第5話 不幸な王子さまの隣で、束の間でも幸せに


 ふたりの縁談はとんとん拍子に進み、婚約破棄の夜から止まっていた嫁入り支度の時計の針は、ついに再び動きだした。


 一刻も早く婚礼を、という女王からの命令で、今月中には結ばれることになっている。


「婚約おめでとう、アデル……」


 この結婚の意味を理解している兄は、優しい声で寿ぐも、微笑みの裏にかげった痛々しさを隠せていなかった。


 妹の結婚を喜べない兄はよくいると聞くが、そういう微笑ましい意味の感情ではないことは、今のアデレードにも察せられる。


 愛しい兄エドワードは、魔術――特に呪術の分野に秀でた魔術騎士であり、かつてアデレードの護衛を仕事としていた時にも、同僚からセドリックの『呪い』のことをよく聞いていた。


 魔法士にも魔術士にも手に負えない。

 なぜかは分からないが彼の婚約者は一年以内に死ぬ。

 そんな、どうしようもない呪いだと。


 噂よりも濃い話を聞いていたから、エドワードは、見えない呪いの力をより生々しく感じていた。


 ハルスヴィードの家族は、その死を覚悟して、末娘を『呪われた王子』のもとへと送り出すのだ。


「ありがとう。お兄さま」


 そんなエドワードを励ますよう、アデレードはにっこり笑った。セドリックとのお見合いの日から、彼女は笑顔を取り戻している。ぎこちなさは日ごとに薄れ、懐かしい『アデル』の笑みになる。


 ああ、うちの妹はこんなに可愛く笑う女の子だったのだな、と。エドワードは毎日ハッとさせられた。


 未だに触れあうことは叶わない最愛の妹。屑野郎どもに傷つけられた可愛いアデル。


 ――殺してやりたい。アデルを壊した黒幕を。最悪の存在を。


 さくらんぼ色の瞳に映る『兄』エドワードは、きっと優しい人間の顔をしている。


 どうかこの兄の残虐性には気づかずに、不幸な王子さまの隣で、束の間でも幸せになってほしい。

 そう、エドワードという名の獣は願う。堕ちた騎士の思惑など、純粋な妹姫は知らないままでいい。


「ねぇねぇ、エディお兄さま」

「なぁに、アデル」

「だいすきよ」

「俺も、おまえが大好きだよ。アデル」


 今日のアデレードはご機嫌で、エドワードにたくさん『大好き』と言ってくれた。


 昔みたいに元気な可愛い妹。でも、どんな姿になっても愛おしい。病んでしまっても、何があっても。


 ――雪色の髪を揺らして笑うおまえは、俺にとって、この世の誰よりも…………




 ***




 九月の吉日――


 純白のドレスを纏ったアデレードは、父と腕を組み、ヴァージンロードを歩いた。


 大好きな父の逞しい腕から、今は人のぬくもりを感じない。まるで石のように冷たく硬質な感触は、父と兄からアデレードへ届いた優しさの顕れだった。


(……お父さまと……こんなふうに歩けるなんて……夢みたい)


 彼の礼服の袖の中には、魔法の織物が仕込まれている。男の人との触れあいが怖いアデレードのため、兄エドワードが調達してきてくれたものだ。いわゆる防護素材の一種だった。


 これがあれば、父も、アデレードも、お互いの肌や肉の生命を感じない。アデレードが石に触れていると感じるように、父も、晴れの日の娘の体温を感じられない。


 彼女と父とがこの道を歩むには、こうするしか無かった。


 ――うちのアデル。アデレード。可愛い我が娘。


 アデレードの花嫁衣裳は、彼女の白肌をすっかり覆い隠している。長袖のドレスと絹の手袋は、ともに繊細なレースがあしらわれ、健康な肌を見せられない彼女をしかと守りながら飾った。


 その細い首もまた、草花の刺繍を施された立襟に覆われており、そこに宝飾の類は見られない。代わりにと言うべきか、ミルク色の髪には、虹色の蛋白石オパールが幾つも散りばめられていた。


 紗のヴェールに隠されたかんばせは、化粧という衣を纏い、静かな喜びに満ちている。金銀の粉を乗せられた瞼の中、真っ赤なさくらんぼ色の瞳は何を思うのか……


 ――ここで正式に籍を入れれば、カウントダウンが始まってしまう。


 アデレード・ハルスヴィードの残り時間は、最大でも、あと一年。


 その強制力のことを曖昧な噂でしか知らない、どうか我が娘だけは呪われぬようにと切に願うハルスヴィード侯爵が、第一王子のそばにアデレードを連れていく。新郎に彼女の身を託す。


(セドリック様……)


 撫でつけられた銀の髪に、この国の貴き王子の正装。優しさで満ちた湖の底に憂いの石を秘めているような、彼女を惹きつけてやまない青紫の瞳。


 前世、ゲームの中で見た、推しの『セドリック様』のことを彼女は想う。そして、花嫁になることなく人生を終えた、かつての自分のことを振り返る。


 乙女ゲーム『呪いに抗って恋をする』の世界で、彼女は『主人公ヒロイン』と『セドリック様』を何度も結婚させた。

 彼とのハッピーエンドは何遍見ても飽きることがなく、病に侵されて自由を失いゆく彼女を束の間の幸福に溺れさせた。


 この結婚は、長くは続かない。


 前作世界では悪役令嬢だった自分も、今の彼との関係を見れば過去のモブ、未来で出会うヒロインとの恋のスパイスになるだけの舞台装置。モブも悪役も抗えない。


 彼と婚約を結んだ七番目、初めて妻となる女は、結婚一周年の日を迎えずに息を――


 決して続かないと知る永遠の愛を誓い、はらり、愛しい彼にヴェールを上げてもらう。


「アデレード」

「……はい」


 彼の視線に貫かれ、アデレードは目を瞑り、息を止めた。彼からの接吻に恐怖して吐くことなどないと信じたいが……それでも…………


(わたしでも、結婚できたのね……)


 ふ、とやわらかな熱が触れて、誓いの口づけが交わされた。


 アデレードの中にこみ上げてきたのは、吐き気ではなく、血液の代わりに全身を巡る蜜のような甘やかさ。


 とくん、とくんと心臓が強かに脈打ち、純白のドレスを突き破ってしまえそうに感じる。


 第一王子と侯爵令嬢の婚姻にしては、ささやかな、あの日の薔薇園のような式だった。





「――アデル」

「はい、お母さま」


 式を終えて迎えた、結婚初夜。


 湯浴みを済ませたアデレードの身支度を整えながら、母は彼女を優しく励ました。


「きっと怖いでしょう……恐ろしいでしょうね……でも……」

「ええ、がんばれますわ。お母さま。わたくしは、大丈夫。だから、お気を病まれないで」

「アデル……ッ、どうか、どうか、無事に……もう一度、この母に、可愛い顔を見せてね……」

「孫の顔は見せられずとも、わたくしの顔はお見せしますわ。お母さまが望むなら、何度でも」


 先の聖女は、彼との婚約から三日で亡くなった。

 ならば、アデレードも、近い内に――それこそ、結婚した晩から何かあってもおかしくない。


 暴漢に襲われたせいで心に大きな傷を負い、何度も自殺未遂をしているアデレード。呪いがなくとも、彼女は自らその方向へ進んでしまうかもしれない。

 この夜を越えられるのかしらと母が心配するのは、尤もだった。


(この結婚は、わたくしへの償いであり、わたくしへの罰でもある)


 アデレードとセドリックに、白い結婚は許されない。


(と言っても、きっと、わたくしに子どもは……)


 母と分かれ、女官に案内されて、アデレードは王城の一室へと向かう。大きなベッドに腰掛けて、白いシーツを撫でてみた。


(わたくし……王子妃……なのよね。まだ信じられない……)


 セドリックとサミュエルのどちらが王位を継ぐことになるのか、アデレードは知らない。

 でも、ゲームの中には出てこなかったモブの名も、この国の歴史に残るとは知っている。


 アデレード・ハルスヴィードは、セドリックの最初の妻である。


(セドリック様の歴史の汚点とならないよう、わたくしは、死に方を熟考しなければならない)


 前世では、死に方を選ぶことなど叶わなかった。

 今世では、自ら死を選ぶことを課せられている。


(もう死にそうな時も、ゲームをプレイする体力さえなくなった時も。夢の中なら、彼に会えた。あの時も)


 その日の彼は、きっと続編ゲームのエンディングを迎えた後の彼で――そう、たしか、愛する妻がいる旨を彼女に告げた。


 幸せそうなセドリックの顔に安心して、彼女は、最後の安らかな夢から覚めた。


 そうして、次の晩に、人生を終えた。


 あの日の最後の『セドリック様』に、さて、自分は何と言ったのだったっけ?


『もしも――……れたら――……わたしを――……てくれますか』


 ちらりと場面が脳裏をよぎるも、答えは思い出せなかった。

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