第16話
陛下、お兄様、早く――。
祈るように顔を上げたちょうどその時、敵本陣の奥で首が高く飛んだ。
ゆっくり回るその首の断面からは血が弧を描いて舞っていた。途端に周囲の喧騒が遠のき、時が遅くなった。
ゆるやかに落下する首の上に付いている顔がはっきりと見える。知らない顔だった。でもきっと敵大将の首だと、私は確信する。
あれだけ高くはね飛ばせる力と技を持っているのは陛下くらいだ。その陛下がわざわざ高く飛ばしたのは、周囲に討ち取ったことを知らしめるためだろう。
首は敵軍の中に落ちて見えなくなった。周囲のざわめきが戻ってくる。
「「アルダール様……ッ!?」」
私の考えは正しかった。敵兵の間に動揺が広がる。
中には大将の死を認めない者や認めてなお立ち向かってくる者もいる。
しかし、
「ブウォオオオオオオオオオオオオッ!!」
角笛の音にかき消された。
皆動きを止める。音が鳴ったのは敵陣の奥。首が飛んでいた辺り。あらかじめ決めておいた作戦通りに、陛下が持っておいた角笛を吹いたのだろう。
「マビリアッ!!」
「ハイッ!!」
敵が一瞬動きを止めている隙に、私たちも角笛を吹く。周囲からも続々と角笛の音が上がる。この戦場で聞こえない者が誰一人いないように、肺の中の空気全てを吐き出す。
すると町から反応が返ってきた。
「「「ブウォオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!」」」
地鳴りのような轟音。町中の角笛をかき集めて鳴らされたそれは、まるで町自体が侵略者に怒り、震えているようだった。
さらにこれを狼煙として、町の東西南北の四つ、すべての門が開かれ、待機していたクラレント兵全員が突撃を開始した。
雄叫びを上げて突撃する彼らは、町を包囲しているパルメネス兵の半分にも満たなかった。しかし無数の角笛の咆哮が、彼らを大軍に錯覚させた。
火の海、大将の死、突如数倍に膨れ上がった敵軍。魔法使いの仕業かと思うような事態に、包囲していたパルメネス兵は恐慌をきたし、我先にと蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
またこれを見て、逃げるか踏みとどまるかの境にいた本軍も、群れをなして逃げ出した。
クラレントの歩兵に追い立てられ、目の前を駆けていく彼らを、私たちはただ黙って見過ごした。もしかしたら引き返してくるかもという不安が、地平線の奥へ敵が消えるまでじっと見つめさせた。
やがて敵が薄暮の中へ溶けて見えなくなると、
「「ウォオオオオオオオオオオオオッッ!!!」」
空が割れんばかりの歓声が沸き起こった。周囲の騎士たちは傷だらけの肉体で友と抱きあい涙を流す。合流してきた歩兵たちも肩を組み、剣を掲げて、あらんかぎりの力で喜びを叫ぶ。
「ハ、ハハ……」
私は皆みたいにすぐに勝利の実感が湧かなかった。まるで夢の中みたいに、体はフワフワと宙に浮いていた。だからか喜びより安堵感のほうが強く、ぎこちない笑いしか浮かばなかった。
緊張が解けたためか、疲れが一気に押し寄せてきた。全身が鉛のように重くなり、膝は面白いように笑い出した。立っているのがやっとだった。
そこに、
「オリアナ様ッ!!」
マビリアが抱きついてきた。当然今の私は受け止めることができず、背中から地面に倒れた。
「もう、マビリアったら」
憎まれ口を叩きながらも、ご機嫌に上体を起こす。
すると胸元には二つの頭があった。抱きついてきたのは一人ではなかったらしい。
一人は当然マビリアだが、もう一人はなんとブラダマールだった。
驚いて見ていると、顔を上げた彼女と目が合う。彼女はハッとして顔を赤くした。
「ふふっ」
その仕草が可愛くて、思わず笑みが零れた。
「大丈夫か? 立てるか?」
いつの間にか陛下が側に来ていて、馬上から手を差し伸べてくれていた。
「ええ、大丈夫ですわ。ありがとうございます」
血と泥にまみれた手を取り、小鹿のように震えながら立ち上がった。
「陛下は?」
「大丈夫だ」
戦が終わり険がとれた陛下は晴れやかな笑みを浮かべた。
彼の後ろにいるガラオールたちも、深い傷を負った者や馬を失った者もいたが、皆晴れやかだった。
「よかったですわ」
陛下と視線を交わし、笑いあった。
それから私は周囲を見渡した。
喜びあう人々の間に、敵味方を問わず無数の死体が転がっていた。馬の死体もある。おびただしい量の血が流れていた。さらにその奥には、すっかり荒れ果てた大地が茫漠と広がっていた。
「皆に感謝する!! 故郷のために戦ったクラレントの民よ!! 友を救うために駆けつけてくれたガウラの騎士よ!! 誇れ!! 我らの勝利だ!!」
馬上のお兄様が高らかに剣を掲げると、人々は再び大きな勝鬨を上げた。
一拍おいて、
「まだ元気な者は負傷者の手当てを! 残りは凱旋だ!」
簡潔に命令を下したお兄様は、まっすぐ町へと進みだした。
その後ろに騎士たちが続いていく。
「私たちも凱旋しよう」
「……ええ」
周囲の悲惨な光景に一抹の寂しさを感じ後ろ髪を引かれながらも、私は陛下と共に歩きだした。
「疲れているだろう? 馬に乗っていくか?」
疲労困憊でヨロヨロと歩く私の姿に見かねたのだろう。陛下が提案してくれた。
「大丈夫ですわ。お気持ちだけ貰っておきます」
「そう遠慮するな」
無理矢理、馬の上に抱き上げられた。
何するんですかと陛下のほうを向けば、優しい笑み。戦が終わったからだろうか。今まで見たことがないほどの甘い顔だった。なおかつ、いつも口説いてくる時みたいに照れてもいない。
見慣れない表情に、不謹慎にも恥ずかしくなって、俯いた。
「オリアナ様だけいいなぁ。私も乗りたいです」
後ろを歩くマビリアが不平を言う。
「なら乗っていくか?」
横から助け船を出したのはローランだった。あられもなくさらけ出した上半身は赤く染まり、かき上げた髪からは血が滴っていた。
全て返り血。鉄と脂のすえた臭いを辺り一面に撒き散らしていた。
「うっ……え、遠慮しときます……」
マビリアはおとなしくブラダマールと並んで歩き始めた。
私たちは笑いあいながら進んでいく。折しも山裾から覗いた太陽が私たちを包む。
私たちは朝日と共に堂々と凱旋した。
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