第3話

「助けていただきありがとうございます」

「当然のことをしたまでだ」


 追手を撒いた白馬は、イストグリス王国とガウラ帝国の間の森の中頃で歩を緩めた。

 数時間全速力で走ったのに馬は息一つ乱れていない。

 驚きだわ。どこで手に入るのかしら。


 白馬の騎士が私の両手に嵌められた木の枷を掴んで砕く。

 こちらも驚きの怪力だわ。とんでもないわね。


 いや、今はそんなことよりも気になることがある。


「あなたは誰なのですか?」


 私を包み込むようにして騎乗している黒髪の騎士に尋ねる。


「私だよ」


 騎士は仮面を外した。

 額に傷があった。青紫色の瞳は陽光に照らされて宝石のようだった。思わず息をのむ。

 助けてくれたのはガウラ帝国皇帝ジークフリート・イスカンダルだった。


 一度唾を飲んでから尋ねる。


「どうして私を助けてくださったの?」

「好きだから」

「えっ……」

「結婚してくれ」

「えっ!?」


 どういうこと? 好き!? 結婚!? 私と!? なんで? ほとんど関わったこともないのに。


「そもそも私は犯罪者ですよ?」

「そんなことする人じゃないくらい分かる」


 挨拶程度しか会話したことないのに、どうして言いきれるのかしら。


「それに仮に君が先に手を出したのだとしても、なんら問題はない。礼儀も弁えずに婚約者を蔑ろにする奴らなど投げ飛ばされて当然だ。むしろいい薬になったと感謝すべきくらいだ」


 堂々と言った。

 まさか全面的に肯定されるとは。


「奔放な人ですわね」

「褒め言葉と受け取っておこう」

「でも隣国と敵対してまで助ける理由にはならないですわ」

「愚問だな。愛する人を救うためなら、なんでもするさ」


 どうして好きになれるのかしら。挨拶程度の会話しかしたことないのに。

 それに、


「私にはこんな傷がありますのよ?」

「その傷が嫌いなのか?」

「嫌いではありません」


 後悔もしていない。胸を張って誇れることをしたのだから。あの場に今の記憶を持って戻ったとしても、きっと同じことをする。


「でも美しくはない」

「なら私の傷も醜いと思っているのか?」

「あなたのは戦士の勲章。勇気の証です」

「君のもそうだろう?」

「そうですわね。でも女に求められるのは強さではありません。美しさと儚さです」

「仮にそうだとしても、君の顔は美しいし、傷は死を連想させ儚い。そして二つは対比されることによってより一層際立つ。君は誰よりも美しい女性だよ」

「口がお上手ですわね」

「本気だ」


 顔がわずかに紅潮している。たしかに本気なようだ。

 なぜ惚れたのかは、さっぱり分からないけど、本気ならばこちらも誠意ある返事をしなければいけない。


「好いてくれたことは素直に嬉しく思います。ありがとうございます。けれど申し訳ありません……誰とも付き合う気はありません」


 本心を伝えた。どれだけ愛し合っていても、いつかは終わる。そんなこと、もうこりごりだった。


「そうか分かった、結婚は諦めよう。しかし婚約はしてもらう」

「は?」


 どういうこと?

 疑念の目を向ける。


「安心してくれ、婚約といっても仮の婚約だ。一年ほど対外的に婚約していると見せるだけだ」


 言われてもさっぱり。


「どういうことですか?」

「君は罪人に仕立て上げられた。不当だが罪人は罪人。逃がしたとなれば彼らの名誉に関わる。あの手この手で君を取り戻そうと、もしくは殺そうとしてくるだろう。私の婚約者という大義名分があったほうが守りやすい」


「理にかなっていますね。でもそこまでしてもらうのは、あなたに悪いですわ。自分でなんとかします。それで捕まったら、その時はその時。潔く死にますわ」

「それはやめたほうがいい。君の家族が大変なことになる」

「なぜ?」

「君を連れて逃げる時、町のそばの森に軍隊がいた。おそらく君を助けようとしていたのだろう」


 きっとお父様かお兄様だわ。

 嬉しさと申し訳なさが沸き起こる。


「君が捕まれば、また無理にでも助けようとする」


 そうしたら戦争になる。それは避けないといけない。


「でもやっぱり……あなたにそこまでしてもらうのは悪いですわ。大丈夫、きっと一人でも逃げきれますから」

「そんなに私に頼りたくないか。ならば勝負をしよう」

「勝負?」

「婚約している間に君を口説く。一年後までに惚れさせたら私の勝ちだ。逆に惚れなければ君の勝ち。婚約も解消され晴れて自由だ。どうだ? 勝てば私は愛を、君は自由を手に入れられる」


 私にデメリットがひとつもないわ。とんだお人好しね。


「よろしいですわ。あなたがそれでいいと言うなら、その勝負受けて立ちますわ」

「決まりだな」


 皇帝陛下は白馬から飛び降りると、数歩前に進んで手を広げ、森の先を指し示した。


「歓迎しよう、ようこそガウラ帝国へ」


 森の開けた先に帝国軍が出迎えていた。

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