第10話
天気は快晴。影一つできぬほど日が照る盛夏。汗ばむ頬を、吹き抜ける風が癒す心地よい日。
けれどもオリアナの父と兄、クラレント公爵とベーオウ・クラレントは、険しい顔で公爵領の領都スパルトの胸壁に立っていた。
ベーオウが険しい顔をしているのはいつものことだが、どちらかといえば文官よりの公爵が、静かな顔を苦痛に歪めるのは、より一層深刻さを感じさせる。
「耐えられるだろうか」
「耐えねば」
二人とも重々しく口を開く。
彼らの背後には赤レンガの町並みが広がり、近隣の町や村から避難してきた人々がひしめいている。
彼らの眼前には数万のパルメネス帝国の軍勢が並んでいる。無数の旗が翻り、攻城兵器が居並んでいる。
「そうだな……少なくとも援軍が来るまでは、耐えねば」
公爵の言葉は、晴れ渡る空気に頼りなく溶けた。
◇
「スパルトが攻めこまれたというのは本当ですか!?」
ブラダマールから聞かされた私はいてもたってもいられず、勢いよくジークフリート陛下の元へ駆け込んだ。
後にマビリアも続く。
「本当だ」
陛下の簡潔な一言が突き刺さる。夢のようにフワフワしていた現実が、心に重くのしかかる。
「戦況は!? 戦況はどうなっていますか!? お父様たちは無事なのですか!?」
「分からない。ただ、国と一貴族。劣勢なのは確実だろう」
普通に話しているだけの陛下の言葉が、今はやけに冷たく聞こえる。
「国は何をしているのですか!? 援軍は!?」
一縷の望みを手繰り寄せるように尋ねる。
しかし、すえなく断ち切られる。
「出していない」
「間に合っていないのですか!?」
「いや、間に合っていないのではなく、出していない」
「どういうことですか!?」
「報告によれば、イストグリス王たちはクラレント公爵を信用していないようだ。パルメネス帝国と結託しているのではないかと疑っている。もしくは信用できない公爵の力を削ぐ気だろう」
「味方を信用しないで、どうするのですか!」
思わず机を叩いていた。
しかし、何て愚かなことを、と思う反面、その時の光景が脳裏に鮮明に浮かぶ。
『クラレント公爵より報告いたします! スパルト、十時の方向にパルメネス帝国の軍勢あり。その数4万。至急援軍をお出しください!』
『何と! 今すぐ向かわせねば!』
『待て』
使者の報告を聞いてすぐに動き出そうとした家臣たちを止めるニコラン殿下。
『あんなことがあってすぐに事が起こるとは、怪しくないか? クラレントがパルメネスと結託している可能性もあるぞ』
『仮にそうだとしても、軍は出さねばならないのです。問題ありません』
『いや、ある。クラレントがガウラ帝国と繋がっている可能性もある。軍を出して無防備になった
『何を根拠に!』
『繋がっていないなら、皇帝がわざわざオリアナを助けるものか! そうでしょう、陛下!』
『……まずは現状を把握せねばならん。斥候を出せ』
殿下の意見を聞いてしまう国王。
頭が痛くなる。
「公爵への不信、隣国への不信。その隙を狙われたな。行軍の速さから考えて、ずっと前から機会を伺っていたのだろう。こんなに思いどおりにいくとは思わなかっただろうが」
つまり元を正せば私のせいってことよね。
もちろん悪いのはニコラン殿下よ。それは分かっている。
でも、家族や民を巻き込んで自分は悪くないと思えるような神経はしていない。何とかしなきゃ。何とか。
必死に考えるが、私にできることなんて限られている。というより一つしかない。
覚悟を決めて顔を上げる。
「陛下、お助けください。見返りは私。助けてくださるなら、喜んで陛下と結婚いたします」
陛下の目をまっすぐ見て言う。
結婚したくないというのは、所詮私のわがままだ。家族とどっちが大事かなんて天秤にかけるまでもない。私にとって私の家族は私の命より大切だ。
「そんなことで私が喜ぶと思っているのか。見くびられたものだ」
「分かっています。一人のために戦争をするなど馬鹿げていると。ですが私には、これしか差し出せるものがありません。王妃になるための教育は受けてきました。必ず役に立ちます。ですから、どうか」
「必要ない」
やはりダメか。でも私にはこれしか差し出せるものがない。何かないの。何か……!
ギュッと目を
「愛する人の家族を救うのに見返りを求める奴がどこにいる」
ハッと顔を上げた拍子に涙が跳ねた。
「感謝いたします……!!」
勢いよく腰を折る。心の底からの言葉だった。陛下はいつも私を助けてくれる。感謝してもしきれない。
「礼などいらん」
陛下はフイッと顔を逸らす。またいつもみたいに照れたのかしら。キザなセリフを言ったことに、もしくは私に感謝されたことに対して。
胸が温かくなり、フッと口角が上がる。ずっと動揺していた心に落ち着きが戻ってくる。
「ガラオール、戦の準備をしろ! 半刻後に出る! 武勲を上げたい者はついてこいと伝えろ! 残りはティランが後から率いてこい!」
「「ハッ!」」
陛下が素早く指示を出す。それに応えて配下の者たちが一斉に動き出す。
「お待ちください、もう一つお願いしたいことが……!」
戦の準備のために部屋を出ようとしていた陛下を呼び止める。
「何だ」
「私も戦います。武具をください」
すると陛下はわずかに軽やかな息を漏らした。
「たしかに君は黙って待っているようなタマじゃないよな。ブラダマール、用意してくれ」
「かしこまりました」
さっそく出ていこうとする陛下とブラダマール。
それを今度はマビリアが止める。
「私にも武具をください!」
「マビリアも?」
「もちろんです。腕っぷしだけでオリアナ様の侍女に選ばれてますから」
えへん、とマビリアは胸を張る。
どおりで他のことは何もできないわけだ、と私は一人得心して、手を打つ。
「先日は遅れをとりましたが、今回はそうはいきません!」
「では三人分用意して参ります」
「あなたも?」
「もちろんでございます。あなたを守るのが仕事ですので」
ブラダマールは、自室でお待ちください、と頭を下げて部屋を出ていく。
その所作は一分の隙もない。マビリアとはうってかわって、こちらは完璧な侍女だ。
とはいえ、どちらも大切な侍女であることには変わりない。私のために命をかけてくれる侍女が二人もいる。頼もしいことこの上ない。
半刻後、私たちは鎧衣に身を包んで黒馬にまたがり、街の外へと続く巨大な門の前にいた。
周りには二百数騎の騎士たちが集まっている。いずれも鍛え抜かれた体に闘志を漲らせて、雄々しき馬に乗っている。
陛下が陽光を浴びて雄々しく輝く白馬にまたがり、人々の前に進み出る。辺りが厳粛に静まり返る。まるで張りつめた弦から矢が放たれるのを今か今かと待っているかのよう。
陛下が威厳のある声で啖呵を切る。
「我らはたった二百騎で数万の敵に挑む!! ガウラ騎士の勇敢さを示す絶好の機会だ!! 名を轟かせろ!!」
拍車をかけて、外門を飛び出す。騎士たちも雄叫びを上げて後に続く。私も置いていかれないように馬を駆けさす。
景色が目まぐるしく変わる。ただひたすら全速力で駆けていく。
陛下が皇帝なら、愛馬も馬の皇帝なようだ。先頭で風を切り裂いてグイグイと馬たちを引っ張っている。
それにガラオールやローランたちの馬が続いて風穴を広げる。中ほどにいる私たちには全く風がこない。さながら一本の槍のようになって、ものすごい速さで駆けていく。
このペースならきっと間に合う……!! 待ってて……!!
手綱を握る手に力をこめた。
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