第12話

 私は肩で息をしながら城内の一室に座っていた。

 全身に傷がある。なかでも酷いのは、やはり左頬から耳にかけての矢に射貫かれたところ。抉られていて痛々しい。

 気休め程度だが婦女が包帯を巻いてくれる。


 全身に疲れがのしかかっていた。数百本矢を放った両腕は鉛のように重く、力が入らなかった。なんとか日が暮れるまで耐えたが、もう疲労困憊だった。


 周りも同じような状況だった。部屋にはたくさんの椅子やベッドが並べられ、多くの兵が治療を受けていた。むしろ私と同じくらいの怪我は軽いほうで、生死の境をさまよっている人が大勢いた。


 胸中に不安が膨れ上がる。

 ガウラ帝国の全軍が到着するまで最低でもあと三日かかる。それまで耐えられるだろうか。日が暮れたから敵軍は自陣に引き上げてくれたが、明日になればまた、激しい攻撃が始まる。その猛攻に耐えられるだろうか。


 少しでも希望が欲しかった私は、包帯を巻いてくれている婦人に、縋るように質問した。


「お父様のご容態は?」

「まだお目覚めになりません」


 あっけなく希望は打ち砕かれた。


「どちらにいらっしゃるの?」

「あちらです」


 隣の部屋を指し示す。


「それでは、私はこれで」

「ええ、ありがとう」


 気もそぞろに返事をすると、私はお父様のいる部屋へ向かった。


 扉を開けると、ベッドが一つあり、お父様が横たわっていた。全身に包帯を巻かれ、顔は青白かった。


「お父様……」


 取り残されてしまう気がして寂しくなった私は、お父様の残っている右手を握った。


「私を一人にしないで……」


 ふと後ろで人の気配がした。


「大丈夫か、オリアナ」


 お兄様だった。


「ええ、私は大丈夫よ」

「そうか」


 そっけない一言だった。けれど表情や声音から安堵していることが伝わってくる。


「父上は?」

「よくはないわ」

「……そうか」


 さっきと同じ一言。だけど今回の言葉には悲しみが多分に含まれていた。

 お兄様は側にやってきて、私の肩に手を置いてくれる。それだけで心強かった。


「オリアナ、助けにきてくれて感謝する」

「家族を助けるのは当たり前です。お礼ならジークフリート陛下になさってください」


 私はわずかに笑みを浮かべて答える。


「もちろんだ。これからお会いする」

「その後は?」

「軍議だ」

「私も参加します」


 お兄様の目をまっすぐ見て伝える。


「……必要ない」

「なぜ」

「怪我をしているだろう。休んだほうがいい」

「お兄様もじゃない」


 たしかに私は怪我をしている。でもこのまま朝まで何もしないでいるなんて耐えられない。

 私がそのまま不満そうに睨んでいると、お兄様は諦めたように眉間を緩めた。


「……分かった。なら大聖堂へ向かってくれ。母上も民も喜ぶだろう。オリアナにしかできないことだ」

「分かりました」

「その後はすぐ休め。剣を振るだけが戦じゃない。休むことも大切だ」

「はい」


 私を早く休ませようとして、大聖堂へ向かわせようとしているのは分かっていた。けれど民衆を励ますのも大切なことだから素直に従う。

 マビリアとブラダマールを連れて大聖堂へ向かった。


 大聖堂の中には、たくさんの人がいた。大半が女性や子ども、老人だった。市民や近隣の村々から避難してきた人たちだ。年頃の健康な男性は戦に駆り出されているのでいない。


「オリアナ様!」


 少年の声がした。私の名前を呟きながら遠巻きに眺めていた人々の間から、四、五人の子どもが飛び出してきた。

 皆見覚えがあった。私がここで暮らしていた頃、幾度も訪れた孤児院の子どもたちだった。


「助けにきてくれてありがとう!」


 私たちが助けにきたことは、すでに広まっているらしい。少年は、はにかむように笑いながら礼を言った。


「どういたしまして」


 笑みを返しながら、子どもたちを眺める。

 彼らが着ている服は所々汚れている。特に膝の辺りや、上着の裾がひどく汚れている。きっと町中を駆け回って、投石のための石を拾い集めていたのだと思う。


 彼らだけじゃない。ここにいる皆が、傷付いた兵士の治療をしたり、壊れた装備の修繕をしたり、煮えたぎる油を用意したりしている。皆戦っているのだ。


「こちらこそありがとう。あなたたちのおかげで間に合ったわ」


 私が目を細めてお礼を言うと、子どもたちは顔を見合わせ、笑いあった。


「どういたしましてっ」


 彼らは照れを隠すように走り出して、人混みの中に消えた。

 褒められたことを母親に自慢するのだろうか。それとも明日の計画を仲間内で練るのだろうか。いずれにしても、彼らはきっと明日も懸命に働くことだろう。


「皆様もありがとうございます」


 周りにいた大人たちにもお礼を言う。


「私たちなんか、そんな、そんな」

「そ、そうですよ、お礼を言われることなんか……」

「これはお礼に見合う働きをしなくちゃね」

「さあ、働こう、働こうっ」


 大人たちも照れ隠しのために去っていった。


 そして彼女たちと入れ替わるように、お母様がやってきた。


「無事でよかったわ……!」


 お母様は泣きそうな表情と心底安堵した声音で言った。


「お母様も無事でよかったですわ」


 きっと私も同じ表情をしていることだろう。


「オリアナのおかげで助かったわ。ありがとう」

「当然のことをしただけです。お礼ならジークフリート陛下におっしゃってください」

「もちろん、ガウラ帝国の皆様にはお礼を言うわ。でも、あなたにも言わないと。ここにいる皆、あなたが来てくれたと知って、すごく元気になったんだもの」

「大げさですわ」

「大げさじゃないわ。それだけあなたは領民に愛されていたのよ」

「なら演説でもしたほうがいいかしら」


 照れ隠しにそう言ったが、お母様は首を振った。


「やめたほうがいいわ。あんまり頑張りすぎると倒れちゃうもの」

「それもそうですわね」


 私たちは笑い合ったが、ふとお母様は真面目な顔つきになって言った。


「あなたもよ。倒れる前に、しっかり休むのよ」

「でも――」

「明日からも闘うんでしょ。休むのも戦士の仕事よ」


 優しさと悪戯っぽさの混ざった笑みを浮かべながら言った。私の思っていることを全て見透かされているようだった。


 我ながら単純だと思う。お兄様と似たことを言っているのに、認められたと感じただけで機嫌がよくなるのだから。でもそれでいいと思った。嫌ではなかった。


「分かりました。休ませてもらいます。お母様も休んでくださいね」

「もちろんよ、休ませてもらうわ」


 私はマビリアとブラダマールを連れて城へ戻った。

 かつて暮らしていた自分の部屋がそのまま残っていたので使わせてもらい、早めに床についた。


 群青色だった空がさらに深まり、星が瞬いている。白銀の月が天高く昇り、夜空に清冽さが増していく。

 けれども地上では敵軍の太鼓が鳴らされ続け、窓から見える街壁付近の空は淡く赤く照らされている。


 ずっと仰向けで寝ているとお尻が痛くなってくるので、何度も寝返りを打った。


 どれほど時間が経ったか分からない。中々寝られない。寝られるわけがない。

 目を見開く。

 明日もつかどうかも分からないのに。お父様もまだ目覚めないのに。そんな状態で寝られるわけがない。


 私はもう一度目を閉じる。

 今度は寝るためじゃない。考えるためだ。

 街の置かれている状況、地理、敵の布陣や装備、あらゆる要素を考える。今日見た聞いた全ての出来事を思い出す。何かないか、何かないか、必死に考える。


 ふと脳内に電流が走り、今までバラバラだったピースが一つになる。


「あった……!」


 私はベッドから上体を跳ね起こした。


「どうなさいました?」


 私と同じように眠っていなかったらしいブラダマールが、隣の部屋から扉を開けて顔を覗かせる。

 その後ろから眠気眼のマビリアも現れる。こちらはぐっすり寝ていたらしい。


「決まっているじゃない! 勝つための作戦よ!」


 ベッドから飛び下りて、お兄様がいる部屋へ向かった。


「援軍が来るまで、どうやってもたすか……」


 部屋にはお兄様以外に、陛下やガラオール、ランスロット、クラレント家の家臣がいた。リナルドやローランがいないのは街壁の防衛をしているからだ。

 皆一様に険しい顔をしているところを見ると、まだ良い策が出ていないらしい。


「どうした?」


 陛下がこちらを見る。

 私は陛下をまっすぐ見据えて言った。


「勝つ作戦を思いつきました」

「本当か!?」

「はい、皆で力を合わせれば可能です。この策があれば援軍を待つ必要もありません」


 私は皆に作戦を語った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る