おやき狩りに早くも暗雲
日も傾き、やや薄暗い諏訪湖SAの喫煙所。
私は脳内の全ての私を招集して、全私で緊急ミーティングを行った。
この時間では諏訪大社周辺の店も閉まっているだろう。
土産物屋だって同様だ。
地元のスーパーの惣菜コーナーでも見てみるか?
とりあえずこの状況を打破しないといけない。
もしくはまだ旅の始まりだし、この企画そのものを打ち捨てて単なる旅行にするのもアリじゃないのか?
そうだ、どうせカクヨムでは近況ノート等で事前公表していないんだ。
こっそり無かったことにしてしまわないか――。
しかし私が出したその議案を私は却下した。本案は私の反対多数により否決する。
だとしたら長野県さんに大変な失礼を働くことになる。
それはすなわち、私自身もおやきへの愛や信頼を捨てることになる。
だけど食べなきゃ死んじゃうのも仕方ないので、いきなりのルール変更だが、ここ諏訪湖SAで明日の朝食も含めた野沢菜おやきを複数個買おう。
本当は1店舗あたり1個なんだけど、いちおうルールに則って野沢菜しか買わないからいいじゃん、ということにした。
いわば修正案だ。これなら可決。
明日からはもっと余裕をもって野沢菜おやきのストックをしておこう。
などと焦る私の目を曇らせていたのか。
物産コーナーの冷凍もの以外に、出店ブースとして「安曇野おやき・いろり堂」さんのお店が目に入った。
しかもバラ売りをしている。これ幸いとばかりに購入。
まずは普通の野沢菜。そして辛味噌の野沢菜。
もうひとつは偶然にも最後の一個だったプレミアム品「信州牛」。
前回の旅で「牛すじ」というのを食べているので厳密に言うと牛カブりしているのだが、いやこれは違う。なにせ信州牛を謳っている。だから牛すじはどの牛かもわからない牛のあくまで部位だから、信州牛おやきはまごう事無き信州牛なのだ。
とりあえず初日の新種おやきは4種類。
「鹿肉」「紫花豆」「チョコ」「信州牛」だ。
ちょっとこれは厳しい旅になりそうだ。様々な反省を踏まえ宿に向かう。
ビジネスホテルといえばお馴染みルートインホテルさん。
Pontaかdポイントが100円(税抜)ごとに3ポイント貯まる高レート。
今回はJAF会員優待を利用したのでベストレート料金から10%オフになり、さらにソフトドリンクが無料で買える専用コインも付いてくる。そこにPontaカードを提出して支払いをクレカ等にすればポイント二重取りも三重取りも可能だ。
ポイ活には最適だし、おまけに朝食バイキングが無料でつくビジネスマンの出張にも旅行客にも心強い味方だ。
しかし今回はおやきしか食べてはいけない旅。
泣く泣く朝食券は置き捨て、電子レンジをお借りする。
さて、旅のルールでは運転が終わった後の晩酌はセーフ。
なのでせっかく長野県さんにお邪魔しているのである。おやきしか買って食べないのでは申し訳ないので、各地で晩酌用の地ビールを購入していた。
普段の私はサッポロビール党なのでサッポロさんの商品を飲む機会が多いのだが、今回は晩酌も長野県縛りにしてみた。
地ビールに加えて小さな地酒一合瓶にワインも同じ小さなサイズのものを買った。
コルク抜きが無くても飲めるワイン。こういう気軽さが良い。
しかし地ビールはビンの栓抜きが無かった。非常に迂闊であった。
ダメ元でフロントで尋ねてみたら栓抜きを貸してくれた。
素晴らしい。
さすがは母方の実家よりも泊まり歩いたルートインホテルさん。
というわけで、レンチンして解凍したおやきを3個いただく。
もちろん翌朝も朝食バイキング会場を尻目に、いそいそと電子レンジまで向かいチンした。
紫花豆は熱の通った豆を濾して皮を除いたものがまるで白あんに似た優しい甘さとほろほろ加減が嬉しいひと品。
おまけに中に一粒、まるまる茹でた紫花豆が入ったおまけ付きだ。
信州牛はうーん……鹿肉と同じなんだけど、アレなんだよな……。
こんなこと言ったら失礼なのだが、瞬時に脳内に浮かんだのは井村屋の肉まん。
数少ない動物性たんぱく質フレーバーである。もっと肉感が欲しいところだ。
野沢菜は細かく刻んだものを油と味噌で和えて、そこに胡麻とかたまに人参や大根らしきものが入ってたりするくらい。
普通の味と辛い味。もはや違いは辛さくらいだった。
やはり私の肌感覚としては南の方は赤味噌、北の方は白味噌の比率が高い。
無論、中には醤油とごま油と刻み唐辛子で味付けしたとおぼしき炒め野沢菜なんて変化球っぽいものもあったのだが、大抵は味噌で整えてある。すなわち郷土料理なのだから、その家のおやきのレシピがおやきの味の全てなのだろう。
明けて4月25日(火)、8:30。
まずは聖地巡礼とばかりに諏訪大社の上社本宮に向かう。
建御名方命と諏訪信仰、そして母神の奴奈川姫、さらには出雲の国譲り神話などを調査していくなかで長編小説を発表するに至ったのは、当然の帰結とも言える。
まぁ作品は過去転移もののファンタジーだけどさ。
まずは御礼参り。
おみくじは中吉。可も不可も無く。
なにより寺社仏閣は静謐とした朝が良い。
観光客が多い時間帯なんてありえない。
しかし周辺の土産物屋もまだ開いていないなんていうこともあるけどね。
コソコソと開店準備中のお店を覗いたところ、せいぜいが食べたことのあるフレーバーばかりだったから仕方ないと割り切った。
他に門前町が賑わっていると言えば下社秋宮である。
しかし先に書いた通り、今日のお宿はカーナビが115km先を示す中野市だ。
諏訪詣ではこのあたりにして、先に進むとしよう。
長野自動車道を北に車を走らせて、松本市の少し先。
ここも同じメンツばかりだ。とりあえず野沢菜を確保しておく。
そこからおよそ30km先の
国道403号線で来た道を戻る方向に進めば、
うーん、ここもいつものメンツ。なのでさかきたでも野沢菜を確保する。
さらに道を南下して今度は国道19号に乗る。
途中、県道に沿って行くと道の駅「いくさかの
ここのおやきはナスと野菜ミックスのみで、野沢菜すら無かった。
いずれも前回食べたフレーバーなのでこれは完全にアウト。
次の道の駅は「長野市
ここも全て食べたフレーバー。なので緊急食糧としての野沢菜だけ購入。
さらに次は「信州
ここは直売所が大繁盛しているうえに、ちょうど昼時だったので大混雑。
車もなんとか停められて、ほうほうのていで店の中に向かう。
地元のおやき屋三軒が商品を卸しており、期待値大だったのだが、残念ながらどれも食べたフレーバーばかりだった。しかし昼時なので一個食べておこう。
「丸和」さん、「松六」さん、「いっぽ」さんのうち丸和さんの野沢菜おやきを購入する。
おっと、ここで急に白味噌ベースの野沢菜登場。
やはり私の「長野県は北に向かうと白味噌多い説」は有力ではないか?
今度は県道475号線に移る。
前回も通ったおやき乱獲ゾーン。
ここから
まず道の駅「
これはスマホで調べなくても私でもわかる。いわゆる
やはり季節は春到来ということで、前回とは違い春の野草フレーバーをゲットできるチャンスも大きくなっているではないか。
よっしゃ、さっそく食べようと思ったが、そこで手を止める。
万が一、今後も新種が捕獲できなかった場合、夕食や朝食に野沢菜のおやきばかりを食べるハメになってしまう。なのでのびろは念のために取っておこう。
さて次の道の駅は
その手前に大きな看板を発見した。
「小川の庄おやき村」とあるではないか。
なんとここは前回の旅でスルーしてしまっていたな。とんだ失策だ。
看板に
店はやってた。営業している。しかし昼の十二時だと言うのに、客は私ひとり。
あぁ、これ買わないと出れないやつだろうな。
気の小さい私は、買い物もせずに眺めて店を出るのが苦手だ。
まぁ新種があれば良いわけだし、最悪、野沢菜だけは購入できるから今回は平気。
中は大変にご立派な造りだった。
木造、茅葺き、レトロな住宅風店舗の中で薪を焚いていることで、お店の中の柱や梁は煤が飛び黒々と輝いている。
併設されている飲食店では蕎麦なんかも食べられるみたいだが、今の私はおやきを求めて彷徨うジプシー。おやき放浪記だ。
逆に平日の昼間に突然、客がふらりと来たらお店の人もビビったであろう。
案の定で申し訳ないが、飲食もせず野沢菜1個だけ購入して店を出た。
で、またウネウネ急勾配の山道を降りて、道の駅「おがわ」に到着する。
ここもいつものメンツだ。
やはり前回の旅で33種類も捕獲していると食べ尽くした感がある。
これ、あとどれくらい新種をゲットできるのだろう。
「おがわ」さんでは夕食・朝食用ストックの野沢菜を買う。
その代わり先程「小川の庄おやき村」で購入した縄文おやきを頂こう。
前回の旅でも何度か目撃して購入していた縄文おやき。
気になるその直営店のお味は……おっ、皮が凄く厚い。
おまけに薪から焚いた火で焼いているから表面には焦げ目がついてパリッとしている。バケットの堅いやつって感じだろうか。ただしその厚い皮の先に待っているのはいつもの野沢菜。
白味噌風味、赤味噌風味、醤油風味……あらゆる野沢菜が襲ってくる。
正直なところも早くも野沢菜師匠に飽きてきている自分が居た。
さて、ここからはさらに山登りの時間だ。と言ってもクルマがだけど。
県道36号線の苛烈な山道を走り抜け、鬼無里に向かう。
前回の旅では逆ルートから来ているので道の大変さはよく知っている。
途中のビュースポットで車を停める。
前に立ち寄った際は11月。立山連峰は既に雪化粧をしていた。
そして今回は4月下旬。なのに山々はまだ冠雪している。
こうして6年半ぶりに同じ場所で見る景色なのに、立山黒部アルペンルートは一年の大半が冬なんだなって実感するふたつの光景だった。
13:25、無事に鬼無里に到着した。
そして待ちに待った「いろは堂」さん本店に寄るのだよ。
――って、おい! 本日休業?
これもこの旅あるあるの苦労だ。
なにせスマホで調べものもできない。
今日は鬼無里本店がお休みだなんて事も知らずにノコノコやって来たのだ。
『せっかく鬼無里まで来なさったのに』
こんなダジャレを脳内で言わずにはいられない。茫然自失とタバコを吸う。
まぁこれも世の習い。
諦めて善光寺に向かおう。
参道にある土産物屋を物色するのだ。
そして長野駅MIDORIにも寄る。それがいつものコースだ。
国道406号を東へと進める。
牛に引かれて善光寺。
外国人観光客も多い。長野ではない方言の日本人も多い。
すっかりと世間はアフターコロナになりつつある。
やっぱ経済もある程度、回していかないとね。
まずはお参りから。今回は久しぶりにお
久しぶりと言っても、それは今から約二十年前。
しかも学生時代に友人と寄った
それは本堂に坐す御仏の真下、真っ暗闇の回廊を歩くというものだ。
あれだけ大勢の観光客が押し寄せて、皆一様にお戒壇巡りチケットを購入していたのに、私が行った時だけ突然ぱたりと人の往来が止む。
結果としてなぜか独りで歩くことになった。前後に観光客の姿は無い。
ちょっとさすがにひとりぼっちは怖いんですけど。
誰か来ないかな、と思って待っても声はすれど誰も来ない。
先を行く観光客はもうとっくに居なくなっている。
孤独や恐怖との闘い。それは無限に続く野沢菜おやきとの闘いとも言えるかもしれない。その先に悟りがあると信じて歩を進めるしかなかった。
怖いから順路を逆に戻るなんて観光客はたぶん居ないだろう。
これ、青森県に旅行にいった際に、似た体験をしたことがある。
青森駅の港には旧国鉄時代に使用されていた青函連絡船が係留されていて、船内はそのまま展示室になっているというある種の船の博物館みたいなものだった。
順路を進んでいくうちに船体の底、海面よりも下にあるボイラー室を経由していくのだが、やはり平日の休暇旅行だったので、観光客の数もまばら。周囲には誰の姿も無い。
そしていま自分は海面より下に居る。
おまけに現役で稼働していないとは言え、間近にはボイラー室がある。
もしこれがいま爆発したら――。
もし船体に穴が開いて水が入って来たら――。
映画「ポセイドン・アドベンチャー」さながらにパニックに陥った私は、頭を押さえて背を低くして駆け足で船倉ゾーンを通り抜けた記憶がある。今から十年も前の話だが全く成長していない。
またしても、ほうほうのていでお戒壇巡りを終えた私は、きっと一皮むけて人間的に少しだけ大きくなったのだろう。
とにかく参拝が済んだら、門前町のお土産屋の物色するのみ。
すると私はここで思いがけない再会を果たすことになった。
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