手記

あるままれ~ど

第一手記 狂気との邂逅

 今、私は狂気に侵されている。この手記を書いているのも、淡い現実逃避のためだ。こんな狂った場所から私は脱出したいが、どうにもそれは難しいらしい。

 私は今、真っ赤な家の屋根裏に息を潜めてこの手記を書いている。時折、人間じゃない存在の金切り声が聞こえる。照明も消える。本当に、こうやって現実逃避でもしないと狂ってしまうだろう。

 私はこの狂った空間で様々な存在を見た。暗闇に笑う顔だったり、どこか歪な犬っころだったり。とにかく、私はこの空間で多種多様な存在を見つけた。 

 この真っ赤な家にもその存在はいる。しかし、どうにも数が多すぎる。アイツらがうじゃうじゃ湧いていた空間ももちろんあった。でも、これはさすがに多すぎる。

 しかも、いつもよりも凶暴性が増している。私を見つけると、そいつらは一目散に追いかけてくる。どんな手段を使ってでも、私を殺そうとしてくる。

 必死に尻尾まいて逃げついた先が、この屋根裏部屋だった。ここにもアイツらは馬鹿みたいに湧いているが、比較的に身を潜めやすいため現時点では安全である。

 さて、私は今にも食料が底をつきそうだ。そろそろ腹をくくらないと、飢えでお陀仏してしまうだろう。

 これを読んでいる人がいるかも分からないが、もしも読んでいる人がいるならばMEGで研究員をやっているウォースの野郎に報告してやってほしい。アイツは研究狂いだが、私の大切な友人でもある。この空間のことを報告すれば興奮するかもなしれない。

 ただ、ウォースがこの空間へ行きたいと言っていたら必ず止めてやってほしい。ここはあまりに危険すぎる。おまけにアイツは体が鈍いのだ。きっとすぐ、ここにいる連中に八つ裂きにされてしまうだろう。まあ、こんなところで手記を見つけた奴がいたとしても意味ないか。きっとウォースに届く前に死んでるだろうし。ただまあ、最後くらいは真面目に報告することにする。

 この空間は無限に続く赤い家みたいな空間だ。MEGによる大規模な調査によって、この場所は見つかった。この狂気の世界の10番目の階層、かっこよく言えばLevel9にある家の扉、そこを開けたら確率で飛ぶらしい。ここに来たときの仲間の人数と調査隊員の数からして、0.6%というところだろうか。ここにはいろんな扉がある。ここに飛ばされた仲間の一人が扉を開けたら、死んだ。いきなりのことだった。しかし、別の奴が扉を開けても何もなかった。まあ10人くらいいた仲間のうちの4人くらいしか試してないから分からないが、現時点では扉を開けたら50%ぐらいで死ぬ。それも、残酷にだ。この環境と、先述の凶暴性が増した存在、これらを鑑みるとサバイバルクラスは5といったところだ。絶対に立ち寄ってはいけない場所だろう。仲間の一人は、外れ落ちて脱出しようとしたが、失敗した。というか、この空間の異常性なのか外れ落ちることができない。外れ落ちようとした仲間の一人は、突如空いた虚空に放り込まれた。無理に外れ落ちようとすれば、きっとああなってしまうのだろう。そして、時折照明が消える。照明が消えたとき、自分の心が激しく摩耗していったのを感じたし仲間の一人は狂って走り去った。そのあと、八つ裂きになったソイツの死体を見つけたが今にも私は狂いそうだった(今も狂いそうではあるのだが)ため、無視した。まだ生きている仲間も狂いかけていて、途中途中で一人ずつはぐれた。ソイツらの悲鳴が聞こえた気がするが覚えていない。そして、化け物から必死に逃げていると地下室にたどり着いた。そこに光は無かった。しかし、懐中電灯が落ちていたためそれをつかって探索した。化け物はいたが、一心不乱に逃げた。アーモンドウォーターも落ちていたが、缶が錆びていて開けると酸っぱい匂いがしたから飲まないでおいた。それでたどり着いたのがこの屋根裏部屋だ。光源があるが、非常に閉塞的な空間だと思う。ここから出る方法は分からないし、なんなら出れるのかすら分からない。

 今集まっている情報はこのくらいだ。願わくば、この手記を誰かが見つけてウォースに届けてくれることを信じている。

                  ――MEG調査隊員:フォースン・ミフス

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 その狂気と邂逅したと認識するのに時間は掛からなかった。

 何の気もなしに、ただいつものように散歩をしていただけだった。

 何年も前に出会い、それから毎日のようにこの道を歩いた。とても思い出深い場所でもある。

 私は、日常を謳歌していた。自分のことを常に気遣ってくれる妻に、私の疲れを吹き飛ばしてくれる愛おしい娘がいた。お互いに愛し合っているという自負もあった。

 なのに何故、私はこんな場所にいる。

 散歩の途中で、突如として私を襲った浮遊感。世界から外れて、無抵抗に落ちることしか出来なかった。そのあと、地面に打ち付けられる感覚があって私は今いる空間を知覚する。

 床は湿っている。手触りからしてカーペットだろう。

 白カビのような不快な匂いが充満している。鼻が曲がるほどではないにしても、この空間に長くいることを憚られるような匂いだ。

 頭上からは、蛍光灯のハム音が鳴っている。なぜだろうか、時折けたたましく感じるほど音が大きくなる。しかし、数秒立てば小さくなる。かと思ったらまた......。埒が明かない。

 そして視覚は、私が未知の空間にいることを告げる。一面、黄色。黄色い壁紙が、黄色いカーペットが、それぞれずっと続いていて無限にあるようにも思えてしまう。

 でも、これはきっと、何かの間違いだ。こんな空間があるわけがない。あったとしても、私はどうやってここに来た?この空間を作る意味は?

 そんな意味の無い問いかけをする。一種の現実逃避だ。でも、こんなことをしていないと不安になってしまう。これを夢だと笑い飛ばさなければ、私はここに囚われてしまう。これは、本能に近い脳の警鐘だ。

 もしもこれが本当だったとして、私はどうすればいい。

 私は、ここに囚われたまま過ごさなければならないのか。

 妻を想い、娘を想う。本当にそれだけしか出来ないのか。

 ――否、私は妻と娘に会わなければならない。

 この空間に迷い込んで、私が袋小路にあるというのが本当であるならば、私はここを出て妻と娘に会わなければならない。

 まずはこの空間を受け入れて現状を打破するべきだ。ゆっくりと現実を受け入れて行動するべきだ。

 仮にこれが夢でも、それは僥倖だろう。

 私は、ここを出るための探索を始めることにした。

 

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 不安感から、私は手記を書くことにした。

 居ないとは思うが、念のため、読んでくれる人がいると信じて。

 ここを彷徨って約1時間、私の進捗を報告する。

 出口は見つかっていない。しかし、探索不足が否めないため探索を進めるほかな

い。

 次に、この空間は異常である。この空間は、常に変化している。通った道を引き返そうにも、振り返れば見知らぬ構造になっている。正直、ものすごく不気味だ。

 でも、諦めるわけにはいかない。まだ私は歩かなければ。

 とにかく、読む人間がいることを願ってこの手記を残す。

                  

                  ――フォースン・ミフス


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 歩き始めてから、おそらく3時間ほどが経過した。

 また手記を残しておくことにする。

 出口は見つからない。

 喉が渇いてきた。水が飲みたい。

 持ってきた水筒はもう空だ。

 しかも、この空間に水は存在しない。カーペットは湿っているが、流石に絞り水は飲みたくない。

 体力が尽きかけたため一旦休憩をとることにする。

 頼むから、読んでくれる人が居てくれますように。

                  

                  ――フォースン・ミフス

                      

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 


 正直、心はやさぐれていた。何時間も彷徨って、体力も尽きて、それでも歩いた。

 心が壊れていく。一向に見つからない出口、一向に変わらない景色。それでも歩いた。

 何度も妻と娘を幻視した。何度も何度も。その度に、自分を無力感が襲った。それでも歩いた。

 歩いて、歩いて、歩いて。完全に心は乾ききっていた。

 今にも倒れてしまいそうなほど、辛くて、苦しくて。

 なんならいっそ、ここで......。

 

――だからそこに光明があるなんて思いもしなかった。


 そこは無機質ながらも、モノイエローのみで表現された狂気とは違った。

 そこは小さな部屋だった。明るいベージュイエローの壁紙、小さな木製テーブルといくつかの椅子、そしてウォーターサーバーがあった。大きな蛍光灯が取り付けられており、時折その光度が変わったように感じられる。それが暗くなったとき、強い不安を覚える。それが明るくなったとき、強い安堵感を覚える。

 私はウォーターサーバーを使う。そしてコップを口に傾ける。飲み物を舌で味わう。甘い味、活力が漲ってくる。しかし変わった味である。

 机の上にはパンフレットのようなものが置いてある。この空間についてだろうか。表紙には「MEG」という組織がこれを書いたと著してある。聞いたことのない組織だ。しかし、脱出の糸口があるかもしれない。私はそれを手に取り、読むことにした。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 


 パンフレットを読むと、それはこの空間の未知性において十分な効力を持っていた。私が迷いこんだ未知の狂気、その空間や対処が書かれている。あの黄色い空間の概要もよく分かった。

 ここは現世とは違う、別世界的な空間らしい。これを人々はBackroomsと呼んだ。このBackroomsには様々な階層があり、あのモノイエロー単色で表現された狂気とは景色も特性も違うとのことだ。しかも物資が無いなんてこともザラにあるらしく、この空間に迷い込んでしまった人間の半数以上は飢餓によって亡くなるらしい。

 さらに、この空間には恐ろしい異形の実体も存在している。MEGという組織はこれを「エンティティ(Entity)」と呼んでおり、その存在も当然、多種多様に存在しており獰猛な実体や温厚な実体まで多岐にわたる。出会った時点で即お陀仏なんてケースもあるらしい。見かけたら全速力で逃げるか、対話を試みるか......。しかし私のような一般人にとれる対策なんて碌にないだろう。

 そして、今の私にとって最も残酷なこともそこに書かれていた。――曰く、この空間に迷い込んだ時点で脱出することはほとんど不可能らしく、生き抜くか死ぬか、この二択しか選べないらしい。つまりもう私は、家に帰れなくて、それで野垂れ死ぬか必死に生き抜くしかなくて。なんてことだ。あの娘の可愛い笑顔が見れない、あの妻の温かい愛情を確かめることも叶わない。本当に、なんてことだ。夢なら醒めてほしい。

 暗い暗い絶望に落ちて、もはや私は喘ぐようにしか呼吸が出来なくなっていた。何も、認めたくない。こんな狂気的な空間も、私がそこに迷い込んでしまったことも、きっともう愛する者たちに会えないであろうこと。その重苦しく、逃げ出したくなるであろう、しかし確かにある絶望が。私の心に楔を打ち、決して私を離してくれない。しかもその楔は、想像以上に深く食い込んでいて、それで心がひび割れる。私はどうすればいいのだろう。私は何のために生きていくのだろう、否、生きていく必要があるのだろう。もう、何も、分からなくて。私はゆっくりと目を閉じ――


――目を、見開いた。


もう私の中に、絶望や葛藤、逡巡は無かった。私には、やらなくてはならないことがある。あのパンフレットには「ほとんど不可能」としか書かれていない。それならば、脱出できる可能性はゼロに限りなく近しいが、無いわけでは無いのだ。もしかしたら、この空間から脱出できるかもしれない。もしかしたら、また娘と妻に会えるかもしれない。そう思うと、立ち直れた。そう思うと、希望が湧きあがった。

 行こう、私にはやらなくてはならないことがある。

 私は散歩のときに持っていた水筒の中に入れれるだけの水分を、ウォーターサーバーから確保した。あの不思議な飲み物はパンフレットによると「アーモンドウォーター」というやつらしい。Backroomsの多くの階層に存在している、貴重な栄養源なんだとか。さらに、驚くべきことに一部の解毒作用や処方薬的にも使えるらしい。

 少々話がそれたが、私は部屋から出て(パンフレットによると、この部屋は「マニラルーム」という場所らしい)またモノイエローの空間(パンフレットより、以下、レベル0)に戻ることにした。部屋から出る。レベル0、改めて見ても無機質で、しかし確かに狂気を感じる。そんな奇妙な空気を受けながら、私は歩みを進めた。この空間から、脱出するためならば私はどんな手段だって使おうと胸に誓って。


 ――歩き始めて2時間ほどしただろうか。壁を見る。モノイエローの壁紙に混じって、そこにはエレベーターがついていた。


                     


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