第18話

「言わなくてよかったのか?」


 草原をしばらく行ったあたりで、陛下がこちらを見て聞いてきた。

 私たちの婚約が仮の婚約だということを、お父様に言わなくよかったのか、ということだろう。


「ええ、だって実際に結婚するんですもの。何か問題がありましたか?」

「いや、私はそのほうがいいが、いつ決まった……?」


 陛下が困惑した表情で尋ねてくる。

 その困り顔がなんだか面白くて、私は得意気に返事をする。


「約束したじゃありませんか。故郷を助けてくれたら結婚するって」

「それは必要ないと言っただろう。義理で結婚してもらっても嬉しくない」


 急に真面目な顔つきになった陛下が私を見つめてくるので、思わずドキリとする。こういう生真面目なところは陛下の良いところだと思うけれど、心臓に悪い。

 私は頬を少し赤く染め、視線を逸らしながら答える。


「大丈夫ですわ。ちゃんと――」


 ふとその時、前方からやってくる一団が目に入った。

 前のほうには騎馬の集団、その後ろに歩兵が蛇のように長く連なっている。遠くてはっきりとは分からないが、翻っている深紅の旗はイストグリス王国を表す旗だろう。


 徐々に近づいてきて、はっきりと分かるようになる。先頭にいるのはイストグリス王とニコラン殿下だ。その後ろに数万の軍勢が従っている。国境沿いに待機しているガウラ帝国の軍に備えて兵を割いているとすると、こちらに来ているのは2万少々といったところだろう。


 私たちが動かずに待っていると、彼らは私たちの数メートル前で止まった。そして不機嫌さを隠そうともしない殿下が、キッと私を睨んで声を張った。


「なぜここにいるッ!!」


 それは質問ではなく非難だった。

 思っていたよりも大きな声に、私は肩をビクッと跳ねさせる。ジークフリート陛下は私を庇うように馬を前に出し、答える。


「友を助けるのは当然だ」

「余計な真似を……! 私たちだけで助けられました」


 余計な真似……? 私たちだけで助けられた……!? あなたたちが助けに来ないせいで多くのクラレント兵が命を落としたのよ!? お父様も危うく殺されるところだった! それなのに……!


 殿下の物言いに腹が立った私は、無意識の内に口を開いていた。


「お言葉ですが殿下、私たちが駆けつけた時には既にスパルトは陥落寸前でした。今さらのこのことやって来るあなた方に一体何ができたと言うのですか」

「黙れ! 罪人のくせにッ! 今捕らえてやってもいいんだぞ!」

「やりたければやればいいですわ。でもよろしいのですか? 今捕まえたら、クラレント領を救った私たちに嫉妬して捕まえたと、国民に思われますよ。ああでも、既に嫉妬で私を悪役に仕立て上げた過去がありますから、何も変わらないですわね」

「貴様……ッ!!」


 私の真っ向からの侮辱に陛下の顔は激しい怒りに染まった。眉をつり上げ、瞳孔を見開いた。

 そのまま何か私を罵倒する言葉を発しようとするが、そこに水を差すようにジークフリート陛下が口を挟んだ。


「捕らえるなり殺すなり好きにすればいい。だが一つ忠告しておく。捕らえられる前に、あなた方二人の首くらいは確実に討ち取れるぞ」

「ッ!」


 陛下の覇気に殿下は思わずたじろいだ。

 それを見て殿下には荷が重いと判断したのか、国王陛下が前へ出てきた。


「助けていただき感謝する」

「父上ッ!?」

「我が国を助けてもらったんだ、感謝するのは当然だろう。お前は少し頭を冷やせ」


 そう言われて殿下は黙る。国王陛下の後ろから、恨みがましい目を私に向けてくる。お門違いだ。


「改めて礼を言う」


 国王陛下が頭を下げる。


「頭を上げてくれ。先ほども言ったように友を助けるのは当然だ」

「我が国は良き隣人に恵まれたな。これからもよろしく頼む」

「こちらこそ」


 二人は笑顔で握手した。険悪だったムードが一瞬で和やかになる。周囲の空気が緩むのを感じた。


「ところで、その良き隣人として一つ忠告したいんだが、よろしいか?」

「何だ?」

「これからは無断で軍を派遣するのはやめてもらおう。我が国にも体面があるでな」

「もちろんだ。今回はそちらが何らかのやむにやまれぬ事情により軍の派遣が遅れたから、代わりに向かっただけ。そちらが通常通りに軍を派遣するなら、今後このようなことは起こらないだろう」


 全然和やかじゃなかった。笑顔の裏で互いに刺しまくっていた。周囲の空気が一瞬で元に戻る。


「では私たちはこれで。いつまでも軍を待機させておくわけにはいかないからな」

「ああ、道中気をつけて」


 二人は笑顔で別れ、それぞれ進み出した。

 私も殿下の鋭い視線を受け流しながら、ジークフリート陛下の後に付いていった。


 イストグリス軍の長蛇の列とすれ違う間、両軍の間には固い空気が漂っていた。


 両国の関係は決定的に変わってしまった。二人の君主の間に信頼関係はまったくない。きっと近いうちに両国はぶつかるだろう。


 きっかけはジークフリート陛下が私を処刑から助け出したこと。そして私が故郷を救ってくれるようにと陛下に頼んだことで決定的となった。


 もし、その時が来たら、私は――。


 ガウラ帝国の一員として戦う覚悟を決め、前を見据えた。


 とはいえそれは、まだ先の話。今の私にできることはない。それよりも今は、ずっと先延ばしにしていた問題を解決しよう。

 そう思った私は、前を行くジークフリート陛下の横に馬を並べた。


 陛下がこちらに顔を向ける。イストグリスの軍はもう先へ進み、近くにはいない。私は引き締めていた顔を緩め、微笑を浮かべながら言った。


「帰ったら結婚式を挙げましょう」


 言われた陛下は、目を見開いた。そして照れて視線を逸らし、けれどもすぐに目線を上げてまっすぐこちらを見た。


「だから義理でしてもらっても嬉しくない」

「大丈夫ですわ。きちんと陛下のこと好きですから」


 陛下の目を見ながら言葉を続ける。


「強くてかっこよくて真面目で、何度も窮地を救ってくれた。そんな人を好きにならない人がいますか? 責任取ってくださいね」


 私がはにかむと、陛下はまた照れた。


「……分かった」


 顔を真っ赤にしながら、こちらを見て、情けない声で言った。


 戦の時も普段もあれほど自信満々で頼りになるのに、どうしてこうなるのだろう、と思わず首をかしげる。でも恋は盲目とはよく言ったもので、こういうところも可愛く思えてしまうから不思議だ。


 父の青白い顔を見て、身に染みて分かった。人はいつか死ぬと。幸せはいつまでも続かないと。

 だから今ある幸せを大切にしなければいけない。


「お義母様も呼びましょうね」


 陛下に微笑みかけた。


 私は陛下とお義母様の間に何があったのか、詳しい事情を知らない。他人の家庭に口を出すべきじゃないのかもしれない。

 でもやっぱり、大切な人と離ればなれになるのは辛いと思ってしまう。青いバラ園をわざわざ残しているのだから、少なくとも陛下はお義母様のことを大切に思っているはずだ。


 そんな私の思いを汲み取ってくれたのか、陛下は、


「ああ、そうしよう」


 と優しく微笑み返してくれた。


「ありがとうございます」

「なぜ君が礼を言う」

「だって好きな人の幸せは自分の幸せでしょう?」


 私が言うと、陛下はまたまた照れた。


「そうだな」


 照れながら、優しく微笑んでくれた。


 私たちは草の海をゆっくり歩いていく。二人、馬を横に並べ、まっすぐ進んでいく。


 もちろん幸せは永遠じゃない。どちらかが裏切ることもあるかもしれない。

 その時は傷付くのでしょう。


 でもその時はその時だ。きっと大丈夫。


 私たちは一人でも強く生きていけるから。

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傷物令嬢は白馬の王子様にさらわれる 上田一兆 @ittyou

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