第7話
数日後、私と陛下は商人の子息子女風の格好に身を包み、広場にいた。
「まずは大通りから攻めよう。その後はこっちに回って、最後は大聖堂だ」
陛下が地図を広げながら言う。私は地図を覗き込み、指し示された場所を目で追う。
「ずいぶん移動するのですね」
「そのほうがいいだろう?」
陛下がニヤリと笑う。私の魂胆は、また見透かされていたようだ。
「別に構わないさ。今日でこの帝都がなくては生きていけない体にしてやるからな」
「まあ、それは楽しみですわ」
それだけ自信があるご自慢の帝都を見せてもらおうじゃない。
「よし行くぞ」
「はい」
帝都観光へくり出した。
大通りは活気が溢れている。馬車がひっきりなしに行き交い、建物の軒先や窓には花が飾られている。露店ではあらゆるものが売られている。
近隣の農民が育てた野菜、市民の使う日用品、愛情の込められた民族模様の織物、精細な木彫り。城の中では見られない物がいっぱいある。
「かわいいわね」
動物や草花の刺繍がされたスカーフや服を見て楽しんでいると、陛下が店主に声をかけた。
「これをくれるか。何ゴルドだ?」
「は、はい、700ゴルドで、ご、ございます。お、お買い上げいただき、こ、光栄でございます」
「そうか、お釣りはいらない」
大銀貨を1枚店主に手渡して、スカーフを買った。
「慣れてますのね」
「一国の主たるもの市井の暮らしを知っておかねばならんからな。たまに今日みたいにお忍びで来る」
「お忍びのわりには店主が萎縮してるようだけど」
「しかたない、傷跡でバレるからな」
お忍びの意味……。
「細かいことは気にするな。ほら」
陛下が頭にスカーフを巻いてくれる。
「うん、似合ってる」
「ありがとうございます……」
突然顔のそばに大きな手が来たから、なんだか照れて俯いてしまう。
「よし、次に行こう」
陛下の言葉で我に返り、顔を向けると、陛下は乗合馬車に飛び乗っていた。
「あっ、お待ちください!」
慌てて飛び乗る。
「お転婆だな」
陛下がいじわるな笑みを浮かべる。
あなたのせいでしょうに。
ムッとした私は嫌みを返す。
「そうです、私はお転婆でございます。皇后にはふさわしくありませんので婚約破棄してください」
「なに、私の伴侶はそれくらいのほうがいい」
陛下はすぐに返してくる。
この人はいつも、ああ言えばこう言う。よく口が回る。
不満げに見ていると、陛下は目を逸らした。
「すまなかった。そう、怒らないでくれ」
降参だ、と両手を上げる。
「許してあげます」
笑顔で言った。
馬車に揺られながら、街並みを楽しむ。髪を撫でる風が心地いい。
国立劇場の前を通る。荘厳に輝いている。
続いてアングナール工房。手前で馬車を降りて、中に入る。
ここも荘厳で優美だ。制作途中の絵画や彫刻がいくつもある。一つ一つに人の技と熱が込められている。
工房を出て、再び馬車に飛び乗る。
月猫亭。温かくて美味しい料理。愉快なお客さん。陽気な歌。
また違う馬車に揺られる。
凱旋門。初代皇帝の像。国立大学とその図書館。様々な場所を見て回った。
そして最後にやって来たのは大聖堂。
こちらに迫りくるように二本の塔が聳え立ち、その後ろにはさらに高い鐘楼が天高くのびている。高くて頂上はよく見えない。壁一面には精細な装飾が施され、信仰の炎が燃え盛っている。
中に入るとさらに荘厳で美しい。黄金に彩られた祭壇、万華鏡のように輝くステンドグラス。神が作ったと言われても信じられる美しさだった。
「こっちだ」
いったいどれほど見入っていたのか。陛下の言葉で我に返った。
手招きする陛下の後についていき、階段を登る。
ハア、ハア。
大鐘楼の頂上に着く頃には息切れしていた。
「こっちだ」
陛下に促されて顔を上げる。その瞬間、飛び込んできた光景に、苦しかったのも忘れて息をのむ。
鐘楼からは帝都全域が見渡せた。
夕日に照らされる街並みはそれはそれは美しい。目に焼きつけたくて、無意識に身を乗り出していた。
「きれいだろう? ここは帝都のどこよりも高いからな。城よりも」
隣に立つ陛下は、我が子を慈しむような眼差しで帝都を見渡す。
「市民の心の拠り所はこの塔だ。
世界一高い塔の上で、毎日決まった時間になる鐘。それは繁栄と平和の象徴。それを守るために働く。君主として理想的な考えだ。
しかし実践するのは簡単じゃない。ともすれば綺麗事ともとれるそれを行えるのは、たぐいまれな力があるからだろう。
ふと、ニコラン殿下が浮かぶ。
陛下とは真逆ね、と思う。
すぐに掻き消す。この方に並ぶ君主が他にいるかも怪しいもの。比べるのは酷というものよ。
再び景色を見る。
最初の衝撃が消えてもなお美しい。いや、むしろ冷静になればなるほど美しい。人の知恵と芸術が満ちている。人の営みが宝石のように輝いている。
「きれいだわ……」
「君のほうがきれいだ」
「……は?」
突然の口説き文句に驚いて横を向いた。
「君のほうがきれいだ」
陛下が顔を赤らめていた。
え、今口説くような雰囲気だった!? たしかにロマンチックな景色を見ていたけど……。
でもそんなこと、これっぽっちも考えていなかったわ。
だいたい、
「そういう歯の浮くようなセリフは照れずにおっしゃてもらえます?」
こっちまで恥ずかしくなるじゃない。
「いや、それは仕方ないだろう!」
政治や戦いはすごいのに、どうして恋愛はカッコつかないのかしら。
「そ、そんなにダメか……? そんなにカッコ悪いのか……?」
「いえ、ダメじゃありませんわ」
皇帝陛下ともあろうお方が焦っているのがおかしくて、コロコロと笑う。
「じゃあなんで笑うんだ!?」
他愛もない会話、なに不自由ない暮らし、朗らかな笑み。
きっと今の状況を幸せと呼ぶのだろう。
でもだからこそ陛下とは付き合えない。
幸せはいつまでも続かないから。幸せが大きいほど失った時の悲しみも大きくなる。そんな体験は一度で十分だわ。
帝都の美しさに感動しながらも、もう一人の私が、冷酷に逃走経路を確認していた。
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