第17話

 夜の静寂しじまに男たちの野太い歌声が響き渡る。

 戦に勝利したスパルトの町では、城の中でも外でも、町の大小様々な広場でも、すべての場所で宴が開かれていた。

 人々は思う存分食べて飲み、肩を組んで歌っていた。大通りも小道も、酔っぱらいが踊っていない場所はなかった。


 そんな風に人々が騒々しく喜びあっている中で、私は一人城内の廊下を歩いていた。

 固い靴音が通路の壁に反響する。私は負傷者が寝かされている部屋へ向かった。


「やはりここか」


 部屋の中にはオリアナと、いまだ目覚めぬ義父上がいた。


「宴を任せてしまって申し訳ありません」


 こちらに気づいたオリアナは振り返り、申し訳なさそうに微笑んだ。

 その笑みは痛々しかった。ベッドに横たわっている父親と同じか、下手したらそれ以上に顔色が悪かった。戦の疲れや怪我の影響もあるだろうが、明らかにそれだけではなかった。


「気にするな。放っておいても勝手に盛り上がる」

「でも皆悲しみを抱えているのに、私だけ……」


 オリアナは下を向く。


「悲しみ方は人それぞれだ。大切な人のために、とことんまで悲しむ人もいれば、死を無駄にしないために、その人の分まで喜ぶ人もいる」


 少し間をあけて、話を続ける。


「それに君の場合はまだ生きている。大切な人の命が危険な状況にあったら、皆心配するさ」

「でもお母様やお兄様は表に出ているわ」

「君が見ていてくれるから頑張れるんだ」

「……」

「大丈夫。ここまで生き延びたのなら峠は越えているはずだ。時期に目覚めるさ」

「……ありがとうございます」


 オリアナは再び痛々しく笑う。きっと、どれだけ言葉を尽くしても慰めにはならないのだろう。父親が目を覚ますことでしか彼女の気持ちは晴れない。


 ――ならば大丈夫だろう。


「宴のことは考えなくていい。側にいてあげてくれ」


 義父上は必ず目覚める。何も心配はいらない。

 私は扉を開けて外へ出た。


 ◇


 私はお父様のことを、”人”ではなく”父親”という生き物だと思っていたのかもしれない。

 今にも消えてしまいそうなお父様を見て、一人思った。


 お父様の残った右手を手に取る。


 強くて賢くてかっこよくて頼りになる人。いつも側にいて助けてくれる人。私が怪我をした時も、その怪我がきっかけで殿下と仲が悪くなった時も、殿下を投げ飛ばした時も、いつだって私の味方でいてくれた。どんなことをしても味方でいてくれる人。いつまでも側にいて助けてくれる人。

 そんな風に思っていた。


 でも人は、死ぬ時はあっけなく死ぬんだ。

 大きくてゴツゴツしていて痛いくらい力強かった手が、驚くほど冷たくなっているのを見て実感した。


 まだ処刑から救おうとしてくれたことへの感謝も言えていない。


 お父様の右手を両手で握り、祈るように顔の前へ持っていく。


 お父様が言ってくれた愛してるの百分の一も返せていない。感謝の言葉もお詫びの言葉も全然足りない。


 これから、たくさん、たくさん言うから。

 だからまだ……。


「いなくならないで……ッ」


 お父様の手をぎゅっと強く握りながら、絞るように呟いた。


「――い」


 ッ!!

 私しか喋らないはずの部屋で、私以外の声がした。

 弾かれたように顔を上げる。


「痛いぞオリアナ」


 お父様の両目が、しっかりと私を見ていた。


「お父様ッ!! 大好き……ッ!!」


 私はお父様に抱きついた。


 ◇


「……元気でな」

「ええ、お父様も気をつけて」


 スパルトの外門には多くの人々が集まっていた。

 これからガウラに帰る私たち。見送りに来てくれたお父様、お母様、お兄様。クラレント家の使用人、兵士たち。大通りや街壁の上を埋め尽くすほどの領民たち。


 お父様は目に涙を浮かべながら抱きしめてくれる。私も抱きしめ返す。悲しい別れじゃないので涙は流さない。お父様は両腕があった頃と同じくらい強く抱きしめてくれた。


 お母様とお兄様とも別れの挨拶をする。


「オリアナも気をつけて」

「はい、お母様……」


 お母様は優しく抱きしめてくれる。思わずずっと包まれていたいと思うほどに。


「困ったことがあれば連絡しろ」

「そんなに心配しなくても大丈夫ですわ、お兄様」


 相変わらず冷徹な言い方。でも私の肩に乗せた両手は、痛いくらい力が込もっていた。

 私はお兄様の腰に手を回し、分厚い胸板に顔を押し当てた。


 別れを済ませた私は馬へ飛び乗る。


「結婚する時は呼ぶんだぞ」

「ええ、もちろんですわ」

「ジークフリート陛下、娘をよろしく頼みます」

「ああ」


 私と陛下はそれぞれお父様と約束を交わし、大勢の人々に見送られながら旅立った。


 戦に勝利した日から三日目。皆怪我をしているから、本当はもっとゆっくりしていたいけど、イストグリス王国に無断で来ているので、長くはいられない。

 本来なら家臣を助けたのだから感謝されてもおかしくないけど、ニコラン殿下たちだから文句をつけてくるかもしれない。


 それにガウラ軍を国境線に待機させている。

 戦争終了してすぐに陛下が伝令を遣わして待機を命じたらしい。

 王国側からすれば、自国の近くに大軍がいるのはいい気がしないだろう。間違ってガウラとイストグリスがぶつかっても困る。今戦争になれば、こちら側が急に攻めてきた悪役に仕立てあげられてしまう。


 だから休む間もなく帰国の途に着いた。

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