第7話 倉田百三 「親鸞」
その著作における最高峰は最初に出版した「出家とその弟子」であり、今、
倉田は実家が浄土真宗の
もっともこの戦前戦中の時代は、一貫した主義主張を持ち続けるというのは厳しい時世で、哲学に憧れ(西田幾多郎を尊敬していた)をもっていたとしても、哲学者でもなければ思想家でもない、どちらかというと感情に流されるタイプであった倉田百三の考えが「時代」に流されたというのは、致し方ないことであろう。同時代の作家の殆どは同じような道を辿り、思想を
そう書くとなんだか頼りない作家のようにも聞えるが、そういう一方的な見方では真実を辿ることは出来ない。時代はどんな人間にも試練を与える。それは天候のようなもので、豊かな稔りを
さて・・・この「親鸞」を初めて読んだのは20年ほど前になるだろうか、その頃は娘もまだ高校生であったのだと思う。やはり親としては悩みもあり、年頃の娘が奇妙な形で反抗をしたり、心に
しかし、もちろん先述したようにそれに伴う悩みという物もあるわけで、それを抱えたり引き摺りながら人生という道を歩いているときに「親鸞」という仏に帰依し、大変な数の宗徒を率いた僧がやはり同じような悩みを抱え生きていたことを知り、ふと助けられたような気がしたのも事実である。親鸞の一生に於いては娘も息子も思い通りにならず、奥さんとは単身赴任に近い別居・・・まるで現代のサラリーマンの姿と一緒ではないか。
もちろん親鸞が親を戦乱で失い発心して、比叡に入り、やがて虚飾、虚偽を排するがために法然の元へ向かう。院の女臈が信徒になり、逃げたことで迫害を受け日本を転々と逃げつつ布教を続けていくその姿に尊さを覚える読み方もあるのだろうけれど、この書が時代を超えて読み継がれるべきなのは人としての親鸞の姿、僧なのに結婚をし、子供をもうけ、その子供に苦労する。そんな姿が一通りの宗教生活を送った別の名僧と異なった共感を生むのであろう。
この中公文庫版の末尾には武者小路実篤の感想が書かれている。解説とか書評と言うより感想というのが適切な文章で、倉田の死後に書かれた物(というのは「なつかしい友達の一人だった」と過去形で語られているし、「倉田がいきていたら」という表現もある)であるが、温厚な武者小路実篤(かどうかは本人を知らないから分からないけど、あの野菜やらキノコやら達磨を描いた色紙を見る限り温厚篤実な人間に思える)にしては温かくも
「慾をいえば、もう少し表面的でなく」「親鸞が妻子をすてる気持ちは十分にかけていると思わない」「息子と親鸞の関係も・・・ひととおりの見方で」「作者は終わりの方の・・・僕には一番つまらなかった」「求道の精神を満足さして読んできたものは、少しがっかりすると思う」
などと短い文の割にはけっこう作者を
ただ一言言わせて頂ければ、「作者は終わりの方の・・・僕には一番つまらなかった」という部分は「照阿弥陀仏とひんがしの女房との事績」という小説の終わりを飾るエピソードを指すのであるが、倉田百三が「この部分を最も描きたかった」事を知りながら武者小路実篤は意地悪を言っているのである。倉田がこれを描きたかったのは自分を照阿弥陀仏と重ね合わせているからで、武者小路実篤はそれに気づいていながら不快を表しているのであろう。
この本の本質を親鸞の伝記として捉えることなく、あの高僧として名高い親鸞でさえ一人の人間として一人の親として、どこか道をふらふらと踏み外しながら情けなくそれでいて高貴に生きていたとのではないか、とやっぱり「ふらふらと生きていた」倉田百三が描いているのを読むと、不思議なことに、人間というのはそうした側面があるのだよ、それでもいいじゃないか、と思えてくるのだ。
「親鸞」 倉田百三著 中公文庫 B 2 13
ISBN4-12-204728-5
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