第9話
その後二年をかけて国内を安定させると、皇帝として初めての外交で、イストグリス王国を訪れた。
久しぶりに会ったオリアナは想像よりも何倍も美しかった。明かりに照らされた黄金の髪、宝石のように赤い瞳、白磁の肌。まるで女神!
「本日は遠い所からご足労いただきありがとうございます」
「……なに、君のように美しい女性に会えるなら惜しくない」
うっかり告白しそうになったが、横に婚約者がいたので我慢した。
しかし当の婚約者はオリアナを雑に扱っている。義務的な挨拶を終えると、すぐにオリアナをほったらかしにして、どこぞのご令嬢と踊りだした。
そのせいでオリアナは手持ち無沙汰になり、壁の花となっている。
「婚約者を放って別のご令嬢と親しくするのはどうかと思うが?」
「私も注意してはいるのだが……」
苦言を呈するが、イストグリス王は苦笑するだけである。
何が注意してはいるのだが、だ。息子共々たたっ切るぞ、と思ったが、さすがに実際に切るわけにはいかない。
しかしこのままオリアナへの不当な扱いを見過ごしていいものか。命の恩人でもあるオリアナを無下に扱う王太子は非常に癪だ。
だが無理に強く言ったところで変わるだろうか。むしろオリアナへの風当たりが強くなる可能性もある。いや、しかし……。
不満を抱えながら悶々と夜会を過ごしていると、ふと騒ぎが起こった。
何かあったのかと、人の集まっているバルコニーに出てみると、庭の池に王太子と令嬢が落ちているのが見えた。濡れたオリアナが兵士に連れていかれている。王太子は顔を押さえながら、何やら必死に叫んでいる。
「何があった?」
先にいたガラオールに聞く。
「クラレント公爵令嬢がニコラン殿下とレイト男爵令嬢を投げ飛ばしたそうです」
「ハハッ、さすがはオリアナだ!」
思わず笑みがこぼれる。心が快活になる。
むかついていた王太子が投げ飛ばされてスッキリしたというのもあるが、それだけじゃない。
兄二人を殺したことは正しかったのか、と思う時がたまにあった。戦争だったのだからしかたないと思っているが、ふとした時に考えていることがある。
しかしオリアナが王太子を投げ飛ばしたと聞いて、私は間違っていなかったと確信した。
「みっともないところを見せてしまい申し訳ない」
イストグリス王が頭を下げる。
「いや、構わんさ。むしろ見れてよかった」
あのままオリアナが理不尽に軽んじられるのを見るだけなど不愉快極まりなかったからな。
「どうかクラレント公爵令嬢を罰しないであげてくれ」
「……彼女に非はないと?」
「そうは言っていない。王族に手を上げたのだから彼女に非があるのは当然だ」
実際はそんなこと、まったく思っていない。命の恩人でもあるオリアナをあのように無下に扱うなど、投げられて当然だ。
しかし声高に批判しても相手の機嫌を損ねるだけだ。そうなればオリアナに不利になる。だからここは下手に出なければならない。顔に笑みを張り付けながら、言葉を続ける。
「たが情状酌量の余地はあると思うのだ。一時的な蟄居くらいですませられないだろか?」
「ガウラ皇の言葉だ。参考にはしよう」
イストグリス王は髭を撫でながら言った。参考にする気はさらさらなさそうだ。若造の言葉など聞く気がないのだろう。
さてどうなるか。謹慎や婚約破棄程度ならオリアナもそれほど困らないだろう。むしろあの男と別れられた方がオリアナのためになるだろう。
しかしもし処刑されるなら黙っているわけにはいかない。何か手を打たねばならない。
「オリアナの処遇を見てきてくれるか。問題があれば私の名を使ってくれて構わない」
「かしこまりました」
命令を受けてガラオールは、この場を去る。
よし、今の内だ。
「ローラン、アルブ卿に兵を国境線に配置するように伝令してくれ」
ガラオールとは別の配下に、すぐさま指示を出す。
黄金に波打つ長髪を、雑に後ろに流した筋骨隆々の男ローランは、主君に対するとは思えないほど、くだけた言い方で答えた。
「こういうのはガラオールの仕事だろ。なんで俺が?」
「ガラオールは反対するからダメだ」
「戦争でもする気か?」
とたんにローランの金の目が、鷲のように獰猛にギラついた。
「いや、念のためだ。念のため」
「分かった、アルブ卿にも伝えとくよ。まあ俺は戦争、大歓迎だがな」
肉食獣の笑みを浮かべて去っていく。
人選間違ったか? いや、粗雑に見えても命令は忠実にこなす奴だから大丈夫だろう。
あとはオリアナにどういう処罰が下るか待つだけだ。
三日後、オリアナに斬首刑が言い渡された。
七日後、オリアナが処刑される日の早朝。
まだ霧も明けきらぬなか、ガラオールの目を盗んで厩舎へ忍び込み、愛馬バヤードに鞍をのせる。
やってきた世話当番の兵士を脅しておとなしくさせて、時を待つ。すでに仮面も被って準備万端だ。
やがて太陽が天高く上ると、白きバヤードに飛び乗り、厩舎を飛び出し、城門を抜け、処刑台のある広場まで一直線に駆ける。
今さら蹄の音に気付いた警備の兵士たちが振り向くが、もう遅い。嘶き上げて兵士たちを飛び越える。
その時、オリアナと目が合う。その目の端には涙がたまっていた。
「奪わせるな! 殺せ!」
上官らしき者の叫びを聞いて、処刑台の上にいた兵士が剣を振り上げる。
「させん!」
瞬時に剣を抜き放ち、投げる。兵士の胸に深々と突き刺さり、兵士は処刑台の上から崩れ落ちる。なおも速度を緩めずに走る。
「オリアナ!」
必死に手を伸ばす。
仮面を着けていて誰かも分からないはずの私を、オリアナは信頼して飛び込んでくる。
十年ぶりに出会えたことが嬉しくて、もう離したくなくて、彼女の体をしっかと抱きしめる。
それから馬の背に彼女を引き上げると、一目散に群衆を割って逃げる。
当然騎士たちが追ってくるが、問題ない。我が愛馬は風のように走り、ぐんぐんと引き離す。
町の外へ出た時、近くの森から多数の人の気配がして、笑みを浮かべる。
おそらくクラレント公爵の軍だろう。自分以外にもオリアナを助けようとしている人がいてよかった。そして彼らよりも早く、自分が助けることができてよかった。そういう二つの安心からくる笑みだった。
さらに拍車をあて、速度を速める。そして、そのまま数時間駆け続ける。
やがて追手を完全に振りきると、歩を緩める。
イストグリス王国とガウラ帝国の境にある森の中頃だった。
「あなたは誰なのですか?」
尋ねられたので仮面を取って素性を明かす。オリアナが驚き、息を飲むのが分かる。
「どうして私を助けてくださったの」
そんなの決まっている。
あの時、伝えなかったことを心底後悔した。もし伝えていればオリアナもこんな状況になっていなかったかもしれない。
だから、今度こそ必ず伝える。
「好きだから。結婚してくれ」
一世一代の告白だった。
しかし断られた。
あんなことがあった後だから仕方ないのかもしれない。だが、こちらも簡単に諦めるわけにはいかない。やっと巡ってきたチャンスなのだから。もっと君と一緒にいたい。
だから私は提案をした。
「ならば勝負をしよう」
「勝負?」
「婚約している間に君を口説く。一年後までに惚れさせたら私の勝ちだ。逆に惚れなければ君の勝ち。婚約も解消され晴れて自由だ。どうだ? 勝てば私は愛を、君は自由を手に入れられる」
私の提案を聞いたオリアナは、小さい頃と同じように、花が咲くみたいに笑った。
「よろしいですわ。あなたがそれでいいと言うなら、その勝負受けて立ちますわ」
聞き間違いじゃない。彼女はよく通る凛とした声で言った。
その言葉が嬉しいやら恥ずかしいやら、私は白馬から飛び降りて、数歩前へ出た。
まるで外に出れた犬のようだと思った。
「歓迎しよう、ようこそガウラ帝国へ」
手を広げた先は、森が開けた先は、帝国の領土だった。アルブ伯爵の軍が整列していた。
この国で、私は
オリアナとの共同生活が始まった。
◇
それから一月が経った頃、私は側近を集め、彼らと共に長机を囲んでいた。
「何かあったのですか?」
険しい顔で押し黙っている私を見て、ブラダマールがガラオールに尋ねる。
「私も把握していません」
ガラオールは柔らかい金髪を左右に振った。
「戦争か?」
嬉しそうに声を弾ませるのは戦闘狂のローラン。
「喜ぶことじゃないだろ」
「あ?」
ローランを諌めて一色触発になるのはリナルド。ブラダマールと同じ深緑色の髪を短く立てた、清潔感のある男だ。彼はブラダマールの兄である。
「まあまあ仲良くしましょうよ」
二人を宥めるのはティラン。側近の中で最も若い男。くりくりの栗毛と大きい目が特徴だ。
「……」
一言も発さずに黙っている、死人のような銀髪の男はランスロットである。
「それで私たちを集めた理由は?」
話していても埒が明かないと思ったのか、ブラダマールが代表して尋ねる。
うむ、と深刻そうに呟いた私は、机の上に両手を組ながら、至極真面目な顔で言った。
「オリアナがまったく靡かん。なぜだ?」
「……」
沈黙。私の発言に誰も反応しない。なぜだ?
「そんなことのために私たちを集めたのですか?」
ようやく口を開いたガラオールは、困惑している様子だ。そんな彼の肩にブラダマールは手を置き、哀れむように首を振る。二人してかわいそうな者でも見るかのような眼差しを向けてくる。
さらに無礼は続く。
「皇帝陛下ともあろう者が恋愛相談とはな! 頭おかしくなったんじゃねえか?」
「ローラン、不敬だぞ! いや、しかし、気持ちは分かる……! これが私の憧れた陛下の姿か……!?」
即刻斬首ものの発言をするローラン。そして、いつもだったらローランの失礼な態度を厳しく怒るはずのリナルドもなぜかローランに賛同する。
「お前ら私をなんだと思っているんだ。処すぞ」
「そうですよ、楽しそうじゃないですか、恋愛相談」
ようやく私に賛同してくれる者が現れた。ティランはまことにいい奴だ。
「まあ、後継者問題もありますからね」
ブラダマールが渋々ながら、真面目に考え出す。
「そうだぞ! ブラダマール、君は何か聞いていないのか」
この機を逃してはならないと、質問を投げかける。オリアナとの仲を深めるためには、猫の手でも、いや、無礼な者の手でも借りねばならぬのだ。
「何も。それとなく聞いても当たり障りのない言葉しかおっしゃられませんね。眼中にないのでしょう」
なん……だと……!?
ブラダマールの言葉に衝撃を受ける。
「馬鹿な……! 何度もアピールしてきたぞ!」
「好きでもない人からアピールされても気持ち悪いだけでは?」
「そんな……」
私の努力は無駄だったということか!? いや、むしろマイナス!?
目の前が真っ暗になる。
「ではどうすればいいんだ!?」
縋りつくように尋ねた私の質問に答えてくれたのはティランだ。
「陛下の良いところをアピールしましょうよ。強さとか。そうしたら、きっとどんな女性でも惚れてくれますよ」
「ならローランとでも決闘したらいいのでは?」
「俺が勝ったらどうするんだよ」
「勝つわけないだろ」
「あ?」
またリナルドとローランが険悪になる。
「まあまあ、仲良くしましょうよ」
ティランが仲裁する。
三人がワーワー言っている間に、別の者が呟く。
「……ギャップ」
ランスロットだった。これは期待できるぞ! こいつはこう見えてモテるからな。
「一見寡黙で冷たそうだけど、実は優しい。そのようなものに女性は弱いらしいです」
自慢か? 一見寡黙で冷たそうってお前自身のことだろ?
思わず血管が浮き出る。
「いや、でも女性がギャップに弱いのは事実ですよ」
とティラン。
「私のギャップ……第一印象はどんなだ?」
「強い」
「怖い」
リナルドとローランが口々に言う。ローランには言われたくないが、事実ではある。受け入れねばなるまい。
「で、その逆……か弱さか?」
私の疑問にティランが勢いよく答える。
「つまりローランに負けたらいいってことですね!」
この発言に私は混乱する。
「ローランに勝たないといけないのではなかったか? どっちだ!?」
「……?」
一斉に首をかしげるローランやリナルドたち。
それを見てガラオールは目頭をつまんだ。まるで頭の悪い会話のせいで頭が痛くなったとでも言いたげな仕草だった。
会議が停滞したその時、扉が開き、伝令が飛び込んできた。
「クラレント公爵領がパルメネス帝国に攻め込まれています!」
オリアナの実家が、イストグリス王国の東と南に隣接する帝国に攻め込まれているという急報だった。
「やはりきたか……」
皆一斉に鷲のように鋭い目付きになった。
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