第4話

 高くから射し込む陽光で目が覚めた。

 見知らぬ豪華な部屋だわ。ああ、そうだった、ジークフリート陛下に助けられたんだった、と思い出す。


 それにしてもぐっすり寝たわね。

 高く上った太陽を見ながら思う。


 軍に護衛されて帝都までやってきたのが昨日。ニコラン殿下を投げ飛ばしてからずっと、広い部屋や柔らかいベッドで寝てなかったから、ぐっすり寝てしまったのかしら。

 それにしても初めてやってきた国でぐっすり寝るのは警戒感がないわね。

 ため息を吐く。

 ちょうどその時、扉がノックされた。


「お目覚めですか?」

「ええ、どうぞ入ってきて」

「失礼します」


 通路に続く部屋から侍女が入ってくる。

 深緑色の髪を後ろで結わえた、いかにも神経質そうな彼女は、たしかブラダマール。昨日陛下より紹介された、この城での生活のお世話をしてくれる女性だ。


「おはようございます。昨夜はよく眠れましたか?」

「ええ、ぐっすりと」

「それはよかったです。どうぞご洗顔を」

「ありがとう」


 彼女が持ってきてくれた桶に入ったぬるま湯で顔を洗う。

 その後、髪をとかしてもらう。


「朝食はどうなさいますか? こちらで召し上がりますか?」

「そうするわ。お願い」

「承知しました」


 すぐに準備が調う。


「ジークフリート陛下は?」


 朝食をとりながら尋ねる。

 たいした意図があるわけじゃなくて、とりあえず私の今日の予定がどういう風になるのか知りたかった。私の行動は陛下の行動に左右されるだろうから。

 それと、どんな風に口説いてくるのかにも興味と警戒があった。


「陛下は1日中仕事です。いらっしゃったばかりで申し訳ありませんが、陛下もオリアナ様を蔑ろにしているわけではありませんのでご容赦を」

「いいの、いいの、ちょっと気になっただけだから」


 そりゃそうよね。国を留守にしていたから、ただでも仕事が溜まっているはずなのに、加えて私のこともあるのだもの。忙しいはずだわ。


 ……信じていいのかしら。

 陛下が嘘を言っているとは思わない。でも気が変わるかもしれない。変わらないとしても、君主なら国益のために差し出さないといけない。


 助けてもらっておいて、こういうことを言うのはどうかと思うけど、でも、もしもの時に逃げられるようにしておかないと。


「私は今日何をすればいいのかしら?」

「ご自由にどうぞ。陛下からは好きにさせるようにと承っております」

「なら城内を散策しても?」

「もちろんでございます。ご案内します」


 ということで逃走経路を確認するために城内散策に向かった。


「こちらは書斎でございます」


 壁一面に本が並んでいる。細かな装飾の施された本棚、黄金に縁取られた本、品のある机、全てが美しい。

 通路も豪華な装飾品がいくつも置かれている。歴代皇帝の積み重ねてきた栄華が凝縮されているようだ。


 庭に出る。一面花だった。青い薔薇で埋め尽くされていた。


「美しいわね」


 思わず感嘆の声が漏れる。


「皇太后陛下が大切になさっていましたから」


 言い方に違和感があるわね。過去形。まるで皇太后陛下が亡くなったみたい。まだご存命のはずだけれど。


「ご容赦ください」


 疑問が顔に出ていたのか、ブラダマールは申し訳なさそうに言った。

 まあ、どの国にも複雑な事情があるわよね。特に陛下は皇位に就いた経緯が特殊だったはずだから。

 深く聞かずに、庭の散策に戻る。


 しばらく美しい庭を見て回っていると、声がした。


「オリアナ様!!」


 振り返るとマビリアがいた。

 マビリア・ランギール。黒髪ボブの慌てん坊な、私の侍女。乳兄弟で、ちょっとおっちょこちょいな友達。


「どうして――」

「無事でよかったですーーー!!」


 私の言葉を遮るように、抱きついてきた。涙と鼻水が私の服に付く。

 せっかく用意してくださったドレスが台無しね。

 自然と笑みと涙が溢れる。もう会えないと思っていたから、とても嬉しい。


「もう一生離れません!! ずっとお側にいます!!」

「ありがとう。私も離れたくないわ」


 抱きしめ合う。

 しばらくそうしていると、また声がした。


「無事でよかった」

「お兄様!!」


 少し離れたところにお兄様がいた。

 ベーオウ・クラレント。短い金髪を後ろに雑に撫でつけただけの、寡黙でぶっきらぼうな大男。

 一見すると怖いけど、本当は誰よりも優しくて、私のことを大切に思ってくれているって知っている。

 ここまで来てくれたことが何よりの証拠。


「来てくれたのですね!」


 急いで駆け寄る。


「助けられなくて、すまなかった」

「助けようとしてくれただけで嬉しいですわ。それにしてもよくここが分かりましたね」

「連れ去られるのが見えたからな」

「ずっと付いてきていたのですか? 気付きませんでしたわ」

「いや、早々に撒かれた」

「じゃあ、どうして?」

「私の愛馬を撒ける馬などバヤードしか知らん」


 バヤード。ジークフリート陛下の愛馬。1日に千里走るとして他国にも知られている名馬。

 って、そんなことどうでもいいわね。


「会えて嬉しいですわ」


 お兄様に抱きつく。お兄様は無言で抱きしめ返してくれる。

 肩の力が抜けるのが分かる。知らない地に一人でいるのが存外心細かったのだろう。安堵の息を吐く。


「ベーオウ様ばっかりずるいです」

「ごめんなさい。拗ねないで」


 不満げなマビリアも抱きしめる。


「それでお兄様はこれからどうするのですか? ジークフリート陛下にはご挨拶しました?」


 再会の喜びを分かち合った後で尋ねた。


「した。今日一日は泊まらせてもらえることになった。明日発つ」

「なら一緒に見て回りませんか? 今散策してたの」

「ああ」

「お供します!」


 お兄様とマビリアと一緒に城内を見て回った。


 日が暮れると、夕食に招待された。

 広い部屋だ。ジークフリート陛下が普段食事をする部屋らしい。

 十人掛けのテーブルに座る。陛下が座るであろう上座から見て斜め左にお兄様、斜め右に私、私の隣にマビリアが座る。


 陛下はいつもこの広い部屋で一人で食べているのだろうか。寂しくないのかしら……。


 私が部屋を見回しながら物寂しい気持ちでいると、マビリアが口を開いた。


「侍女なのにご一緒して大丈夫ですかね?」

「いいのよ、招待されたんだから。それにあなたも貴族の娘じゃない」

「ならいいですけど」


 そう言いながらも、緊張しているらしい。何度も座り直している。

 対してお兄様はいつもとまったく変わらない。まあお兄様は緊張していても表情に出ないだろうけど。


 世間話をしていると扉が開き、ジークフリート陛下が入ってきた。

 スッと音を立てずに立つ。隣でマビリアがガタタッと音を立てて立ち上がる。


「すみません」

「よい、待たせたな」

「いえ、ご相伴にあずかり光栄です」


 挨拶を済ませ、食事が始まる。


 カンッ。


「あっ! 」


 マビリアがニンジンを弾き飛ばした。フォークが皿に当たり、甲高い音を立てる。


 緊張しているからか、いつにも増してヘマをするわね。

 さすがに怒るだろうかと陛下のほうを見るが、彼は笑っていた。


「すみません!」

「よい。君はオリアナの侍女というよりは友として側にいた方が良さそうだな」

「! ありがとうございます!」


 マビリアは褒められたと思って喜ぶ。

 暗に侍女失格だと言われているのだが、それでいいのだろうか。まあ陛下が怒ってないのだからいいか。


「それでどうだった、城内散策は」

「とても楽しかったですわ。美しい城ですわね」

「それはよかった。逃走経路も見つけられたか?」


 ! バレていたのか! 早く謝らなければ!

 と思ったが、その前にお兄様が口を開いた。


「オリアナはそんなことをする子ではありません」

「そうですよ!」


 マビリアも言う。二人の信頼が痛い。


「てっきりもしもの時逃げられるように、城内散策をしたのかと思っていたが、違ったか?」

「いえ、その通りです。申し訳ございません」


 私が謝ると、


「「申し訳ありませんでした」」


 お兄様とマビリアも揃って頭を下げた。


「別にいいさ。ここまで攻め込ませなければ、いいだけだからな。それに君が情報を漏らすような者でないことは知っている」


 どうして言い切れるのだろう。

 顔に出ていたのか、ジークフリート陛下が教えてくれる。


「たとえばイストグリス王国の情報を話して、私に取り入ることもできた。だがしなかった。そもそも、そんなこと思い付きもしなかったんじゃないか? そういうバカ正直な者は信頼できる」


 褒められているのだろうか? 複雑だ。


 お兄様が無言で笑う。こいつ、なかなか分かっているじゃないか、みたいな顔をするのはやめてほしい。二人で目で会話するのもやめて。本当に恥ずかしい。両手で顔を覆う。


「まあ、そういうことだから好きにしたらいい」

「はい……ありがとうございます」


 恥ずかしさから、縮こまるしかなかった。


 その後は、ジークフリート陛下とお兄様が打ち解けたのもあって、和気あいあいと夕食は進み、お開きになった。




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