16 誘拐されて魔領に


 離宮は王都の外れにある。馬車で行くと一刻かかる。

 日は落ちかかって黄昏時であった。

 ジョサイアとシドニーは乗馬して、馬車の周りを警護している。梨奈は王子の側に座っていて、王子の身体が少し緊張しているのが伝わってきた。

 どうして緊張しているんだろう。


「リナ、襲撃があったら隠れていろ。ジェリー、うまく攫われてくれ」

『はーいー』

「ジェリー」

 攫われるって、ジェリーが囮?

 このまま無事には離宮に着かないのだろうか。

 ジェリーはマリアになっている。襲撃者は男爵だろうか? マリアを取り戻すために。取り戻してどうするのかしら。魅了の張本人のマリアがいたら、マリアが喋ったら色々不味いと思う人がいる。

 リナの身体が震える。

「リナ……」

「武者震いです」

 梨奈は王子に笑いかけたが顔が引きつっていたかもしれない。



 馬車が離宮の近くの人気のない西の森に差し掛かると、木立の中からバラバラと人馬が襲い掛かってきた。

「行くぞ、内側からカギを閉めておけ」

 クリス王子が馬車から飛び出して剣を抜く。

 どさりと何かが倒れたような音がして、カーテンの隙間から窺うと、馬車を取り囲むほどの人数がいる。

 梨奈は慌てて馬車のカギを閉めた。


 日の暮れかかった王都の外れで剣戟と怒声が交差する。時折ひゅんと風が唸るのは魔法だろうか。さすがに火や雷の魔法は、目立つのか使われていないようだが。


『主ー、隠れて―』

 ジェリーの声に馬車の床に身体を潜める。ドカッとドアを壊すような音がして、ガチャリと外側からドアが開いた。男がジェリーの腕をつかんで引きずりおろす。

『キャーーー!!』

 派手な声を上げてジェリーが攫われていく。

「引くぞーー!」

「待てっ!!」

 バラバラと逃げる音。追いかける音。




「へえ、あんた」

 起き上がろうと思った時に、突然、女の声が囁いた。腕がつかまれる。

「この前、召喚した美味そうな人間だね、あんた。まだ食われてなかったのかい」

 嬉しそうな声が囁く。

「イレギュラーか。弱そうな女。こいつを持って帰ろう。向こうでなぶり殺しにしてやろう」

 マゼンタの髪の女だ。眦が吊り上がって、角があって怖そう。

「ン!!」

 叫ぶ前に口を塞がれて、ぐにゃんと目の前がゆがんだ。


「リナッーーー!!」

 クリス王子の叫ぶ声は聞こえなかった。



  * * *



 目の前のゆがんだ空間がゆっくりと戻った。

 濃密な空気が押し寄せて、一度目を閉じる。

 ゆっくりと目を開くと赤茶けた地面が見えた。目を上げると何処までもそれが続いている。地平線まで続くと思われるほど遠くに、黒っぽい森のようなものが霞んで見えた。


「ここ何処?」


「フフフ、ここは魔領さ」

「ジジ」

 この女は、姿を隠して不意を突くように話しかける。

「今からたくさん魔族を呼んで、あんたで酒盛りするのさ」

 悪意のある言葉を振りまいて。

「骨の一本、血の一滴も、残さずに喰らってやるから、ありがたく思いな」

 恐怖心を植え付ける。


 彼女の眷属がそこらじゅうから湧いて出る。

 うじゃうじゃと、ぞろぞろと。遠くに見える森のように。

 マゼンタの髪を荒野に翻し、血のように紅い唇でニタリと笑う。


 コイツはジジ。

 コイツがジジ。


 こいつの所為で、梨奈はこんな世界に飛ばされて、

 魔物のエサとか訳分かんない事されて、

 その上、魔族に食べられるとか、ふざけてんのっ!!


 アンタなんか、アンタなんか──。


 梨奈を取り巻こうとしていた魔族たちの動きが止まった。

「何してんだ! お前ら、早く押さえ付けるんだ」

 梨奈の身体から溢れる何かに耐えきれない。

「ジジめ、面倒な奴を連れて来やがって」

「逃げろーーーっ!!」

 魔族たちが蜘蛛の子を散らすように逃げる。


 梨奈の身体がごうっと熱くなってゆく。

「こんな奴、こんな奴、ぶっ殺す!!」

 その、ものすごい熱量にジジが目を見開いた。

「え、何、コイツ!?」

 か弱いただの人の娘だった筈だ。

 何でいきなり────。


 ジジは飛び上がって逃げようとする。

 高い空から嘲笑った。

「フン、ここまで来れまい」

 それが余計な事だった。梨奈の怒りをさらに煽った。

 魔族のジジの体にボンと火がつく。ついた火はゴウッと燃え上がった。

「うわあああーーー!!」

 飛ぶ力を失ってジジは地面にドーーーン! と落ちた。

「いやあ、殺されるー!!!!」

 火は勢いを強め、ますます燃え盛る。

「ぎゃあああぁぁぁーーーーー…………」


 断末魔が響いて、消えて行った──。



(私、何しちゃったの?)

 そこには跡形もなく、地面に焼け焦げた影だけ。

 気配も感じない。

 呆然と梨奈は立ち尽くした。

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