、アタシもユーチを案内……」

「キャトリーヌ・ベルクマン。素振りに追加して薪割りを命じます」

「そんなぁ。クリス団長、アタシだって……」

「殊勝な心掛けですね、キャトリーヌ。水汲みも追加すると言うのですね」

 クリスがギロリとキャットを睨み付けると、彼女は慌ててかぶりを振って俺たちから離れていく。しょんぼりと肩を落としつつ鍛錬場へと向かうキャットの姿はどこか哀れでならない。

「あらぁ。今日は穴掘りはしないのねぇ」

 のんびりとした口調でアイシアが呟く。

「アイシア・エルンハルト。穴掘りをしてきても良いのですよ」

 ちらりとクリス団長がアイシアに視線を投げる。

「あたしはぁ、この後会議がありますのでぇ」

 から笑いを浮かべてアイシアは後ろ歩きでそそくさと俺たちから離れていった。器用な奴だ。

 残された俺は居心地悪く、クリス団長をそっと見る。

 怒ってる?

 何だか不機嫌そうな顔をしているような気がする。

「ユーチ殿。振舞には細心の注意を払ってください。いつ、誰があなたの行動を見ているかわからないのですよ」

 その言葉だけで、団長が何を言おうとしているのか俺はわかってしまった。

 昨夜のことを言っているのだ。不覚にもキャットを部屋に連れ込んだこと、何もなかったとは言え疑われるような状況を作り出してしまったこと、そういったことを団長は暗に示しているのだ。

「そうですね。以後、気を付けます」

 食堂での言動も同じだなと、俺は反省する。

 キャットやアイシアとのやり取りも多分、他の者から見たら好ましくないものだったのだろう。

 団長に宿舎内を案内されながら俺は、酷く居心地の悪い思いをし続けたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る