第1章 ダンジョンに仏なんていない

第1話 ダンジョンには仏なんて、いない


  ◆


 俺――冬馬マモルは、焦っていた。

 火をはく、機械の犬三頭を殴り殺す。怒りと憎悪をこめて。

 ただ、まとまった金が欲しかっただけなのに、どうしてこうなった。

「お前らに二百万やる。これ以上の価値があるものをダンジョンから引き揚げれば、余剰をこちらがもらう。それ以下でも、死んでも、二百万だ」

 池袋のダンジョンに連れてこられて、二〇分。同じ参加者の東南アジア系の男が一人。目の前で喰い殺された。ゾンビ映画みたいに腕を切っても足を切っても喰うことをやめない。

「おい、コイツら何なんだよっ⁉」

「見りゃわかんだろバぁカ。ダンジョン脳症だよ」

 防護服を着た案内人が愉快そうに声を弾ませた。

「そいつらはダンジョン脳症の末期どもだ。ワクチンを買うこともできずここへ逃げこんだ末路がそのザマだ。脳ミソまで溶けて人を見境なく襲いだし、れっきとした〝モンスター〟になっちまった。だがダンジョン脳症にも利点はあるらしくてな。末期までいくと不死になれるって話だぜ? お前も、なってみるか?」

「ふ、ふざけやがって。俺は生きて帰らなくちゃいけないんだっ!」

「おー。そうだったそうだった。おめぇは妹のためだっけか。頑張れよぉ。ギャハハハッ」

 その案内人の後ろへダンジョンの住人が襲いかかったのは、すぐだった。

「うおっ。何だてめぇ、げっ!? おいおいおい嘘だろ。くんじゃねえ! 銃が、安全装置っ。くそっ。おい、お前ら。助け、助けろ。お前らぁ、ふぎゃぁあああっ」

 接近を誰も教えなかった。秘密厳守。そういう契約だったから。

 これがダンジョン脳症。あの薬代は真っ当だったのだ。

 俺は登山ピッケルで、案内人を食い殺した功労者を介錯する。脳幹めがけて振り下ろした。

 人を殺すのは始めてだが、祖父が伝えた鍛錬は積んできた。ゾンビはすぐ動かなくなった。

「誰でもいいですよ。誰かこいつの銃、持ってってください」

「おめぇさんは、いいのかい?」

 四十がらみの中年男性が苦笑まじりに声をかけてくる。妹を置いてきた郷里の響きがした。

「俺は銃の扱いを知りません。けど、皆さんには護身に使いたいんじゃないですか?」

「わたすにも無理だんなぁ。ここは日本で、ここにはもう日本人しか残っとらんすけ。馴れねぇ道具さ使っておっ死ぬのは勘弁だもんで」

「そうですね。では、お先に」

 マモルは会釈すると、登山ピッケルを握ったまま下階へ向かった。


 ……美雪を、あんな哀しいゾンビにしてたまるかよっ!


 美雪がダンジョン脳症にかかってもうすぐ二年目に入る。この年で、十二歳。

 東日本大震災で両親と祖母を津波にさらわれて、俺には美雪だけが家族だった。

『お兄ちゃん、星の向こうに光が見えるの』

 美雪が異変を訴えて、すぐに病院へ連れて行った。

 診断は、ダンジョン脳症の初期。脳幹という頭の部位にダンジョン由来の菌類が取りついてるという。脳幹という部分は傷もつけてはいけない場所らしい。そこで菌が暴れ出すと、ある時期から病状進行が驚異的に速くなる。そのため手術は不可能。初期段階で発見できたのは幸運でも、薬で食い止めるのが精一杯らしい。処方された薬は厚労省の無認可治験薬で、国の医療費補助から外されていた。

 注射器一本、三万円。ぼったくられていると思った。でも家族の命には替えられない。払う他なかった。それを二年続けたが、限界がきた。

 飛びついたダンジョン盗掘のバイトは、即金二百万円。雇用契約解除の違約金として五百万円かかった。闇業者の保険金詐欺だったと気づいたのは、現れた男だけが防護服で現れたからだ。

 高収入に目が眩んで集まったのは、俺を含めて二十人。

 全滅すれば二十億の保険金。ボロい商売になるはず、だった。

 下階に降りて、闇にひらめく赤い光が体を掠めただけで二度ほど漏らした。二時間かけて第5階層まで到達できたのは、俺だけだった。しかしそこで戦って精も根も尽きた。ダンジョンは孤立無援で歩ける場所ではなかった。疲れきってうずくまっていると、別の組織に捕まった。

「ちょっと。ねえ、君っ?」

 サーファーみたいなぴっちりした防護服を着た二人に、肩をゆすられて顔をあげる。


「信じられない。こんな場所にスーツなしで子供がこられるなんて」

「東城。向こうのガルム三頭を倒したの、彼じゃないか」

「君が、やったの?」

「……金が、いるんだ。妹が、病気で」

「おい、君なっ。ちゃんと質問に」

「織部さん。今ので、私は理解したわ。彼よ。あのガルムを倒したのは」

「えっ。……で、東城、こいつをどうする気だ」

「もちろん連れて揚がります。ガルムD群の巣を潰せなかったのは、残念だけど」

 俺は藁にすがる思いで、白い防護服の腕にすがった。

「なあ、お姉さん。それ潰したら、いくらくれる?」

「えっ?」

「巣。潰したいんだろ。俺がやるから、いくらくれる? 頼むよ。本当に金が、いるんだ」

「妹さんの病名は?」

「宮城の大学病院で、ダンジョン脳症初期だといわれた。もうじきワクチンを買う金がなくなる。妹を上にいるゾンビみたいにしたくないんだ。だから、頼むよっ」

 俺は仏像に拝むように彼らに手を合わせた。防護服を着た二人が、顔を見合わせた。

「わかった。いいわ。立ちなさい」

「東城っ!? 彼は未成年だっ。使えない!」

「いい、よく聞いて。ガルムは残り七頭。行動を指揮してるボス格の大きい個体が一頭いる。それを倒せれば巣を焼き払って潰せる。成功報酬は八十万。それと私のポケットから二十万で、合計百万あげる。どう?」

「わかった。武器は」

「好きなのをいいなさい。重火器は銃刀法で使用不可。それ以外なら調達してくる」

「日本刀。真剣で二尺五寸以下。切れれば業物でなくていい。なまくらなら、とりあえず三本あれば小物はぜんぶ殺れる」

 最初の登山ピッケルはガルム三頭を仕留めて壊れた。

「織部さん。にしゃくごすんって何のこと?」

「えっ、長さだが? あー、もうっ。わかったよ。チェックしてみる。……二尺七寸しかないな。どうする?」

 俺は壁を掴みながら立ちあがった。

「それでいい。どうせあいつらの、あのスピードだ。じきに折れる。あと、水」

「水?」

「喉がからからなんだ。それと、巣までの案内を」

「本気で行く気かっ⁉ 待て。防じんマスクも用意してやる。だが君が死んでも我々は」

 予断を口にする防護服に、俺はかぶりを振った。

「俺のことはいい。仕事はする。あんたらは俺より金の心配をしてくれ。本当に百万、くれるんだよな?」

「ええ約束よ。アーバレスト・ジャパン、東城ミカコの名にかけて」

 バイザーが上がると、琥珀色の瞳が現れた。それから小指を出してきたので、俺も小指を出して、からめた。

「〝結濔ゆび〟切ーった。――君の名前は?」

「冬馬、マモル。ぐ……これっ。あんた今、ちぎったのか?」

「あら、知ってるのね。祖父の家に伝わる古い呪詞ルーンよ。小さなおまじない。こっちも身銭を切るんだから、私たちより先に逃げようなんて思わないことね」


 俺と彼女は、ここから始まった。



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