第14話 芥川龍之介 「地獄変」「偸盗」「羅生門」
谷崎潤一郎は「源氏物語」によって平安時代を描き、芥川龍之介は「今昔物語」や「宇治拾遺物語」から平安時代を模写した。同じ時代を書きながら、そこに登場する人物は前者が雅びの世界、後者はその時代の下級貴族以下、極端な場合最下層にいる盗人である。同一の時代を描きながら設定が全く異なるというのが興味深い(そして両者に唯一重なる対象が「あの」平中、平貞文であるということはなんとはなしに微笑ましい。*谷崎:「少将滋幹の母」**芥川「好色」)
平安時代というと「源氏物語」や「枕草子」に代表される雅を思い浮かべる人が多いのだろうけど、実際の京都は芥川の「羅生門」に描かれるような荒涼とした風景が日常であったし、
なんだかがっかりするような話だけれど、平安時代の真の自然の美しさは都の外に存在したからこそ、貴族たちは花見に、紅葉狩りに、若草や小松を引きにと、いそいそと出掛けたのに違いあるまい。
宮中には・・・しばしば庶民の侵入を許したものの(そもそも「枕草子」などを読む限り余り厳しい立ち入り制限をされていなかったようであるが)その秘められた奥底には雅に育てられたそれこそ「源氏の君」と女たちが織りなす、我々に
794年、遷都したばかりの都は木の香りに満ち、
やがて水害に弱い
京都という街はそういう歴史を背負った街である。良くも悪くも太々しく生き残った街であり、そこに住んでいる人もなかなかのものなのであろう。田舎からぽっと出の人間にはなかなか受け入れることは出来ないし、受け入れて貰うこともできない場所に違いあるまい。
「今昔物語」などの京を描く古典を模写すると言うことはそういう街を模写することであって、その古典そのものや模写を読み解くということはそういう街を読むことであり、多きに現代に共通する生活と「人間の本質・本性」を理解するという事だと思う。新潮文庫の2冊に収められた計14本の小説は主にそうした時代、そうした街を描いた小説であるが、その中でとりわけ秀でた「地獄変」・「偸盗」・「羅生門」の3本について(少し長くなるが)触れてみることにしたい。
先ずは「地獄変」である。
この一編、恐らく芥川が書いたこの時代の小説、いや芥川全ての小説の中で最も優れた小説といって差し支えあるまい。地獄変の素材は「宇治拾遺物語」巻第三の六「繪佛師良秀家ノ燒ヲ見テ悦ブ事」(並びに十訓抄中巻第六第三五、古今著聞集第一一)であるが、それ自体は文庫本1ページにも満たない短編でそのうえ設定と言い、状況と言い、芥川の書いた筋とはだいぶ違っている。宇治拾遺物語の方を端的に言えば
「良秀という絵描きの隣の家から出火した。自分の家には誰かの注文した仏の絵は焼けるは、裸の女子供がそのままいるは大変な状況なのに自分は逃げ出して正面から火をみているばかり。やがて自分の家にも焼け移った。近所の人が見舞いに来ると『いやあ、大変なもうけものをした。今までは
というような筋立てである。そしてこの良秀は後にその経験を活かして「よじり不動」を描いたという優れた芸術家の「良い話」と読めないこともない。つまり良秀は確かに芸術に取り憑かれた変人かもしれないが、それ以上の狂気を感じさせるような話でもないのである。
しかし、芥川はそこに「堀川の大殿」、「良秀の娘、小女房」「弟子たち」「横川の僧都」「小猿」を配置することにより物語に厚みと凄みを加えたのみならず、時間を超越した「支配」「芸術」「情」を描き出した。そしてそのどの登場人物も見方によっては「異形」である。
良秀その人は天才絵師ながら歪んだ性格の持ち主として紹介される。語り手はこの男を自らを
そして良秀の弟子たち・・・彼らは師匠の「
「だから奈落に来い。奈落には己の娘が待っている」
と寝言を言うのを聞く。そしてその相手は「
また「
やがて、良秀の娘に生じた異変によって、一見鷹揚な堀川の殿こそが「もっとも醜悪な人間」であることを作者は語り手という黒子を通して
ただ「殿」の悪魔性は極めて平凡である。「大腹中の器量」も実は金持ちの派手な行動でしかなく、その実際の器量は「
それに比べれば良秀は少なくとも芸術に
そう思った途端にこの小説は単に「堀川の大殿」の姿だけではなく全ての景色が「反転」するのである。芸術に真摯であり、娘に情愛を掛けたからこそ、良秀は「地獄変」の絵図を書き終えた後すぐに自死する。その絵を見てそれまで彼を批判していた僧都も思わず膝を叩く。その姿はえも言えず醜悪で、オポチュニストの最たる姿なのである。
その僧都の言う「人として五常を弁えねば、地獄に堕ちる外はない」という凡俗な指摘を含めて「通常の価値観」はひっくり返るのだ。だが、価値観がひっくり返ったにも拘わらず良秀が「地獄に堕ちるしかない」という事に僕らは
「人間的」という言葉が一体何の意味を持つのか、少なくともこの小説で「人間的なのは」良秀に似た「猿」である。そして他の「人間」は悪魔であり、或いは地獄に堕ちる運命を背負った
次の「
設定の素晴らしさ、言葉の巧みさは太郎という「
侍は、
この「阿濃」の腹に居る子の父親は次郎ではなく「猪熊の爺」である。だから、婆は爺に子を堕ろさせようとするのである。爺は自分の子である事を悟りながら子を堕胎させようとして、太郎に止められる。婆がそう命じたのは、己の娘や拾ってきた子に手を出すような爺に関わらず爺に執着しているのだ。そして太郎と次郎の女を巡る対立、阿濃の腹が膨れていよいよ子が産まれそうになる、そんなひりひりとする空気の中で「沙金」は太郎を始末するために裏切り、そのために盗みをしくじった一党は瓦解へと進んでいくのだ。
逃げ遅れた爺が殺されそうになったとき、婆は夫を助ける。その爺が助けてくれた自分を見捨てて一人で逃げても、なお夫の名を呼ぶ。女を作り、自分を見捨てたような非道の男をなぜ助けたのか、婆自身にも分らぬうちに婆は舞台を去る。
その盗みの時に乗じて「太郎」を殺そうと誘われた「次郎」は盗みに入った家の者どもの反撃にあい、その中に「沙金」が通じていた者の姿を見、太郎のみならず自分も「沙金」に謀られたのではないかと疑いつつ戦い、犬に追われて命を落としそうになる。兄を殺そうとした自分が犬に食い殺されるのはまっとうな話なのだと絶望に打ち
婆に助けられたにも拘わらず爺は死に、翌日「沙金」は彼女を競い合った筈の兄弟に問い
「どうせみんな畜生だ」
と歯がみした太郎の言葉に集約されるのだろう。
この短い小説の中で驚くほどの人間関係が生れ、壊され、復活し、消え去る。芥川は長編を書きはしなかったが、長編と同じほどの中身をもの凄い密度で収めているのだ。
最後の1編、「羅生門」は本来「羅城門」であるべきだが、羅が網の意を持ち、網のように撚るり合わされる生、蜘蛛の網に囚われるような生を連想してか、いつしか生を当字として表記されるようになった。その羅生門の楼上は「偸盗」では「阿濃」が子を産む場所である。しかし、更に主人公の生きる時代は下ったのであろうか、芥川の文を辿れば「狐狸が棲む。盗人が棲む、とうとうしまいには」そこには女の死骸が横たわっている。その女の「枕上に火を
「今昔物語」巻二十九「本朝付悪行」第十八「羅城門の
その羅生門はまさに荒れ果てている。もはや唐やら新羅やらからの海外使節を迎え、立派な建物で驚かせるような外交も行っていないのであろう、荒れるに任せた楼上には死骸を
こんな世界は当時の京だけの話ではない。芥川が生きた大正の好景気ではインフレの所為で却って人々の暮らしは貧しくなり「米騒動」や「小作争議」が頻発しており失業者に溢れていた。今の世の中では「トー横」やら「グリ下」で心情的には小説の主人公と同じような人が佇んでいる。日本だけではない。世界はそうした景色に溢れているのである。
下人は雨風を避ける「眠る場所」を求め、仕方なしに楼上に登り死人の側で寝ようとする。要はホームレスのようなものだ。そしてそこで女の髪を抜く老婆を見るのである。なんということだ、と男は思い、その行為の意味も知らず老婆を激しく憎む。その時の男はそれまで住んでいた世界の常識で物事を捉えていたのである。主人に
しかし、捕らえた老婆の話を男は聞き男は心変わりをする。(その老婆の話は「今昔物語」巻三十一「本朝付雑事」第三十一「
それを聞いた男の心には「何か」が芽生える。それを表すのが芥川の骨子である。その「何か」を芥川のいうとおり「勇気」と呼ぶべきなのかは分らない。「生きる力」と呼ぶ者もいようし、「畜生道に堕ちたのだ」と
さて・・・その理屈はいったい成り立つのであろうか、或いは成り立たないのだろうか?良くは分らない。だが、世界中で、そして「トー横」やら「グリ下」でも同じ情景が別の形で再現されているのではないか、と僕は思わざるを得ない。自分を捨てた世の中に生き残るために、復讐をして生き残る。そう思わせる世界はこの話の時代に比べて少しは少なくなっているのであろうか?世の中は良くなっているのだろうか?
着物を剥ぎ取られた老婆が白髪を逆さまにして梯子の口から覗いた門の下に広がる「
紹介したのは僅か3編であるがこの2冊には計14編の芥川の話が載っている。その全ては同じような時代の話である。芥川が生きたのは約100年前、随分昔のようであるが、その対象となっている小説の舞台は今から1000年以上前の話であり、芥川の時代から見ても、今から見ても「遙かに昔」の話であることに変わりは無い。そんな時代に芥川がみようとした真実は、今の時代から見ても同じようにみえるのではないだろうか。「芥川賞」の小説を読むのも結構だが、芥川そのものの小説を読むことを僕は強くお勧めしたいのだ。そして僕と共に「芥川からの問い」に答えてくれまいか?
*「地獄変・偸盗」 芥川龍之介著 新潮文庫 あ 1 2
ISBN 978-4-10-102502-5
*「羅生門・鼻」 芥川龍之介著 新潮文庫 あ 1 1
ISBN 978-4-10-102501-8
*「宇治拾遺物語」 中島悦次 校注 角川ソフィア文庫1896
ISBN 978-4-04-401701-9
*「今昔物語」本朝部(下) 池上洵一 編 岩波文庫 30-019-4
ISBN 4-00-300194-X
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