32 クロチルドの来訪


 クリス殿下が王宮に呼ばれて、ジョサイアとシドニーを連れて出て行った後、

「主殿」

 いつもの広いホールのカウチで梨奈がぐったりしていると、魔族のトニョがソラノと一緒に目の前に跪いた。


「すまねえが、ソラノが仲間が生きていると言っているんじゃ」

「え、そうなの? どこに?」

 梨奈が聞くと二人は顔を見合わせる。

「昨日、襲われた辺りから、一刻、下った川下に流れ着いているんじゃ。俺、助けに行きたい」


「川岸には哨戒兵が出ていないか? 昼間は危ないだろう」

 スチュアートが言う。

「俺一人なら、何とかなる」

 うーん、でも魔獣に襲われたんだよね。怪我人を背負って帰れるだろうか。

「じゃあジェリーも連れて行く? ジェリー行ける?」

『行ける―』

「見つけたら、ここに飛んで帰って来るのよ」

『分かったー』

 ジェリーには触れるんだっけ。両手で捕まえて防御魔法をかける。ついでに幸運もかけちゃえ。ボワンとジェリーの身体が光って消えた。


「主殿、それは?」

「あ、えーと、このコは私の従魔だからね」

 ジェリーはスライムになって身体をグインと伸ばすと、ソラノの腰に巻きついた。

「おお、これなら飛べる」

 ソラノは部屋でぴょんぴょんと軽く飛んでから、外に出て方向を定めると、しゅんしゅんと水切りみたいに飛んで行った。


「早いわね」

 ずっと黙っていたフォルカーが、呆れたように言う。

「僕、あんた見ていると、現実から遠く離れた所に行きそうで怖いよ」

「え、私じゃなくてジェリーでしょ」

「あいつも現実離れしているがなあ」

 スチュアートは頭をガシガシかいている。

 

 いや、こっちの世界に召喚されて、いいようにされている自分の方が、現実から遠く離れた所にいる訳で、魔王の養子とか女神とか、どんだけ―って思うんだけど。



  * * *



 昼前に、クロチルドがやって来た。

「物々しい警固でしたわ。何かありましたの」と、案内された部屋に入ってきながら聞いた。

「ランツベルク将軍の勘違いですね」

 フォルカーが言う。

「あら、そうなのかしら」

 チロンと梨奈を見る。扇を持っていたら完璧ね。と、思ったらさっそく扇を取り出した。

 ドレスをきっちり着こなして、一部の隙も無い。プラチナブロンドに紫の瞳の貴婦人。とてもじゃないが太刀打ちできない。

 体調が悪くなければ、全力で落ち込んでいるところだ。


 とりあえず紹介をフォルカーがしてくれて、いつもの広い応接室に座る。



  * * *



 クロチルドの、目の前に座った梨奈は、どこも目立ったところのない平凡な女の子だった。茶色の髪を緩くツインテールにして、前髪も緩くウェーブして幾筋も下ろしている。

 妙に気怠そうで、低めの声も掠れ気味だった。


 クロチルドは気負ってやって来たけれど、どこがどうという訳でもなく、肩透かしを食らった気分になる。


「何時からやりますの」

「今からでいいんじゃないの」

 クタクタでぐずぐずの梨奈を思いやらないフォルカーと、引き留めないスチュアートに、余計にぐったりする梨奈。


「淑女というもの、そんな風にだらりとなさってはいけませんわ」

「む」

 今日じゃなかったら、もっときちんとしている……、筈。

「私、教えていただきたい事があります」

 姿勢を整えて聞いた。

「まあ、何でしょう」

「地理です。こちらの事、何も知らないんです。この国も知りません。教えていただける?」

「よろしいですわ。地図を」


 ササっと執事が地図を持ってきた。ぐるぐるに巻かれた地図を広げて、クロチルドが説明する。

「これがこの国の地図ですわ」

 ノイジードル王国は山間の国だった。王都は盆地にあるようだ。この世界に来て、まだ海を見た事がない。この国には無いのね。

「今の季節っていつなの」

「もう夏ですわ。麦の刈り入れも終わりましたし」

 うわ、戦争が始まっちゃうんじゃ。

「オフジェ川ってどこかしら」

 地図で探す。外れよね。クロチルドが指し示す、北西の国境を東に流れていて、支流が南に下って王都を横切っている。


 梨奈が首を伸ばしたので、クロチルドは白い首すじに痕があるのに気付いた。存在を誇示するような赤紫の痕。

 コレは女子会で、どこぞの令嬢が嬉しそうに見せびらかしていた、キスマークとかいうアレだ。

「ふしだらですわ。婚姻前の男女が」

 扇で指して言う。

「え」

 梨奈は目を丸くした。

「ええ?」

 服の中を覗いている。

「まあ」


(あのやろう。何でこんなもん、すれすれに付けるんだよ)


 ふしだらですってよ、奥様。

 結婚してなかったら、そういう風に言われるんだな。

 愛し合っていたらいいとかじゃないんだな。

 でも、殿下と愛し合っているのかしら。

 昨日のアレは、殿下と愛を確かめ合ったとかいうアレなのかしら。

 愛って何かしら。よく分からないわ。

 よく分からなくて、そんなことしていいのかしら。

 あーんなことや、こーんなことも……。

 ぽっ、ぽっぽっぽっ──。


 真っ赤に染まった梨奈を見て、クロチルドは言葉に詰まる。

 ここまであからさまに反応されると、どうしたらいいのか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る