編集済
瀬川昌司氏がプロ入りの挑戦をするときに指定された対局相手の1人目が女流棋士、2人目が高校生プロだったと記憶しています。
負けたら精神的ダメージも大きそうな相手を持ってくるのが将棋連盟の意地悪なところだと思いました。
しかも単なる高校生ではなく、後に名人になった佐藤天彦氏ですから怖いですね。
さて、本文中では御自身を星屑に喩えておられますが、果たしてそうでしょうか?
「露草の栞」なんぞは、もし明治大正期の文豪の蔵から出て来た遺稿だと言われたとしても、私は信じていたでしょう。
変わらぬ執筆活動を楽しみにしています。
(追記)
ウィキペディアで調べると、瀬川昌司氏の編入試験では1人目が佐藤天彦3段で、まだプロになっていない17歳に負かされたわけですね。
そして中井広恵女流6段は4人目で、彼女に勝って2勝2敗としたようです。
頭の中で勝手に「女流棋士と高校生に連敗して追い詰められた後に踏ん張って3勝した」と話を作っていました。
どうもすみません。
作者からの返信
先生、こんばんは。
タイトルが指定でしたので、なんだか深刻な感じの内容になってしまいました。
多くの人が何十万字もコツコツと文字を打っている有様は、その人数や文字数や、労力に想いをはせる時、なんでこんなことを? とたまに愕然となったりするのですが、べつに趣味でなくとも生まれてから死ぬまで誰でも全てほぼこんな感じかな~と、達観したりします。
先日、元プロ野球選手の横田慎太郎さんが28歳でお亡くなりになりましたが、好きなことが出来る身体があるというだけでも、ひじょうに幸福なことです。
羽生世代にあたる、村山聖の伝記「聖の青春」と瀬川晶司「泣き虫しょったんの奇跡」、書籍も映画もどちらも良かったです。
編入試験の一局目、佐藤天彦さんが相手だったんですよね……! あらためて、これは強敵すぎますね。
過分なお言葉、ありがとうございました。
編集済
朝吹さま、こんにちは。
タイトルが「世界に見捨てられて人々へ」で、キャッチコピーが「ひとり遊びが得意なの」でしたから、シリアかウクライナの難民の子供達を想像しました。
でも、読みは始めると、自分のことだったので、びっくり。われら、星屑族なのですね。うまいこと書かれるなぁとしばし感心。
私はもし50か100☆をもらえたら狂喜のレベルですが、中には何千、何万☆の人がいらっしゃいますよね。私も、一度くらいはたくさんの☆をいただきたいと思って勉強したところ、なんといっても人気は異世界、転生もの。それで、私、「賢いヒロイン」ではそのジャンルで挑戦してみました。一番の発見は書いていて、楽しいこと。何でもありなので、思いつくまま。
でも、結果は星隕でした。
でも、星屑のよいとこもあります。それは、また次の挑戦ができること。たとえば、朝ドラの主人公に選ばれてしまい、それがコケたら、それからの人生大変でしょう。でも、オーデションに受からない星屑は、いろんな役に応募できますし、端役だって、大喜び。
それで、ぽつぽつとエッセイを書きながら、次はどんな小説に挑戦しようかなと考え、悪徳令嬢でいこうかなとも思ったのですが、向きではないことがわかったところです。
ところで、私にはありがたいことに応援してくださる方が数人いらして、何を書いても☆をくださいます。その方々の☆を引いたら、☆数はほぼ0ということだと気がつきました。今夜の星屑、真っ青です。
作者からの返信
九月ソナタさん
タイトル詐欺すみません~。
後から私も、これだと、放置子か難民の子どもの話に見えるなと反省しきりでした。
「世界に見捨てられて人々へ」はお題しばりなのですが、身近なところを題材にとりました。
大雨のように星が降り注ぐ方と、ただの石ころとなって漂う残り9割の方との差が大きい上にその差が数字で眼に見えて分かるという仕様になっておりますが、それはそれで、それでも好きなものを書けることは倖せなこと。そんなことを云いたかったのです。
有名な方も無名な方も、何かを書くあいだは誰でも孤独で、独りで遊んでいるようなものです。
その遊びを存分に楽しみましょうという、そんな主旨でした。
何十万字、連載何百話と書いていても、ほとんど星がない方々をお見かけするたびに、その方の内なる熱意は本物だと想わざるを得ません。
生前は不遇だった芸術家とて、自分だけを信じて、そうやっていまの名作になっているわけですから、評価数がゼロなだけに余計にすばらしいと想うのです。
九月ソナタさんは柔軟に様々なことにチャレンジしておられて、自由な精神をまさに体現してられますね。
それもこれもすぐにスタートをきれる、準備万端の潤沢なモチーフを心にお持ちだからではないでしょうか。
まさにカクヨムライフを存分に愉しめている方のお一人ではないかと想います。
何を書いても☆を下さる方々というのは、タニマチという解釈で、ありがたく頂戴してよいと想います。ほとんどの方は常連さんに支えられて活動をしています。良い作品を書いたのだからもらえて当然だと堂々とありがたく頂いちゃいましょう。
どのみち、巨大惑星には一ミリも届きませんから笑
A、B、Cさんがほとんど遜色ない作品をお書きになっているのにAのみが星が三桁、B、Cは一桁というような不思議な現象も眼にしたりしますが、
星って一定数集まってくると「面白いのだろう」と想われて、読んでもらえる機会も増えて、さらに☆が増えていくんですよね~。
私は昔、埋もれている作品を発掘することが趣味の読み専の方に見出してもらえたことがあるのですが、その方は、ついている読者の数にはまったく囚われていませんでした。
自分の好きなものに忠実であるという強いセンスは、書き手も、読み手も、きっと同じなのでしょう。
立ち寄って下さってありがとうございました(^^)
ご無沙汰してます、朝吹さん。
星屑…私もその中の一つです。
ひとり遊びという表現に…そうだそうだ!と。
書きたいものを書いている時は
頭の中にあるドラマを追っています。
これは何だろうと思ったことをググると
実際に存在していて…一つ賢くなったり。
今、ちょうどそんな状況です。
登場人物を動かすというより止まらない…
こんな楽しさを後押しして下さった
朝吹さんや交流のある作者さん達に感謝です。
(…書き終えたら、これでいいのかと悩むのですが)
しかし…
元々読まれない前提でコンテスト応募にしたので
あんまり気にしていなかったのですが…
朝吹さーんっ!ヨム大感謝ですよ。
でも、レビュー負けしそうですよー
知識も感想もオリジナルメモ案もステキ過ぎて。
勿体ないくらいです。感謝感謝です。
おかげでハッとなって、現実に戻って来ました。
(↑デスゲームトリップ中でした)
現実逃避もあって、
しばらくはクルーズ船から降りられませんが、
朝吹さんの鋭く尖ってて、直球ストレートで、
とっても典雅で繊細な作品の大ファンなのです。
ちょっと今は脳のスペースに余裕がなくて、
マイペースに推させて下さい。
またお邪魔します!!!
作者からの返信
三寿木春さん
ヨムヨム月間なのでお邪魔してみました。
もう一つの連載「内に棲む蟲」とどちらにしようかと迷いましたが、三寿木さんの書く十代は魅力的なので、「共喰いの船」に決めました。
まさか本当に共喰いすることになってるとは~。
原則、完結まで待ってからレビューを寄せたほうがいいと想っているのですが、連載途中でも書けそうなら書いちゃいます。ご迷惑かもしれませんが書いちゃいました。
登場人物紹介はちゃんと三寿木さんが書いて下さっているのですが、わたしはいつもあの紹介文を読まずにいきなり本文を読むのです。
視界に入ることはあっても、じっくり読んだりはしないのです。
「読んでもらえるためにも紹介文は大事!」
そんな意見もあるようですが、私自身が一切読まずに本文に直接いくので、そこはピンとこないままです。
キャッチコピーは見ますけれど。
メモは、とくにネット小説の長篇は、自分だけが分かるように書き留めておくだけで、どんな小説でも飛躍的にするする読めるので習慣的にやっています。
他の人が見ても意味不明な、いい加減なものですけれど、それをすることでスッと物語に入れるのです。
途中で、
この人誰だっけ?
となっても自分のメモだと想い出せたりします。
あとは真ん中あたりからいきなり読むこともあります。それで、なんとなく雰囲気を掴んで最初に戻ったりします。本屋さんの立ち読みみたいなものなので、それで何かが大きく損なわれることはないのですが、作者さんには秘密です。
また連載の続きが進んだ頃にまとめて読みにお邪魔します。
すごくいい感じで進行されておられるようなので、こちらも良いものをもらった気持ちです。
このエッセイは指定タイトルに寄せたものになります。
わたしなどはもう最初から最後まで読者が限りなく一桁であり、星屑状態は慣れっこなのですが、こんなへき地でもたまに立ち寄って下さる人がいるんですよ~。
それだけでも倖せな方です。
自分が若い頃に投稿した小説投稿サイトは今やどこにもないし、インターネット初期のせいか検索しても名前すら出てこないんですけど、ふとあの名もなき方が書いた小説もう一度読みたいなと思う時もあるし、妹が学生時代に在籍していた文芸部の中に書かれていた知らない方のエッセイをふと思い出してもう一度読みたいなと思う事はあります。
あの頃はまだインターネット上に小説を書いても本当に誰も読んではくれない時代だったので、少なくとも同好の士が必ず見つかる今の方が遥かに精神的には良いような気がする時はありますが、実際あの頃もテキストサイトのReadMeランキングという本気で上位に相互リンク貼られないと一切読まれない過酷なランキングサイトがあったりしたので、結局のところ本質はあまり変わらないのかもしれませんし、最近は昔のオペラ作家も貴族に読まれる為だけに自分の志を折って書くか自身を貫いてパトロンに捨てられて飢えて死ぬかを選択させられていたのだろうと思えば結局はいつの時代も変わらない様な気もして、まあいつの世もそんなものかと達観してしまうこの頃です……
作者からの返信
猫目孔雀さん
以前に、「作者名も作品名も覚えてないけど二十年前くらいに読んだこういう感じのこういう話で~」とTwitterで探していた方に、「これでは? わたしも大好きでした」と完全に埋もれていたネット小説を探し出してきた方がいました。
人気作でも何でもなかったようですが、そうやって誰かにとっての忘れられない作品になっているというのも、書いた作者にとっては倖せなことですよね。
わたし自身も経験があって、中学の時に文芸誌かなにかに寄稿したものを、同級生の妹さんが読んで、「これは誰が書いたのだ」という話になり、ペンネームで投稿していたのですが、わざわざ家のポストにまで熱い感想を届けてくれたことがありました。
書いた本人は中学生の頃に書いたものなんか読み返したくもないので、「うわああ~」と悲鳴をあげていましたけれど、そんなことってあるんだなぁと。
現状、自分たちの気持ちのもちよう一つで楽しくも悲しくもなるわけで、なんだかんだでわたしは楽しいのですが、二十万字超えの連載作品や、たくさん作品を書いているのに、☆もPVもほぼゼロみたいなものを眼にすると、むしょうに哀しくなってしまうのです。
トップ画面からして、ガラガラのお店の真横に、大繁盛して客足が途切れない巨大スーパーがあるような感じですから。
いつまで続くか分かりませんが、きっとカクヨムにもサービスが終わる時は来るのでしょうね。
こういう出版社が後ろにあるネット小説投稿サイトも、真に欲しいのは「銀河英雄伝説」「十二国記」のような、何十年経ってもドル箱になるような作品だと想うのですが、閉鎖するまでに生まれるといいですね~。
カクヨムに生息するすべての小説好きに向けた熱い応援歌ですね。
自分が書きたいものを吐き出せる場があるだけで、幸せだなと思ってますよ、私。もちろん印刷されて広く伝われば嬉しいし、お金になればさらに理想的ですけど。
それが実現できないからと、一喜一憂するヒマがあったら、頭の中にある小説を書きだしている方がよっぽど有意義だと思います。
人生は短いし。
作者からの返信
柴田 恭太郎さん
お世話になっております。
そうですね、発表出来る場所があるというのはとても恵まれたことですよね。
時々ほとんどの人が、ほぼ誰からも読まれていないことに胸が痛くなるのです。わたしが勝手にそう想ってるだけなんですけど。
繁盛する店と閑古鳥が鳴く店があるのは、世の常ですが、こと小説となると作品がその人そのものな面があるので、日々否定されているような気分にもなるかなと。
指定されたお題に沿って、がんばって書いてみました(^^;)
応援歌といっていただけて嬉しいです。
読んで下さってありがとうございました。
読ませていただきました(^^)
いままで朝吹さんが所々で語られていた創作感を、ぎゅっとまとめて届けていただいたような作品でしたね。
素敵でした。
読んでもらえることは嬉しいこと。
でも最初の一文めは自身が書きたい文字を綴って、皆さん作品を形作っていらっしゃるでしょうし、感銘を受けられる方も多いのではないかなと?^ ^
先日のお返事のお返事と思いましたが、タイムリーな作品に書くと皆さまのコメントの機会が!
と、思ったので、後から近況にでも貼らせていただきますね(^^)
作者からの返信
つくも せんぺいさん
こんにちは。
実は創作論風にまとめるしかなかったのです。
「世界に見捨てられている人々に捧ぐ」ですよ? どんだけスケールでかいお題なのっていう(※単にわたしが大きく何かを間違えた)
なので一番身近なことを書きました。「リボーンの棋士」は少し岩明均風味があるのでつくもさんお好きかもしれません。
その後、プチ停滞期はいかがでしょうか。
わたしはスランプになったことがなくて、それは単に書く気がしなかったらあっさり書かないからなんですが、書きたいのに書けないとか、自分でいまスランプなんだと分かると気持ちが焦ったりして辛そうですね。
今スランプなんだな~って実際に大声に出して云って、まったく別のことをやっていたら、そのうち抜けると想いますよ~。
読ませていただきました。
学生時代に執筆していた作品を発表することから始まった私のカクヨム作家としての活動ですが、定期的に新作を書き下ろすようになるとは思ってもみませんでした。これも私の作品を気に入っていただいた読者の方や、読むのが楽しみな作家の方々と出会えたからだと思っています。もちろん朝吹さんの作品や感想もその中に入っております。
自分の中に浮かんだことを(公序良俗に配慮は必要ですが)自由に書けるという楽しさをこれからも失わずに書いていきたいです。
作者からの返信
大田康湖さん
他のサイトは知らないのですがカクヨムは書き手さん同士の交流が盛んなのだそうです。他だと、書き手と交流するのは作品を追いかけて読んでいる読み専さんが多めだったりするそうです。そのせいか、こちらでは創作の深い話が出来たり、他の方の近況ノートやコメントから書く上での悩みを共感できたり、また、同じ書き手という立場から他の方の作品をきちんと読もう、しっかり応援しようという姿勢に自然となります。
世の中はどんどん進化しますので、こういった小説投稿サイトがいつまで現状のまま続くかは分かりませんが、創作意欲にカクヨムが並走してくれるのは、とても倖せなことですよね。
これからもよろしくお願いします(^^)
編集済
読みながら、同感することが多々ありました。
自分の気持ちを押し殺して生きると、いつの間にか心の負担が増してくるそうです。人生百年時代を一年でも多く楽し気に生き抜くためには「自分に正直になる」ことが大切らしい。
だからこそ、作品に陽の目を見なくても、自分の書きたいジャンルを描くと決めています。それが、自己満足の極致となる言い訳だと知りながら。
ご指摘のとおり、カクヨムが大きな宇宙のステージとすれば、僕という存在は青い地球と月の空間で漂う星屑のひとつです。でも、良いじゃないですか。
自分の描きたい世界観に、もうひとつの自分という惑星が寄り添ってくれるならば。ありがとうございました。
作者からの返信
神崎小太郎さん
こんにちは。
やっぱり自分の好きなものを書いていないと、自分が楽しくありませんよね。この前90万人突破を祝っていたと想うのに、あれよあれよと100万人を超えていて、どこの政令指定都市かというほどの人口ですね。
人生百年。最後まで頭もクリアで身体も健康ならいいのですが、痴ほうや寝たきりは嫌だなぁ。うちの家系はわりと女性が長生きで、だいたい百歳手前までは生きていますが、その分、介添えや、周囲の人たちが眼を配る大変さもみていますから、迷惑をかけたくない想いは強いです。
エッセイに書いたことは、きっとこれまでも何度もカクヨムで似たようなことを発信する方がいたと想うのです。だから、わざわざ書かなくてもいいかなと思いつつも、企画で指定されたタイトルがあまりにも壮大だったので笑、想わず書きおろしてみました。
企画への参加ありがとうございます!
タイトルやタグの縛りは、不正(迷惑)対策で行っていたので、そこまで思い詰めるとは思っていなかったので、申し訳ないです。
読まずに参加する方が結構多いので。
でもカクヨムでの見捨てられた者という視点は斬新で、大変ためになるようなエッセイでした。
ここが楽しめる場なら、意味はある。書く人がいなければ小説は生まれないのだから。
改めて、ありがとうございました!
作者からの返信
夕日ゆうやさん
こんにちは。
なぜか今まで「夕焼けゆうや」とお名前を間違えて憶えていたかもしれません(;'∀')
どこかで間違えてお呼びしていないとよいのですが。
世界に見捨てられた人々といっても、まだ地続きの同じ世界にいるのですよね。そういう方々に何か声をかけることが出来るとしたら、そこまで降りていける人ではないかと想います。
個人的には、本人が「わたしは世界から見捨てられている」と思い込んでいる人のほうが厄介かな……と。
勢いで参加させてもらいましたが、意義深い企画を立てて下さり、ありがとうございました(^^)
編集済
こちらは御作「星の数 【0〜9】の人々を愛おしむ」の対となるエッセイですね。
朝吹さんの文章に触れたくて、年末の家事の隙間に既に読んだ作品を読んだり、掘り起こして読んだりしてます(笑)。
もうね、内容も構成も素敵なんですけど、文章の質感がね味わい深いのです。こうなるとどんなテーマでも読んじゃいますね。(たまに難しくて数回読んでも6割位しか分からない事も 汗)
内容についての想いは、他のコメントされている方々に共感します。
私ね、20年位前にプルーストの「失われた時を求めて」を読了してから、自分の中でそれ以上に情熱を傾けられる作品がなかったんです。
仕事で文章を読んだり書いたりしているので、刊行本等に触れ感動し落涙する事があっても(あ、仕事中です 笑)、情熱は戻らなかったというか。小説はたまに書いてましたけど、誰にも見せない状態でした。
カクヨムを始めて、朝吹さんの文章を読んで読み手としての情熱もまた戻ったように思います。燃えさしに火をつけて頂きありがとうございました(^-^)
カクヨムには素敵な作家さんがたくさんいらっしゃいますね。
良いお年をお迎えください。
作者からの返信
葵 春香さん
プルーストの「失われた時を求めて」を読了しただけでなく、情熱を傾けられたというのがまず昨今ではレアです(愕)
古典の研究者でも源氏物語を原文で読む人は稀、くらいの確率ではないでしょうか。
マドレーヌばかりが有名ですが、ああでも、眠る前に読んだなら、書かれた「その時」の中に潜っていけるタイプの小説なのかもしれませんね。
わたしの作品に何がしかの吸引力があるとすれば、それは「下手」だからなんですよ~。
意識して上手に書こうとしてないのです。
それは、文章が上手なだけでは小説は書けないんだなと痛感したせいかもしれません。
もちろん文章も上手で内容もいいのが最高ですが、文章の巧拙にとらわれるあまりに書きたいことが背後に回り、「文章は巧い」だけで留まる印象の小説は、よくないなと。
文章とは、書きたいことがあってはじめて生きるんですよね。悪文でも、ものすごく魅力があって忘れ難い作品が存在するのは、そういうことではないでしょうか。
カクヨムにはとても魅力的な書き手さんが大勢いて、それぞれに独自のスタイルをすでに築かれ、それにふさわしい題材をお持ちなので、「こういう世界を描けたらいいだろうな」と、とても勉強になります。春香さんもその一人ですよ~。
来年もよろしくお願い申し上げます(*´ω`)