大自然の中で(上)

 雨降りの日々が過ぎ、皇国は夏の半ばになった。日陰が恋しい季節だ。

 晴れの日が増えてきたが、湿気の多い蒸し蒸しした外気が重たい。気温もぐんと上がり、せみの鳴く声がよく聞こえるようになってきたようだ。




 怜明れいめい天皇たちが薬畑山やくはたさんへ向かう日、暑さが和らぐ太陽が登る前の薄暗いうち、夜中を少し過ぎた頃に皇宮を出発した。天皇が避暑を兼ねた静養をしつつ、息子夫婦の婚姻こんいんを祝うためである。


 この日を心から楽しみにしていた怜明天皇は、非常に意気揚々としている。一行の中には、白人しろと彩女あやめも混ざっているようだ。



 コノハを含めた大王家おおきみけの一行は、多くの使用人たちが担ぐ輿こしに乗っていた。一番前の輿に怜明天皇と桃手皇后、その次の輿には建比古とコノハが居る。


 また、後ろの方には、篤比古あつひこと彼の婚約者である花媛はなひめが乗る輿があった。花媛は魔除けの朱色を使った化粧をしている、十四歳の少女である。



 その日は、雲ひとつ無い素晴らしい晴天だった。塞院さいいんの地、黄央きおうの都は、日中になると汗が止まらないくらい蒸し暑くなる。


 容赦ようしゃ無く照らす太陽の光は痛く感じることもあったが、次第に天皇陛下一行の足は軽くなっていった。緑の多い江羽里えわりに近づくにつれ、地面から照り返される熱が弱くなってきたようだ。

 昼間を過ぎると気温は下がり、僻地へきちである実野谷みのやに入ると、さらに涼しくなってきた。



 薬畑山のふもとに着いたのは夕方頃だった。明日の昼間、薬畑山頂上付近まで登るために、建比古たちは麓の宿に泊まって、十分に体を休める予定になっている。


 一行は、薬草を使ったタレをかけた色とりどりの蒸した野菜や鶏肉等の、とても豪華な夕食を堪能たんのうした。晩酌ばんしゃくも程々にして、次々に浴場で体の汚れを流しに行く。

 そして、皆々は早めに就寝していたのだった。




 翌朝に、怜明天皇の一行が薬畑山を登り始めた時、すぐにコノハはあることに気付いたので、非常に驚いた。

 山の中腹にある村に続く道が、見違えるくらいに整備されていたからだ。大きな石が見当たらず、木材を使って階段が造られていた場所もあるようだ。


 目を丸くしながら、輿の外をのぞいていたコノハを見て、建比古は穏やかに微笑んでいた。


「……あー。それは吉年よとしがな、武官を管理する兵部省ひょうぶしょうに相談したり、雪麻呂ゆきまろ殿にも掛け合ったりして、体力に自信がある者たちに整備を頼んだと聞いた。中春から動いてくれてたらしい。あいつは顔が広いしな。

 仕事で忙しくて、昨日と今日は実野谷には行けないが、行けない代わりの『結婚祝い』として、山道の整備を決めてくれたそうだ」


「えっ、そうだったんですね!!」


 随分ずいぶんと歩きやすくなっている山道を、大王家の大行列は前へ前へと登りながら進んでいく。日差しが弱くなっていく度に、行列を成す人々は軽快に歩いて行く。


 しばらくして、輿の中に居る建比古は何かを思い出したように、再び話し始めた。その話に、コノハはさらに驚いたようだった。


「あっ……、あとな。薬草やこうぞを運搬する人たちが、より安全に仕事ができるように、兵部省だけでなく党賀内で護衛として働いている武人から、実野谷に興味がある者を募って、優秀な武人を薬畑山に派遣する提案をしたと、吉年から聞いていてな……。護衛の指導員も送ろうかと、考えているらしい。

 これには、流石に俺も驚いた。ぞくとの戦闘を避けられなくても、『なるべく犠牲者は出ない方がいい』ってゆー吉年なりの想いで、実野谷を援助しようとしてくれているようだ」


「きっと雪麻呂さまを含めた、全ての薬畑山に住む人たちに喜ばれますね! わたしも嬉しいですっ。

 ……それに、誤解しそうになっていましたが、吉年さまって、思いやりのある良いお方、だったんですね」



 建比古たちが薬畑山の中腹に着いたのは、太陽が南中する少し前だった。

 コノハの故郷である村の下の方、木々が一切無い広場に着くと、皆々は長い休憩を取った。一行は多くの椅子いすだけでなく、広場一面に敷かれていた茣蓙ござの上に座っている。


 村人たちは、怜明天皇の一行に雑穀米の握り飯と炊かれた味付きの薬草を振る舞った。皇宮の者々と村人たちは談笑しながら、それぞれ昼食を取った。




 昼の休憩が終わると、建比古とコノハは祝い事用の正装に着替えることになった。建比古と白人は村長の自宅に、コノハと彩女はコノハの実家に向かったようだ。



 コノハは真っ白な生地に、大輪の白蓮が描かれている花嫁衣装を着た。彼女の髪は、様々な色の珠が付けられていて、金糸で作られた華やかな結紐ゆいひもでまとめられていた。


 一人娘の花嫁姿を見て、最初に涙を流したのは、意外にもコノハの父親だった。

 すすり泣く彼の姿を見て、コノハの母親ももらい泣きをしたようだ。「ちょっと、あんたっ――」と言った直後、コノハの母親は夫の背中を強くたたいた。


 そんな花嫁の両親を見て、コノハの周りに居た彩女や村の女性たちは笑顔になったり、声を上げて笑ったりした。



 ヒバリがツバメを相手にしている間、彩女が赤ん坊であるヒバリの長男を抱いていた。赤ん坊は、彩女の腕の中でぐっすりと眠っているようだ。


「……そーいえば、赤ちゃんの名前は決まったの?」


「ああ!! 『ノビル』ってゆーんだっ」


「……そっか! ノビルくん、はじめまして〜」


 椅子に座っていたコノハは立ち上がって彩女の方に行き、ノビルの顔を優しく見つめたのだった。

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