第14話

「フッ、生意気な女だ」


 立派な髭を生やした位の高そうな男は、微笑を浮かべながら馬首をこちらに向けた。

 その笑みは、あえて挑発に乗ってやろう、という余裕による笑みだった。


 また、挑発が効いたのかどうかは分からないが、敵騎兵の半分ほどは目の前の男と同じように、こちらに残った。

 残りの半分は、もちろん陛下たちを追っていった。陛下たちを追っている間に後ろから攻撃されたら、たまったものじゃないから、元々半分はこちらに残るつもりだったのかもしれない。


 とはいえ目の前の男が挑発に乗って、こちらに留まったのは事実だ。

 体格は大きく、筋肉は鍛え抜かれている。動きには隙がなく、正対しているだけで肌がひりつく。明らかに強い。

 この男を引き止められただけで、挑発した甲斐があったというものだ。


 男が馬から降りる。


「なぜ降りるのかしら?」

「ちょこまかと逃げる敵は、徒歩かちのほうが仕留めやすいだろう」


 男は剣を正眼に構えた。


「あまり見くびらないでもら――ッ!!」


 一瞬、男が大きくなった気がした。全身が総毛立ち、反射的に飛び退く。


 直前まで私がいた場所に、男が剣を振り下ろした状態でいた。

 宙を小さな鉄輪が舞っている。

 左胸あたりに痛みが走り、見てみれば、鎖鎧が切り裂かれ、血が滲んでいた。

 背中に冷たいものが流れた。


 速い! そして力強い!


 私は戦慄した。


 一瞬で間合いを詰められた。目で追えなかった。太刀筋にも一切乱れがなかった。踏み抜かれた大地はへこんでいる。


「オリアナ様ッ」


 マビリアが心配する声を上げる。

 でも彼女も戦闘を始めていて、こちらに加勢には来れない。ブラダマールも他の騎士も同様だ。助けは期待できない。


「いい反応だ」


 男がこちらの実力を測るように淡々と言った。


 私はフーッと息を吐く。

 落ち着け。たしかに彼は速いし強い。でも私は彼よりも強い相手とずっと戦ってきた。


 陛下との戦闘を思い出す。

 格上との戦闘で重要なのは相手の目線、重心の位置、わずかな動きから先を読むことだ。そして敵の力を正面から受けずに流すことだ。剣はあってもなくても、やることは変わらない。

 私は大きく息を吸って、構えた。


 男も剣を地面と水平に掲げる。突きの構えだ。


 大丈夫。しっかり観察すれば対処できるはずだ。

 私は男を見る。細部を注視するのではなく、男の全身をぼんやりと見る。彼の体を透かして遠くの山を見る感じだ。直感が働くのか、こうすると、かえってわずかな動きまで分かるようになるのだ。


 来る!


 男がわずかに腰を落としたのが、ふくらはぎに力を入れたのが、分かった。私はすぐさま上体を捻る。

 直後に男の剣が、私の肩口を掠めた。

 間一髪だった。

 私は即座に右足を斜め前に出し、男の鳩尾みぞおちに掌底を叩き込む。

 確かな手応えがあった。


 しかし男は一切怯まずに、剣を横薙ぎに振るう。掌底の衝撃は分厚く固い筋肉によって阻まれたらしい。


 私は咄嗟に屈んで剣を躱す。と同時に足払いをする。

 ゴンッ! と鈍い音が大きく響く。私の足と相手の足がぶつかった音だ。


 しかし男はびくともしなかった。まるで大樹を蹴ったかのようだった。


 まずい!


 男が隙だらけの私に向かって剣を振り下ろしてくる。


 咄嗟に、びくともしない男の足を支点として利用し、体を反らす。

 剣が鼻先を掠め地面に突き刺さった。

 間一髪のところで避けた私は、両手をついて跳ね起き、距離を取る。


 強い。まるで鋼でできた木のようだ。耳の後ろで激しく流れる血の音を聞きながら思った。固くてびくともしない。まともな攻撃じゃ効かないだろう。


 でも、やりようはあるはずだ。汗のにじんだ手を衣で拭いて、心を落ち着ける。そして地面を蹴り、今度は私から男に突っ込んだ。


 当然、男はそれに合わせて反撃してくる。

 その振り下ろされる剣を私は半身になって躱す。と同時に手刀を突く。いくら固いといっても同じ人間なのだから、急所は変わらない。迷わず目を狙う。


 中指が眼球に触れるその刹那、男はグンッと頭を下げた。手刀はむなしく空振る。


 さらに男は頭を下げたまま、力任せに切り返してくる。

 咄嗟に私は、男の背を掴み、飛び上がる。宙で180度回転して剣を躱す。そして剣を振るのに連動して回転する男の体の勢いを利用して、男の反対側へ着地する。

 そして反対を向いていて隙だらけの男の顎を、立ち上がる勢いも利用して、蹴り上げる。


 蹴りはまともに入った。男は顎をかち上げられ、脳が揺れる。


 この隙を逃してはならない。すかさず追撃をするが、その瞬間。脳が揺れて焦点が定まらないはずの男と目が合った。


 なぜ? と思う前に、直感で後ろに跳ぶ。

 だが間に合わない。力任せに振られた剣がガードした左腕ごと脇腹にめり込み、吹っ飛ばされる。無残に地面を二度三度と転がった。


 よろよろと立ち上がる。腕の骨が折れ、脇腹もズキズキと痛んだ。一撃で満身創痍だった。


 でも運がよかった。片腕で無造作に振られた剣だったから、切られずに済んだ。

 もし両腕だったら、脳が揺れていなかったら。そう思うと、ぞっとした。腕も胴体もバターのように切られていたことだろう。


 しかし、なぜ彼は動けたのだろう。顔を上げて男を見る。


 理由はすぐに分かった。男の口の端に血が流れていた。舌を噛み、失いそうになる意識を無理矢理、覚醒させたのだ。さすがは騎兵の先頭を走るだけあって、胆が据わっている。

 男は口元の血を拭った手を見て、楽しそうに笑みを浮かべた。


 それに比べて私は満身創痍。どうしようか。

 ちらと陛下のいるほうを見た。


 その隙を男は見逃さなかった。すかさず攻撃を仕掛けてきた。

 右上段からの袈裟斬り。

 私は後ろに引いて間一髪で避ける。


 しかし、なおも男は畳み掛けてくる。

 跳んで躱し、屈んで躱し。懸命に避け続ける。致命傷にはならないが、無数に傷が増えていく。


「やはり、ちょこまかと逃げだしたな。少々できると思ったが、所詮は女か……」


 男は心底失望したように吐き捨てる。


 だがムキになってはいけない。別にこの男に勝たないといけないわけじゃないのだから。陛下たちが敵将の首を取れば、それで終わるのだ。無理する必要はない。


「情けなくないのか? 仲間を見殺しにして」


 男の言葉にハッとする。途端に周囲の景色と音が飛び込んできた。

 右側では折しも騎士が敵に切られて、血飛沫を上げながらくずおれている。左側では剣のぶつかり合う音が響く中、物言わぬ死体が踏み越えられていた。

 男に図星を指され、耳まで赤くなった。


 皆が命を懸けて戦っているのに、私だけ少し怪我しただけで自己保身ばかり考えるなんて。


 情けないッ!


 羞恥と屈辱に唇を噛み締め、下がるばかりだった足を無理矢理、地面に踏み止めた。

 男が剣を振りかぶる。


 戦うと決めた時点で覚悟していたはずでしょう!

 オリアナ・クラレント!!


 振り下ろされる剣を無視して、踏み止めた足を蹴り上げた。


 渾身の蹴りは、剣が届くより早く、男の股間に深く突き刺さった。男は痛みに顔を歪め、剣筋は逸れる。私の頭上を掠めて通り過ぎた。

 男は激痛のために、一瞬動きが止まる。股間の痛みで気を失うこともあると聞くから、倒れもせずに耐えるだけでもすごいのだろう。


 しかし、だからといって手心を加えるつもりはない。この千載一遇の機会を逃してはならない。


 私は容赦なく手刀を振って、男の両目を切り裂いた。血が飛び散り、男は苦悶の声を上げる。

 だが、なおも闘志は失わず、気配だけを頼りに剣を横薙ぎに振るう。

 それを私は回転しながら飛び上がり躱す。そして回転の勢いを利用して、男の延髄にかかと落としを叩き込んだ。


 さにもの男も、視界を奪われては攻撃に反応できない。いつどこから来るか分からない攻撃を受け止めることができず、うめき声と共に地面に叩きつけられた。


 その拍子に男は剣を落とす。すぐに落ちた音を頼りに持ち直そうとするが、それよりも早く、私が掴む。そして持ち上げると同時に男の腕を切り上げる。腕は血を噴き上げながら弧を描いた。


 男は激痛に顔を歪めながらも、片腕一本で起き上がろうとする。だが私が許さない。

 持ち上げた剣を逆手に持ち変えると、勢いよく振り下ろした。


 剣は男の背中に深々と突き刺さり、男を地面に縫いつける。

 男は勢いよく血を吐き出し、ついに力なく横たわった。


 男の正面に立っていたので、私の鎧衣の裾は血と泥が綯交ないまぜになって汚れていた。男の口と胸から流れ出る血が、私の靴を浸している。あれほど強大だった男が、どんどん小さくなっているように感じた。


「卑怯な手を使って、ごめんなさい」


 ひとかどの戦士に対して真正面から戦わずに勝ったことを、申し訳なく思った。


「卑怯などと言うものか。ただお前のほうが強かった。それだけだ」


 もう虚ろな目をしながらも、男は不敵に笑って、そう言った。

 そして言い終わると静かに目を閉じた。


 自分の強さを疑っていないからこそ、相手の強さを素直に認められるのだろう。男は最後まで戦士だった。


 私は男を無事倒した安堵から、フウーッと息を吐いた。


「油断しないでください!」


 ブラダマールの半ば悲鳴のような声が響いた。


 私は咄嗟に顔を上げる。すると視界の端に切りかかってくる敵が見えた。


 慌てて後ろに跳んで剣を躱す。そして足をかけると同時に頭を掴んで、地面に叩きつける。

 その衝撃で敵は意識を失った。


 何をしているんだ私は。ここは戦場だぞ。今しがた実感したばかりだろう。一瞬たりとも気を抜くな。


 気を引き締めた私は、警戒のために周囲に目を巡らした。

 そして気付いた。周囲を敵に囲まれていることに。混乱から立ち直った敵兵が集まってきているのだ。


 このままじゃまずい。いくら皆が頑張っていても多勢に無勢。いずれ殲滅されてしまう。

 自分のことは覚悟できても、仲間の死は受け入れられない。

 この町でずっと一緒に暮らしてきたクラレントの兵たちも、私のわがままに付いてきてくれたガウラの騎士も、マビリアもブラダマールも。このままじゃ、皆いなくなってしまう。


 陛下、お兄様、早く――。


 顔を上げ、陛下たちのいるほうを祈るように見た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る