第2話 全世界を敵に?

──高校入学の直前に、俺はひとり暮らしを始めることになった。


元々両親はおらず祖母宅で暮らしていたが、そんな祖母も俺の中学卒業を見届けてくれると共に他界。悲しい別れではあったけど、時間が経てば俺の心は新生活への意気込みに満ちていた。




──そんな矢先の異世界転移だった。




高校の体育館での入学式が終わり教室に戻る途中、急に【もよお】してトイレの個室に入るのが俺の運命だったのだろうか? 次の瞬間に俺が居たのは見知らぬ中世ヨーロッパ風の内装をした広間の魔法陣の上。


『おおっ、異世界より来たりし勇者様よ! この世界をお救いくだされ!』


気づいたら俺は召喚されていたらしい……いやあ、びっくりしたよね。ウンコも引っ込んだ。


あれよあれよという間に俺は勇者としての宿命を背負い、剣と魔法の異世界で日夜モンスターたちとの戦闘に明け暮れ、魔法習得をし、レベルアップを重ね、魔王軍に挑み──そして魔王を倒した。




「──さて」


とまあ、そんな回想を少し挟みまして。


そういった【異世界帰り】の事情から、当然の結果として外国人の男は白目を剥いて地面に横たわっている。なにせ、異世界でのレベルアップやそれに伴うフィジカルや魔法は、現代に戻ってきても引き継がれているのだから。


……しかしなぁ。ケンカが多少強くなったからなんだっていうんだ? いくらケンカが強くても、現代こっちじゃそれで友達や彼女ができるわけじゃない。せいぜい、今回みたく身の回りに降りかかる火の粉を振り払えるくらいだ。


「……何はともかく、大変だったね。ケガはない?」


「え……えっ」


俺が声を掛けると美少女は口をポカンと開けたまま、俺と外国人の男へと視線を行ったり来たりさせる。


「あ、あなたこそさっき蹴られて、ケガ……」


「俺? ああ、大丈夫。鍛えてるから」


それも、異世界でゴリゴリにね。異世界生活1カ月目でダンジョンのトラップを踏み抜いて200キロ級のモンスターたちに囲まれて小1時間リンチされた時に比べれば、元プロキックボクサーの一撃など大したことはない。


「それよりも、君は大丈夫? さっき強く手を掴まれてたみたいだけど……ちょっと見せて?」


「え……あっ」


ヒョイと、美少女のその腕に軽く触れさせてもらう。とても細く、白く、そして柔らかな腕だった。


「……やっぱり。ちょっとアザになってる」


外国人の男はどうやら結構な力を入れてこの子の腕を掴んだらしい……ったく、女の子は丁重に扱えよな。男の風上にも置けんぞ。


「ちょっと待っててな……これと、これで……」


「あなた、ちょっと、なにして……」


俺はハンカチを取り出し手早く縦に裂いて細長く包帯がわりにすると、それに先ほどコンビニで買っていた冷たい水をかけ、軽く絞ってからアザの箇所へと巻き付けた。


「とりあえず応急処置ね。まだ薬局がやってたら湿布を買いに行けるんだけど……」


「……あ、ありがとう」


美少女は呆気に取られたように患部を見た。


「ずいぶんと、手慣れてるのね?」


「まあ、【異世界むこう】じゃ貼るだけで患部を冷やせる湿布とかなかったから、そうやって代用してたんだ」


「向こう?」


「ああ、いや……なんでもないっす」


……危ない危ない。思わず異世界の話をしそうになってしまった。


さすがに急にそんな話をし始めたら神経を疑われるだろう。いや、精神か。とにかく頭のおかしいヤツだと思われることは請け合いだ。


「ところで夜の繫華街ってやっぱり治安悪いね。場所を変えない?」


「ええ、それはそうね……早くここから離れた方がいいわ。【下っ端】が寄越されたということは、この町ももう……」


「下っ端?」


いったい何の話だろう。最近は組織立ってナンパをする輩でもいるのだろうか? まあ何であれ、厄介な連中には関わらないに越したことはない。まだこの近くでこの外国人の仲間がウロついているかもしれないのであれば……


「どこか……ファミレスとかに入る?」


「……ファミレス? どうして?」


「あ、ゴメン。やっぱり変かな……。俺、実はこれまで女の子と町を出歩くことなんて無かったから、どういうお店に行けばいいのかとか全然知識なくて申し訳ない……」


「……いや、そうじゃなくて。なんで私があなたといっしょに行動することが前提になっているの」


「えっ?」


「『えっ?』じゃないわよ……最初から言っているでしょ。ナンパなら他を当たって、って」


呆れたように美少女はため息を吐くが……そこに、出会った最初の時のような冷たい感情は感じられなかった。むしろ、


「おかしな人ね、あなた」


そう言って、柔らかに微笑みさえした。


「……!」


……やっべぇ可愛い。というかこれはあれか? 少し親密度上がった? いやでも、ナンパなら他を当たってと言われてしまっているし……結局、失敗なのだろうか。


「そこの男から助けてくれたこと、本当にありがとう。でも、これ以上私には構わないで」


「えっ……」


俺が言葉を返す前に、しかし、美少女はそう言って背を向けた。


「いや、でもひとりじゃ危ないから……」


「いいえ、違うわ。これ以上私に関わって危ないのは……あなたの方なのよ」


「……危ない? いや、でも今危なかったのは君で……」


美少女は振り返ると、微笑んで返した。


「あなた、悪い人じゃなかったわね。さっきはごめんなさい、ただの軽薄なナンパ男って勘違いして」


「いや、それは……」


実際俺もナンパ男には違いないわけで。あながち勘違いでもないわけですが。誓って軽薄ではないけれども。


「きっとその内にお似合いの女の子が見つかるから……私はやめておきなさい。今ならまだ赤の他人に戻れるでしょう」


「でも、俺は君のことをひと目見て──」




「──たとえ【全世界を敵に回す】ことになったとしても? それでも私を選んでくれる?」




「……っ?」


……全世界を……敵に回す? 【全世界】って言ったよな、今?


どういうことだ? 質問の意図が分からない……なんだよ、【全世界】って?


だからこそ、俺はとっさに返すひと言に詰まってしまった。


「……冗談よ」


そんな俺を見て、美少女は軽く肩をすくめると路地裏を歩き出す。


……その表情が悲しげに見えたのは、すでに彼女に入れ込みすぎている俺の目の錯覚なのだろうか。


「た、助けがいるようになったら、俺、いくらでも手を貸すから!」


俺は美少女の後を追えなかった。先ほどの問いにとっさに答えられなかった時点で、そうする資格が無いような気がしてしまって。


「ありがとう。じゃあね、丸山コウくん」


美少女はそう言うと、路地の角を曲がる直前、最後に再び微笑んだ。





──俺が次にその路地の角を覗いた時には、もう彼女の姿はどこにもなかった。

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