37 アルモンドの悪夢


 国王は立ち止まらずに進軍した。アルモンド帝国の憂いを、愛娘の恨みを今こそ晴らすために。

 国に女神が現れた。我が息子が女神を手に入れたのだ。

 これ以上の好機があろうか。



 ノイジードル国王軍は、間に立ち塞がるアルモンド帝国の城を次々に落とし、秋には皇城にせまった。

 アルモンド皇帝は決戦をせず、巨大な城に籠った。

 戦は長引くかに見えたが、敵兵の中から裏切りやら、同士討ちが相次いで発生し、ボヤ騒ぎが相次ぎ、食料は断たれ、城兵は逃げ出し、ついにアルモンド皇帝は降伏した。

 皇帝と一族は首を討たれ、ここに、強大なアルモンド帝国は滅んだ。



  * * *



 国王はクリスティアン王子を特命全権大使として元アルモンド帝国の皇城に残し、ノイジードル王国に凱旋した。


「どこもかしこも賑わっていますわ」

「そうですわね」

 外出から戻って来たクロチルドとイルマが言う。

 最近では少しの外出もできない梨奈を気遣って、お菓子とか買って帰ってお茶になる。


「そろそろ屋敷に戻ろうかと思いますの」

 クロチルドが言ってイルマも頷く。

「あちらに行って帰って来ないのは、あちらに引き留められているからだと、うちの者が申しますの」

「わたくしは待っているつもりですけれど、ここに逃げていても仕方がないのですわ」

 分かっているのだ。引き留めてはいけない。でも寂しいなあと思う。

 梨奈にはどこにも行き場が無いのだから。



 国王陛下はノイジードル王国にお帰りになって、エアハルト殿下と共にランツベルク将軍一派、サボーナ侯爵一族、シェルツ男爵一族を捕らえ一掃した。

 政情が安定すると、ご令嬢方もお屋敷に戻られた。


 クリス殿下の働きは国でも評判で、ご縁談も降るようにあったらしいけれど、すべて陛下がお断りになったらしい。

 殿下は元アルモンド帝国で残務処理をしており、そちらにも降るように縁談があったらしいが、すべてお断りになったと聞く。

 すぐにエアハルト殿下の立太子礼があって、そちらの方の話題が華やかになった。



  * * *



 そんな折、ダールグレン教授がお客様を迎えに行った。

 教授はたいてい広間でのんびりしているので珍しい事だった。


 教授が案内してきたのは魔王様であった。二人のお付きもそのままに、

「元気にしておるか」

 寂びたお声でそう言って微笑んだ。

 角も赤い瞳も隠したお顔は、もう見惚れるほどに美しくて、梨奈は突っ立ったまま声もない。


 突然の秀麗な賓客の訪れに、離宮の召使たちは驚き慌てた。



「お久しゅうございます、えと……、お義父様」

 梨奈が恥ずかしそうに頬を染めて言うと、優しく笑って頭を撫でる。

「そろそろ、来てもよいかと思うた」

 気を使っておられたのだろうか。こんなに人間離れした美貌をしていれば、そこに居るだけで人の噂にもなろう。


「いらしてくださって嬉しいです」

 そう言った途端、ポロンと涙が零れた。後は堰が切れたかのように溢れて、止めようとしても止まらない。

「とても辛くて……」

 魔王様は梨奈を引き寄せて、その涙をご自分の胸で受け止めて下さった。


 その後は、魔王様の手土産で宴会になった。

「何でこんな所に閉じ込めておくのでしょうか」

「私が浮気をするとでも」

 いつものように絡み酒である。


「せっかくこの世界に来ても、私は何も知らない、どこにも行ったことがない」

「ご自分だけお好きに走り回って、好き勝手して──」

 梨奈の愚痴は止まらない。令嬢達も帰られて、押さえていた感情が爆発してしまった。

 荒れ狂う梨奈に恐れをなして、離宮の使用人たちは隠れ、引っ込んでしまう。


「私がこちらに来た意味があったのでしょうか」

「帰りたい、帰りたい、帰りたい──」

 身体は光って消えようと足掻く、しかし結界が邪魔をして地に伏した。

「ヒック……」


「ふむ、引き留められておらぬな」

 泣き崩れる梨奈を宥めながら、魔王様が呟く。

「彼奴ではだめか、それともそなたの所為か」


「元アルモンド帝国の貴族連中が五月蠅くしているようだね」

 教授が事情を説明する。

「それぐらい、あしらえぬでどうする」

「海千山千の連中ですからねえ」

「見損なったのう」

 その言葉に梨奈は身を起こす。


「そうです! 見損ないました! 私がアルモンドに天罰を──」

 身体中の熱を集めようとした。

「止めよ」

「どうしてですか⁉」

 拗ねて問う梨奈に、魔王様がうっすら笑って囁いた。


「夢を送ってやるがよい。余が手助けをしてやろう」

「夢……?」

「あ奴に教えてやろう。そなたの本当の価値を」

「私に価値など──」

「そなたにも教えてやろう、女神であるそなたの真の価値を──」



  * * *



 元アルモンド帝国、貴族の一室である。

「昏い。どこだここは」

 夢の中のように、身体が思うように動かない。


 ──よう来たのう

 振り向くとぼんやりと滲む女が一人。

 白く塗りつぶした顔の中の真っ赤な口。

 異国の薄い衣裳に包んだ身が、ふわりと宙に浮く。


「誰だ!」



 ──私は女神。愛とエロスと豊穣の女神。

 ──そなた達には、もはや愛想も小想も尽き果てた。

 ──我が恵みを、すべて返してもらおう。



  女神が白い手を伸ばす。

  その途端──、

  身体から何かがすうっと奪われ抜けて行く。


  ──ふっ、ふふふ…、ほほほ…、あーはははーーー

  哄笑が闇に広がり、木霊のように響いて消えた。



 後に、アルモンドの悪夢と呼ばれるそれは、その日から王都を中心に波紋のように広がり、元アルモンド帝国の人々を蝕んでいった。

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