第二手記 倉庫、物資
――彼がいなくなってしまったことが、私には悔まれてなりません。
彼は私の親友と言えるような人物でした。いつもいつも、研究に明け暮れていた私を手伝ってくれました。一緒に未調査の階層を調査したり、幾度も幾度も、命の危機に遭った私を助けてくれました。今思えば、私はそんな彼にお礼すら言っていませんね。もう、彼にお礼を言うことなんて不可能なんですが。
彼はLevel9の大規模な調査時に消息を絶ちました。彼はLevel9内の家に入った瞬間、いきなり別の空間に飛ばされたと同じ調査隊員が報告してくれました。さらに、短くはありますが、別の空間に飛ばされたと思われる彼と連絡が取れました。そのログは、貴重な未発見の空間の情報として保存してあります。
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[MEG調査隊員;フォースン・ミフスと連絡時のログ]
ログ開始――
「あー、えーと......ウォース、聞こえてるか」
「はい、不安定ながら連絡は取れています。現在の状況を」
「はいよ。えーと、見た感じは民家の中なんだが......妙に赤いな」
「なるほど?赤い見た目をした民家ですか」
「あぁ、うん。そんな感じだ」
「他には?」
「えーと、今、同じく飛ばされた奴らが数人いる。まあ私含めて10くらいでいるわけなんだが......」
[エンティティと思われる金切り声]
「あぁ、クソ!いったん離れる」
「ミフス隊員!いったい何があって......」
[ここで連絡は途絶える]
――ログ終了。
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夢なんじゃないかと思った。
普通に考えて、こんな空間にエレベーターなんて無いはずだ。
でも、ある。確かにそこにエレベーターがある。
私は逡巡する。エレベーターに乗るべきか、否か。エレベーターに乗ることで、このLevel0から脱出できるとも限らない上に、別の空間に行ったとしてもそこが安全とは限らない。もしも危険な空間だとしたら、妻と娘に会うという希望が潰えて死が待っているんだろう。
しかし、ここで立ち止まっても一生出られないかもしれない。
それなら、入る他ないだろう。
私はエレベーターに乗り込むことにした。
願わくば、安全な空間でありますように。
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私は、この空間を出ることが出来るかもしれない。
私はここでエレベーターを発見した。
今からそれに乗るつもりだ。きっとエレベーターの先が安全な空間であるように、祈りながら。
だから、一応この手記を残しておく。
これの他にも私が書いた手記が、この空間にあるはずだ。
だから、これを他の人が見てくれることを願ってる。
――フォースン・ミフス
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エレベーターが止まると同時に、チャイムのような軽快な音が鳴る。エレベーターの、固く閉ざされた扉が開く。
そこは、倉庫のような場所だった。様々な箇所に蛍光灯が設置されており、床と壁はコンクリートで、所々で鉄筋が剥き出しになっている。あの黄色単色の狂気的空間とは打って変わって、一つ一つの空間が大きく感じられた。何故か霧が発生していて、床には水溜まりまで出来ている。Level0では見なかった、階段や扉もあった。
私は、探索を始めた。
不安を掻き立てるような雰囲気。ちらつく蛍光灯。自身の心臓の鼓動さえ聞こえてしまうような無音、否、未知に対する恐怖によって私の心臓の鼓動は大きく、速くなっているのだ。
それらを無視するために、私は少し足早に歩く。
コンクリートの壁に取り付けられている扉、それを見つけた私はドアノブを捻る。 鍵が掛かっているわけでも無いため、すこし軋むような音を立てて扉は開いた。
幅が狭い道、まるで廊下のような空間だ。床には箱が置いてある。私は箱を開ける。そこには、少量ながら物資があった。
一つ目は缶、ラベルには「アーモンドウォーター」とラベリングされている。賞味期限の心配もなさそうだ。これは貴重な栄養源である。
二つ目は医療用品、救急箱や絆創膏である。無いよりマシだろう。
三つ目は懐中電灯、これで万が一暗い場所を探索するとなっても周囲を照らせる。
他にも防水シート等があったが、残念ながら持ち運べない。
何故か人の髪の毛のような物体も入っていた。さらに、髪の毛が何か別のものに絡みついている。髪の毛をほどいて、件のものが何かを確認する。
それはビデオカメラだった。誰かの所有物だろうか。もしかしたら、何か脱出のヒントになる映像が録画されているかもしれない。ビデオカメラの電源をつける。バッテリーは生きていた。そしてそこには、一本の動画が撮られていた。
私はそれを見ることにした。
その画面には、倉庫のような空間が映っていて――
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――もう慣れた水溜まりの音や、蛍光灯の点滅。
僕は、この倉庫のような空間を歩き続けている。
世界から外れ落ち、黄色単色の空間に放り出された僕。しかし、数時間も経たぬ内にエレベーターを発見した。そして、この場所についた。
正直、またすぐに出口なんて見つかるだろうと思った。
あの黄色単色の空間でエレベーターを見つけて、調子に乗っていたのである。
しかし、出口は見つからぬまま、疾うに6時間は経過した。
僕は心身共に疲弊し、一度休憩することにした。
この倉庫のような場所で、時々見つけた木箱の中にあったアーモンドウォーターを飲む。相変わらず不思議な味だ。しかし、自然と活力が漲ってくるし体力だって回復した気がする。この飲み物の効果、仕組みは分からないが偉大である。
僕は気を取り直して探索を始めようとした。
歩き始めて2時間ほど経った頃だ。そろそろ出口が見つかるかもしれない。
しかし、それよりも先に異変が起こった。
いつもよりも激しく点滅する蛍光灯、暫くそれを繰り返して、一斉に蛍光灯の明かりが消えた。
「ひ」
思わず喉から音が漏れる。暗闇に飲み込まれ、視覚からの情報はほとんど無くなった。が、そんなことよりも暗闇が周りの景色を閉ざしたことに僕は恐怖した。僕は昔から、暗闇は苦手だった。真っ暗で何も見えない中、何か得体の知れないものが自分を見ている気がして。だから僕は、暗闇が嫌いで、今までそれを避けてきて。
しかし、突如として明かりが消えて、それは決壊した。恐怖で足が竦む。動けない。怖い。
しかも、周りから足音のような音が大量に聞こえる。自分は暗闇で何も見えないのに、周りの足音はまるで視覚の情報を伴ってこちらへ向かって来ているようだ。
足音が、怖い。周りを照らす道具が欲しい。
今すぐにでも、走り去ってしまいたい。しかし、周りの足音は徐々に増えてきて、数を伴って囲まれたら逃げることすらできなくて。だから――
――痛みを感じても、動くことは出来なかった。
「あああああああああああああああああああああ!」
痛みに悲鳴をあげる。まるで何かに思い切り噛みつかれたみたいに、否、噛みつかれたのだ。一度嚙みつかれたことを発端として、今度はさっきよりも遥かに多い箇所が痛みに支配される。そして、また増えて。増えて。群がられている。もはや数えることすら億劫だ。
血走った目で周りを見る。暗闇に紛れて、影のようなものが見えた。それが自分に噛みついているのだ。
血が流れる感覚がある。肉が剥がれる音が聞こえる。
痛覚が全身を飲み込んで、もはや抵抗する余裕すら消え失せて、否、そんなことはどうでもいい。今はこの痛みから逃れるすべを探さなければ。痛みに主導権を奪われた頭を必死に回転させる。どうすればこの痛みから逃れることが出来る?どうすれば痛みの連鎖から解放される?思考が白熱して必死に答えを探す、まるで頭を回転させすぎて起こった摩擦が脳を焼いているようだった。熱を帯び始めた思考、しかし、それはすぐに冷える。肉の断面に空気が触れて、痛みと共に冷たさが伝わってくる。冷気を帯び始めた思考、しかし、それはすぐに加熱されて――。
交互に切り替わる感覚、今度はそれを感じる余裕が消え失せた。今は、痛みだけが伝わってくる。
――痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!
「あ゛、がああああああああ!」
口から情けなく、汚い悲鳴が漏れる。もう体に力が入らない。膀胱が緩んで、股間から温かい液体がアンモニアの匂いを伴って湯気をたてる。顔は苦痛に歪んで、涙と鼻水でドロドロになっていた。噛みつかれた腕が噛み千切られる。次は足だろうか。
「――ぁ」
声にならない声をあげる。なんで僕がこんな目に会わなければならない。僕は普通に生きてきただけなのに。罪を犯したこともないし、他人のことを蔑ろにしたこともない。僕はこのまま親孝行をして、幸せに生きていく筈だったのに。苦しい。辛い。ただただ痛い。
肉体を引き裂かれ、心はズタボロになって。目を瞑っていて良かった。きっと、自分の状況を見てしまったら、心は完全に破壊されてしまうから。
肉が食い千切られる音、血がドクドクと流れる音。肉が咀嚼される音、血が啜られる音。
もはや痛みは感じなくなった。はっきりと生きているのは聴覚だけで、今でも際限なく自分が死んでいく音が聞こえる。
このままゆっくりと、意識を手放して。こんな地獄から解放されて。
意識が完全に無くなるまで、自分が食われる音を聞いていた。
自分が食われている音を聞いていると、やけに他人事のようだが、とても不快に感じた。
――不快に感じて、それ以上は何も思わなかった、否、思うことが出来る状態では無くなったのだ。
プツリと頭がブラックアウトした。
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「う」
私がそれを見終わった瞬間、猛烈な吐き気がした。気持ち悪い。
ビデオカメラに残されていた動画は凄惨なものだった。同じくこの地獄に迷い込んだ人間が、得体の知れない何かに体を食われる、そんな最悪な内容だ。
私はスプラッターが得意では無いし、そんなこと関係なく悲痛な叫びを聞きながら体が壊れていく様を平気で見続けることが出来る健常者なんていない。
またあの光景を思い出して、ついに私は吐いた。喉が焼けつくような感覚の後、黄色い胃酸が口から溢れた。それと連動して、涙が勝手に出てくる。
もしも、出口を見つけることが出来なかったら、私も彼のように惨い死に方をするのだろうか。あの暗闇の中、私は正気を保っていられるのか。懐中電灯で周りを照らすことは出来るが、果たして効果があるのかも分からない。おそらく、囲まれてしまったらどうすることも出来ずに、死を迎えるだろう。
そして改めて思う。ここは、地獄なのだと。この階層よりも遥かに危険な階層が、このBackroomsには無数にあるのだ。私の頭は、未知に対する恐怖で埋め尽くされた。このまま私は、無様に死んでしまうのだろうか――
――そんなわけがないだろう。私は妻と娘と必ず再会する。そのためならなんだってするんだと、あの黄色い空間で誓ったんじゃないか。
幾度も想った家族のことを考える。私の目的は、この地獄と相まみえた瞬間から、変わらない。
だから私は前を向いて、また歩き直す。この程度の恐怖で足が竦んでいたら、きっといつか心は折れてしまうから。
怖いなら、娘の笑顔を思い出せ。辛いなら、妻への愛を思い出せ。
そうすれば、こんな地獄なんてどうってことない。
それが分かったなら、一刻も早く出口を探せ。照明が消える前に、私がこの地獄で生きていけるであろうことを証明しろ。
私は、歩き続けた。
私は、歩き続けた。
歩き続けた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ビデオカメラを見て、歩き始めてから4時間が経過した。
また、途中で見つけた箱の中にあった物資を手に入れた。これなら、もう暫く歩いていても大丈夫だろう。
そうして安心していた矢先、私が最も危惧していたことが起こった。
――照明が、いつもよりも激しく点滅する。そして、ついに照明は一斉に消えた。
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