第16話 サキ傑作集
「世に短編の名手といえばO・ヘンリーである」というのは僕らの世代の常識だったけど、O.ヘンリーの項に書いたようにどうやら世界の評価は変化してきたらしい。こうした緩やかで認知しがたい変化は多くは長い間明確に認識されることなく経過し、何十年も経過した後に不可逆的に認識される。
教育というものは恐ろしいもので、50年もたってから大学全入制度などというものは全く無意味だったということが分かり、道徳教育など笑止千万の愚行であることが若者による様々な犯罪から判明し、「O.ヘンリ-のような小説こそが人格形成に大切だと言うこと」さえ分らない(だってO.ヘンリーを読んだことさえないのだから)世代が生れるのだ。恐ろしいことだ。
まあ、そういう国家形成を選んだのは国民なのだから結果的には仕方あるまい。国家が力を失い、世界の中で埋もれていく方向に舵を取ったことは2・30年前には明白だったのだが・・・。
日本というのは本当に不思議な所があって、その頃に「国家形成に必要なのはブルドーザーではなく、教育だ」という真実は分っていたのに政治家たちが「100%間違っている方向にそれを導いている」ことに誰も文句を言わなかった。その挙句、「教育の無償化」が国を救うなどと言う幻想が未だに
ハードからソフトに利権を移した挙句、どうにも使えない大学と大学生を山のように生み出し「若い働き手」を「おれおれ詐欺師」やら「薬物中毒者」やら「頭が筋肉でしかないアマチュアスポーツ選手」を生み出し、大学制度を崩壊させているのにそこには反省の一欠片もない。それどころか更に事態を悪化させようとしている気配もある。教育という名目の下なら金をいくらでも使い、エセ教育機関を儲けさせ、レベルをどんどんと下げる、それが国家運営のやり方ならば、日本は「終わり」に近づいているに違いない。
まあ、それはともかくとして・・・。あれ?何を書こうとしていたのかしら。ああ、サキについてだっけ。
サキの小説は教科書に載るような
ダールとか、一時流行した「奇妙な味」というカテゴリーに属する小説である。この文庫本の表紙の折り返しには「O.ヘンリーと同じく短編の名手」としてサキの名前を挙げ、その違いとして「読後感はまるで違う。人生の温もりはサキには無縁」という注釈があるが、サキをO・ヘンリーと対比して「短編の名手」と余り考えたことがなくて、なるほど、どういう考え方もあるのだなぁ、と感心した。普通なら宣伝に他の小説家を引き合いに出すのはいかがなものか、と思うのだけど。
しかし、この小説家は日本の読者の嗜好にあった小説家だと僕は思う。有名な「開いた窓」という短編は大胆にも白昼、堂々と「死んだはずの男たちと犬」の幽霊を登場させるという設定が面白いのだけど、サキはこの一編を作るためにきちんと細かい伏線を張っている。
幽霊登場のストーリーを拵える主は先ず「このあたりにお知り合いは大勢いらっしゃいますの?」と被害者に尋ねているのだ。この時点で既に僕らはその主の意図を汲み取らなければいけない。その主は被害者が姉から聞いた「なかにはいい人だっているのよ」の「いい人」の姪という形を取っていて、実は全然「いい人」ではないという設定である。
こうした小説に必要な細部をきちんと作った上で登場人物の「認識のずれ」を丁寧に描き出す。それをごくごく短いストーリーの中に詰め込んであるのだ。そしてそれができないとこういう小説は成立しないのだ。まるでよく出来た打ち上げ花火を見ているようである。
「アン夫人の沈黙」だって「宵闇」だって、そういう細部を作り込んだ上で、最後の一行で読者を椅子から転げ落とすようなパンチラインを繰り出す、このサキ、Hector
Hugh Munroという作家はなかなかのくせ者なのだ。中でもSredni Vashutarという小説は、遠く三島由紀夫の「午後の曳航」を想起させる趣に”les enafants terreibles”と思わず呟かせる印象的な一編である。
確かにサキの小説は教科書に載るような類いのものではないけれど、とてもよく出来ていてこうした知的な文章をたまに読むのはとても楽しいことである。日本ならば星新一の「おーいでてこい」なんかとどこか共通するところもあるかな。
つまらない漫画などよりもずっと良いですよ、頭にガツンとくる、と特に若い人々に勧めたい短編集である。少なくとも馬鹿にはならない。
「サキ傑作集」 河田智雄訳 岩波文庫 赤261-1 ISBN4-00-322611-9
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