第5話

「お父様とお母様に安心するように言っておいてください」

「ああ、マビリア頼んだぞ」

「もちろんです!」


 マビリアがどんと胸を張る。お兄様が素っ気ないのはいつものことだ。


「では、お気をつけて、お兄様」

「ああ」


 お兄様は馬に乗り去っていく。

 ありがとうございます、お兄様。


「私はずっと側にいますからね」


 マビリアが手を握ってくれる。


「違うのよ、この涙は。寂しいんじゃなくて、嬉し涙みたいなものよ」


 目尻に浮かんだわずかな涙を手で拭う。


「マビリアもここまで来てくれてありがとう。二人に大切にされて私とても幸せよ」

「オリアナ様……!」


 私が笑うとマビリアは感動したみたいに呟いた。


「じゃ、じゃあお別れも済んだことだし、戻りましょうか」


 急に恥ずかしくなったので、話題を逸らした。


 与えられた自室に戻り一息つく。

 これからどうしようかしら。好きにすればいいと言われたのだから好きにすればいいのよね。逃げる算段はつけたから、次は逃げた後のことかしら。一人でも生きていけるようにしなくちゃ。

 そのためにはサバイバル技術を身に付けないといけない。


「よし、狩りに出かけるわよ!」


 マビリアとブラダマールに堂々と宣言した。

 狩猟服に着替え、弓とナイフを装備して、私とマビリアとブラダマールは帝都近くの山へ向かった。


「ブラダマールが狩猟の知識を持っていて助かったわ」

「野営を何度もしているので……」

「頼りになるわ」

「でも狩りなら犬を連れてこなくてよかったんですか?」


 マビリアが聞いてくる。


「いつも犬がいてくれるわけじゃないでしょう? 今回は一人で生きられるようになるための狩りだもの。犬には頼れないわ」

「たしかにそうですね。でも私はいつでも一緒にいますからね」

「ありがとう。頼りになるわね」

「はい、どんどん頼ってください! この忠犬マビリア、オリアナ様のために粉骨砕身がんばる所存ですから!」


 マビリアがどんと胸を張る。


「ならさっそく頼もうかしら。獲物を見つけてきてちょうだい」

「バウッ!」


 マビリアは犬の鳴き真似をしながら敬礼すると、勢いよく駆けていった。


 そして十分後に泣きながら戻ってきた。


「見つかりませんでしたぁ……」

「大丈夫よ、最初から期待していなかったから。はいご褒美」

「わぁ、ありがとうございます! 美味しいです~」


 マビリアは私がポケットから取り出したフィナンシェを美味しそうに頬張る。


「あの、鹿の足跡を見つけたのですが……」


 ブラダマールが冷めた目をこちらに向けながら言う。


「どこ?」

「ここです」


 草むらに隠れた所に小さな足跡があった。


「よく見つけるわね」

「たしかに単体だと分かりにくいかもしれませんね。ただ他の痕跡、フンとか角研ぎの跡とかと一緒に探すと見つけやすいかと」


 ブラダマールが指差した所を見ると、木に縦長の大きな傷があった。

 たしかにあれは分かりやすいわね。一つ痕跡を見つければ、他の跡も見つかる。それを繰り返せば獲物を見つけることができるってわけね。


「よし、マビリア、茶番はこれくらいにして行くわよ!」

「イエッサー!」


 ブラダマールを先頭にして、跡を辿る。


 いた。崖の下で沢の水を美味しそうに飲んでいる、五頭の鹿の群れ。


「ここからじゃ狙えないわね」


 近付こうとするとブラダマールに手で制止された。


「風上から行くと気付かれます。迂回して下流の方から近付きましょう」

「分かったわ」


 場所を移動する。


 鹿はまだその場に留まっていた。木の蔭に隠れて弓を構える。

 狙うのは一番立派な角を持つ雄鹿。胸のあたりに狙いをつける。

 大丈夫。弓の鍛練はずっとしてきた。心を落ち着け、呼吸を整える。

 そして弦を引く。狙いすます。放つ。


 瞬間、雄鹿が頭を上げる。


 まずい、間に合え。


 雄鹿が体をたわませ、跳び跳ねた。


 シュパッ。


 跳び跳ねた雄鹿の腹に矢が突き刺さった。甲高い悲鳴を上げる。仲間は脱兎の如く逃げ出した。

 倒れた雄鹿はもがくが、やがて呼吸は弱くなり、動かなくなった。


 それを見た私たちは沢に降りられる所へ移動を始める。

 ふと前を歩くブラダマールが立ち止まり、剣を抜いた。


「下がってください」


 静かに呟いたマビリアも、私の前にすっと出て、剣を構えた。


 私は唾を飲み込む。

 目の前に巨大な熊がいた。木立の間から現れたそれは、よだれを垂らしながら唸っている。

 鹿の血を嗅ぎ付けて来たのかもしれない。私たちを餌を横取りする敵だと認識しているようだ。


「ゆっくり、お下がりください……」


 ブラダマールが険しい表情で呟く。

 その指示に従い、ゆっくり後退する。


 しかし後退した分だけ熊が近付いてくる。

 目が血走っている。恐ろしい。冷や汗が垂れる。少しでも隙を見せれば襲われてしまうだろう。三人とも熊から目を逸らさずに、ジリジリと下がっていく。


 スカッ。


 大地が消えた。世界がひっくり返る。まずい。


「オリアナ様ッ!!」


 必死の形相のマビリアが見える。ブラダマールの声も聞こえる。


 直後、背中に衝撃が走った。

 息が止まる。激流の中にいるかのように体が激しく回転する。その度にどこかしらが殴られたみたいに痛む。

 視界が上下左右に激しく揺れてどうなっているのかまったく分からない。


 気付けば止まっていた。全身、打撲したみたいに痛む。足を踏み外して落ちたのだろう。周囲の状況を確認しようと目を開く。


 まず飛び込んできたのは、私の下敷きになったマビリアだった。全身に裂傷と打ち身があり、気を失っている。


 次に聞こえたのは熊の唸り声。ハッと顔を向ければ、今度はブラダマールが熊の下敷きになっていた。

 腕に大きな切り傷があり、血が流れている。右足には熊の爪が深く食い込んでいる。苦しげに顔を歪めていた。


 私のせいだ。私が足を踏み外したから、それを庇ってマビリアは大怪我を負った。ブラダマールもきっと、こっちに気を取られた隙に襲われたんだ。私がなんとかしなきゃ。

 矢を構える。


 その時、熊が凶悪な牙をブラダマールに近付けた。


 ダメ!

 とっさに矢を放つ。


 命中するが、硬い頭蓋に弾かれた。

 けれどこっちに意識を向けることができた。

 そうだ、それでいい。私に向かってこい。

 マビリアから離れながら、再度矢を構える。

 極度の緊張で弦が震えた。


 熊が突進してくる。まだだ、まだ射るな。恐怖にはやる気持ちを必死に抑える。

 外しちゃダメだ。確実に仕留めないと。この一矢に私たちの命運が懸かっている。

 弦を引き絞る。


 跳んだ。今!


 飛びかかってきた熊が今にも噛みつこうと口を開けた瞬間、矢を放つ。


 押し潰される。

 痛い。全身が痛い。息ができない。必死にもがく。


 プハッ。


 熊の下から這い出る。後ろを見る。巨大な熊は微動だにしない。

 頭の周りにじわりじわりと血だまりが広がる。

 無事倒せたようだ。


 でもまだ安心はできない。


「マビリア! ブラダマール!」


 立ち上がりながら二人の名前を呼ぶ。


「……ハッ、オリアナ様!? 無事ですか!? どこに!?」


 私の声で意識を取り戻したのか、マビリアは起き上がり、周囲をキョロキョロと見回した。よかった、無事だったようだわ。

 後はブラダマール。


「ブラダマール!」


 ブラダマールの元へと駆け寄る。


「大丈夫です……ッ」


 ブラダマールは自力で上体を起こしていた。

 しかし安心はできない。右腕と左足に大きな傷がある。このままでは大量出血で死んでしまう。


「じっとしてて」


 迷わずに服をちぎり、ブラダマールの腕と足に巻きつける。


「申し訳ありません」


 ブラダマールは自らの不甲斐なさを恥じるように顔を歪めた。


「謝らないで。私が悪いんだから。ごめんなさい、私のせいで危ない目に合わせてしまって」

「私も肝心な時に気絶する役立たずですぅ。ごめんなさいぃ」


 私が謝るとマビリアも泣きながら謝った。


「なら全員悪いということで」


 ブラダマールが微笑む。


「そうね、そういうことにしときましょう」


 私も笑みを浮かべて、立ち上がった。


「立てる?」

「なんとか」


 ふらつきながら立つブラダマールに肩を貸す。


「私も持ちます」


 マビリアと二人でブラダマールの両脇を支え、帰路に着く。


 一人でも生きていけると思っていた。

 たしかに経験や知識は足りないけど、少し慣れれば、一人でも生きていけるようになると。それくらいの強さはあると思っていた。


 思い上がりだった。私のせいで二人を危険な目に合わせてしまった。


「巻き込んでしまってごめんなさい」


 私が謝ると、マビリアが口を突き出した。


「謝るのは禁止ですよ!」

「そうだったわね。ごめんなさい」

「もう、また!」


 なごやかな笑いが起こる。

 マビリアはもちろんブラダマールだって、もう大切な人だ。


 強くならなきゃ。二人が私のせいで傷つかないように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る