36 それぞれの試練
梨奈が突っ立って動かないので、一人の兵士が手錠を持って、梨奈の腕を引っ張ろうとした。しかし、掴もうとした腕は空を切り、変な方に曲がる。
「む、こやつ、変な術を使うぞ」
「何もしておりません」
男の腕が二度三度と空を切る。
「何をしている、サッサとせぬか」
焦れた男が馬から降りて、剣を引き抜いた。殺気も露わに梨奈に詰め寄る。
さすがに怖い。目の前は刃の壁だった。逃げようもない。
それでも梨奈は何もせずに、ひたすら立っていた。
彼らに自分をどうこうすることは出来ない。それが分かるのだ。魔王様のお陰だろうか。そう考える余裕まであった。
男は梨奈をつかもうとしてつかみ損ねる。歯をギリと噛み、剣を振り上げ、降り下ろした。
悲鳴と息を呑む音。
剣を弾かれ、男の方が息を呑む。また振り上げる。弾かれる。
梨奈はじっと突っ立っていた。クリス王子は何回か梨奈の耳のピアスの魔法を書き換えていた。一体、どんだけ魔法をかけているのだろう。
魔王様の力と、クリス王子のピアスにかけた防御の魔法と、この離宮と梨奈にかけた結界とで、ものすごいことになっている。
そういえば殿下は、梨奈の身体に男除けの魔紋を施したとか言っていたな。
鼻歌を歌ったり、馬鹿にしたり、ふふんと腕組をしたら、この騎士たちはもっと怒るだろうか。あんまり怒らせたら良くないかなあと考えながら、早く終わらないかと思っている。
そして、梨奈の試練はやっと幕を閉じた。
「何をしている!」
王宮からエアハルト殿下が、近衛兵を引き連れて駆け付けたのだ。
「お前たち、国の警固もせずに何をしている」
「しかし、殿下、この女は」
「彼女は女神である。失ってはならん」
あっさりと秘密を暴露した。
「引け、まだこのような事をしていると、天罰が下るぞ。早く持ち場に戻れ」
おお、かっこいい。さすがクリス殿下の弟君。
あの腹黒ヤンデレ気味な王子、もとい旦那様とちょっと比べたくなる。
そういう訳で、梨奈は教授やご令嬢達と、お食事会である。
「これは昨日の魔獣……、いえ、オフジェ川のお魚です」
ジェリーも魚と言ったではないか。コレはお魚だ。
「マリネですか。ヘルシーで甘酸っぱい味が何とも」
「こちらのシチューっぽいのは、お魚のフリカッセですね。お肉よりあっさりしていますわ」
料理長の腕が凄くて最高だ。美味しいし、梨奈が望むものを次々に作ってくれる。その探求心も素晴らしい。
昼間は大丈夫だ、皆さまがいらっしゃるし。
しかし、夜である。
温もりがない、抱いてくれる腕がないというのがこんなに辛いとは。
ベッドがこれだけ広いとは。
この世界に来て、まだほんのちょっとしか経っていないのに。
梨奈の試練はこれからのようだった。
* * *
さてこちらはオフジェ川に進軍してきたノイジードル軍の先鋒、クリスティアン王子の一軍だ。すでに配置を済ませてアルモンド軍と対峙している。
眼前に水棲魔獣。
その向こうの敵アルモンド帝国は、川向うの橋の前を固め待っている。
後ろに裏切り者のサボーナ侯爵。
さらに後ろにランツベルク将軍。
自分の周りは少人数の身の回りのものだけ。
──さあ、どうする?
「クリス殿下。準備が出来ました」
「よし、行け」
蛇行したオフジェ川が作った砂州に、湿地が広がっている。
湿地のこちら側は少し盛り上がった川岸だ。所々に木が生えて身を隠すのに絶好である。川岸で待機していた騎士団の一行が、川に向けて何かを投げる。
川が波立ってバシャバシャと何かが跳ねる。
「釣りあげろ」
魚ならぬ魔獣が、砂州に釣りあげられて湿地でバシャバシャと跳ねた。
「風の刃、行くぞ」
魚に向けてひゅんひゅんと風の刃が放たれる。魚は切り刻まれて地上に落ちた。
血の匂いが辺りに広がる。
そして、川が不気味に盛り上がる。
魔獣は飢えているだろう。魚は食べるものだ。魔獣のエサになるだろう。
共食いの魔獣を釣りあげてエサにする。
川から黒々と魔獣が上がって来て、同胞を食らっている。
「皆、下がれ」
王子は呪文を紡ぐ。指の先からバチバチと迸るそれを、魔獣の原に向けて放った。
バチバチと帯電した青い光が、魔獣のいる湿地に浮かび上がる。その青い光が地上に稲妻のように鋭角を付けて、ピカピカと光りながら幾筋も落ちて行く。
ドウーーーン!!!!
ドドドーーーン!!!!
グワッシャーーーーン!!!!
雷撃は魔獣たちに襲い掛かった。天の怒りのようにそれは縦横無尽に広がり、湿地帯を川の上までバチバチと嘗め尽くした。
雷撃一発で魔獣は黒焦げになった。
「わ」
「やったー」
派手な演出であった。眼前の敵を萎えさせるには充分であった。
それを見た向こう岸のアルモンド帝国軍の連中が慌てて逃げ始める。
「行け―」
魔術師たちが呪文を紡ぐ。火と氷と雷が敵兵に降り注ぐ。
騎士が一斉に橋を渡って殴り込む。
ノイジードル王国の兵士は、どこに隠れていたのか次々に橋を渡って行った。
その頃、後ろに控えていた侯爵家の軍が騒めき始めた。
「侯爵が居ない」
「ど、どうするんだ」
見澄ましたように、クリスティアン王子が現れる。
「聞け! サボーナ侯爵は、横領、背任、武器の横流しの罪で、国家反逆罪で捕らえた」
見れば王子の側に、捕縛された侯爵その人がいる。後ろに重臣も何人かいる。
「違う、嘘だ」
「証拠も挙がっている。貴公がオフジェ川に流した魔獣の情報もな」
侯爵が電撃に打たれたように、びくびくと身を震わせた。
「諸君らに問う。まだ、ノイジードル王国に忠義を尽くす気はあるか」
王子の声は朗々と響く。
「今が絶好の機会だ。アルモンド帝国を破り汝が手柄とせよ。神は見ておられる。戦う気概のある者は、我が後に続け」
金色の髪を靡かせ、王子が馬を駆って走り出す。
「俺は行く」
将が一人馬に乗って追いかける。一族郎党が後を追う。追随するように我も我もと色めき立った。
「うおおおーーーー!!!!」
候爵家は潰れる。領地はがら空きだ。さらにアルモンド帝国の領地まで付いてくる。ここで頑張らなくて、いつ頑張ればいいというのか。
一団となって怒涛のようにアルモンド帝国目指して進軍する。
アルモンド帝国のオフジェ砦軍は、こらえきれずに砦を捨てて退却した。
* * *
アルモンド帝国の軍勢は、王子が魔獣のエサになるのを確認してから動くだろう。
アルモンド帝国と一緒にサボーナ侯爵の軍が動くだろう。
わが軍はその時に動けばよい。
動かなければこのまま、次の機会を待てばよい。
ランツベルク将軍はそう考えた。のだが──、
ランツベルク将軍の後ろに王の目付け役。
クリス王子は派手な演出で、あっさり場面を覆した。
将軍の前に罪を告発する者たち。
捕縛されて、がっくりと肩を落としたサボーナ侯爵一行を、フォルカーが王国軍の兵士と共に連行している。
ジョサイアの父は息子と共に進軍し、オフジェ砦まで落とした。
毒杯を受けるか、縄に付くか、戦うか──。
──さあ、どうする?
国王陛下が冷たい目でランツベルク将軍を見ている。
こんな場面は想像だにしていなかった。
自分も焼きが回ったと、将軍は自嘲した。
──が、このまま死ぬのは口惜しすぎる。
目の前に王がいるのだ。最後に一太刀浴びせないで何としよう。
剣を抜いて「うおおおーーー!」と走った。
王に辿り着く前に『食べるーー?』と、
間の抜けた声と共に、後ろから何かが襲い掛かった。
絡みつき、まとわりつき、視線も塞がれた。
何があったか、脚も動かない。縺れて倒れた。焼け付くような痛みとともに、思考が薄れて途切れた。
ランツベルク将軍の最期を、誰も言葉もなく見つめている。
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