追憶の君は今日も笑ってサヨナラを言う
「素敵な歌ですね」
始めて会った君はそう言って笑った。
僕は照れくさくて少ししか君の顔が見れなかった。
あの時ほんの一瞬見えただけの、胡桃色の瞳が五月の陽射しに透けて光っている様を僕はずっと忘れないだろう。
「また来ます。サヨナラ」
そう言って君はスカートを翻すと、友達の方へ駆けていった。
砂利を蹴る音が遠ざかるのを聴きながら僕は次の曲を歌った。
なぜか高揚する自分がいて、それは楽器に伝わり、歌声に艶を与える。
その日始めて僕の周りに人集りができた。
次の週も君はやってきた。
僕が後で少し話せないかと聞くと、君の胡桃色の瞳が大きく見開いた。
「かまわないよ」
その返事がどれだけ嬉しかったか。それだけのことでいったい何曲の歌が作れるか君には想像も出来ないと思う。
それくらい僕は嬉しかった。
しばらくしてから僕らは付き合うことになった。
僕の告白を聞きながら君はクスクス笑っていた。駄目かと思って肩を落とす僕に君は言った
「じゃあ今から恋人どうしだね」
別れ際、君は相変わらず笑ってサヨナラを言う。またねじゃないのが少しだけ切ないけれど、そんな君も大好きだった。
恋人どうしになった帰り道、一人夜道を歩く僕が無駄に飛んだりパンチを放ったりして、かなり危ないヤツになっていたこと、君が知ったらどう言うだろう?
それから僕らは二人で色んな話をしたんだ。
バンドの新譜、新しくできたカフェ、古い雑貨屋、友達の話。
だけどそのどんな話より、君は僕のことを知りたがった。
僕が何を思ったか、僕がどう考えた、僕はどうしたのか、そんなこと。
その度に僕は知らなかった自分や見て見ぬふりをしてきた自分に出会う羽目になった。
ある時は本気で腹が立ったり、すごく悲しくなったり、固まってしまうこともあった。
だけどその度に新しい歌が生まれて、それを君は本気で喜んでくれた。
そんなある日のことだった。
「今日の曲、今までで最高だった」
君は目尻の涙を拭いながらそう言った。
「きっとね、この曲が生まれるために私達は一緒になったんだよ」
真剣な眼差しの君に僕は大袈裟だよって言った。
君は黙って首を横に振ってから、大袈裟じゃないとつぶやいた。
「絶対この曲のために私達は出会ったんだよ」
帰り道で君はまた蒸し返した。
それを認めたらもう目的が達成されてしまって、君がいなくなるような気がして、僕はそのことに同意したくなかった。
大袈裟だよ。そう言って僕は笑った。もっといい歌これからもいっぱい作るよ。そう言って僕は立ち止まった。
数歩先で止まった君は少しだけ寂しそうな顔をしてから頷いた。
駅の改札で別れる時、君はいつも通り笑って言ったんだ。
「じゃ、またね。サヨナラ」
それが僕らが交わした最後の言葉だった。
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