1─2


 時間は遡る(ミヨクの魔法ではない)。


 ──3ヶ月前──オア大陸。


 その日、勇者一行は魔王に戦いを挑み、そして敗北をした。


 辛くもパーティ全員の命が奪われなかったのは、仲間の女魔道士の魔法によるもので、ただその代償として彼女は死んでしまった。


「なにがスーパーエスケープだよ、バカやろーが! いつの間に覚えたんだ、そんな魔法」


「魔王からは逃げられない。だからこその命懸けの魔法……」


「だからって、死ぬ時は皆で一緒だろうが!」


「挑むのが早すぎた俺のミスだ。ユナ……ごめん」


 彼らにとって、仲間の尊い犠牲は全滅するよりも遥かに辛かった。


 打ち沈む勇者一行はその冒険を一時中断した。限りなく終了に近い休業という形で。


 ──その1ヶ月後、まだ傷心の癒えない彼らはとある町の酒場で、奇跡の噂話を耳にした。


 時間を巻き戻す事のできる魔法と、それを操る事のできる魔法使いの存在を。


 時の魔法使い。


 居場所は──


「ああ、今ちょうど町の雑貨屋に買い出しに来てるよ」


 酒場の店主はあっさりとそう言った。


「──いや、だから今その噂話をしていたんだから。2ヶ月ぶりぐらいかな? まあ割とよく来るよ」


 勇者一行は慌てて駆け出した。ユナの笑顔を久しぶりに思い出しながら、希望を胸に。


「えっ? あっ、お代は? えっ、えっ、勇者だからってダメだよ! おーい」


 と、酒場の店主が言うと、勇者がすぐに戻ってきて、サイフから金を取り出すと、「釣りはいりません。情報提供の謝礼として取っておいて下さい」と深々と礼を告げてから、また駆けていった。


 その背中と手のひらに渡された金を見て店主は言った。


「……うん。ぴったりだな。釣りなんてねーよ」


 と。



 ◇◇◇



 勇者一行はその姿を見た瞬間にすぐに分かった。その異様な存在が噂の時の魔法使いである事が。


 買い物袋の数が異常な程に多かったから。それに、買い物客たちから「あら、時の魔法使い、今回も凄い荷物ね」とか、「あっ、時の魔法使いだ!」とか、「ゼンちゃんとマイちゃんだ、かわいいーね」などと注目も集めていたから。


 ちなみに小さい女の子の言った、ゼンちゃんとマイちゃんとは、時の魔法使いの近くで荷物持ちをしている体長80センチくらいの人型のぬいぐるみで、この世界では物体を魔法で生き物のように動かす事は珍しくはないのだが、それでも「えへへ、ありがとう」とか「可愛くねーよ。男は可愛いなんて言われも嬉しくないんだよ。ただ、ありがとよ」とここまでの意思表示をして話す様は割と珍しかった。


 時の魔法使い。この時点で勇者たちは名前を知らないが、勿論ミヨク。


 ──その現在の風貌は、先ずは寝癖だった。耳と瞼に少しだけかかる程度の長さの黒髪があちらこちらにぴょんぴょんと跳ねていた。瞳の色も黒で、鼻と口にはあまり特徴的なものはなかったが、その顔立ちは推定20歳くらいで、色白の肌にはまだ薄っすらとも髭は生えていなかった。服装は数種類の暖色を幾つか並べたチェック模様のパーカーと、パンツは白いスウェット、靴はハイネックの赤いスニーカーを履いていた。魔法使いという割には三角帽子(勇者の偏見)もローブ(偏見)も杖(偏見)も持っていなかった。


「時の魔法使いか?」


 勇者がそう尋ねた。ミヨクは両手に荷物をもったまま勇者に視線を向けた。眠そうな、まるで興味のなさそうな、細めたままの目を。


「──頼みがある」


「えっ? 嫌だよ」


 間髪入れずにミヨクがそう答え、すかさず人型のぬいぐるみのゼンちゃんが、「はやっ!」と驚き、マイちゃんも「……嫌なんだ。すかさず嫌って返事をすると思ってなかったから驚いたよ」と声を震わせた。ちなみにゼンちゃんとマイちゃんの区別方法は、ツバ付き帽子を反対に被っているのがゼンちゃんで、おかっぱ頭の上に赤いリボンがくっ付いているのがマイちゃんであった。


「……すまんな。自己紹介がまだだったな」


 勇者はそう言った。


「──そりゃあ拒絶もしたくなるよな。まずは名乗れって話だよな。気持ちが焦りすぎた。失礼した。では改めて、俺は実は勇者だ。そう、あの勇者だ。仲間たちと共に魔王を倒すために旅をしている、あの勇者だ。時の魔法使いよ、魔王を倒す為に力を貸してくれないか?」


 彼は礼儀正しさの裏にしっかりとアピールを貼り付けてそう言った。勇者、俺は勇者だよ。魔王を討伐するあの勇者だよ、と。


 だが、ミヨクの返答は──


「うん。嫌だよ」


「はやっ!」


「嫌なんだね。どうしても嫌なんだね。どうしても嫌なら仕方がないね。なので諦めて下さい」


 おかっぱ頭の赤いリボンの人形のぬいぐるみにペコリと頭を下げられたが、当然に勇者はそれで引き下がる訳にはいかず、「……ご、語弊があったようだな。なあに力を貸してくれといっても一緒に旅をしてもらいたいわけじゃないんだ。ただ、仲間が死んでしまってな……そう。勇者の仲間がな」と必死に食い下がった。


「うん。それは悲しいね。でも嫌だよ」


「結局かいッ! でも一応は相手の話を最後まで聞いてから答えるのには好感が持てるぜ!」


「えっ! そうなの? 今のって好感もっていい所だったの? じゃあ、いいんだね。好感は大事だもんね。えへへ」


「……また語弊があったようだな……。いや、なに、死んだ者を生き返らせて欲しいって言ってるわけじゃないんだ。そんなのは魔法でも無理だってのは知っている。ただ、魔法を使って時間を戻して欲しいだけなんだ。得意なんだろ? 時の魔法使いというくらいなんだから」


 勇者は(内心はどうであれ)あくまでも低姿勢を崩さなかった。ミヨクが話を聞いてくれなくても、ゼンちゃんとマイちゃんのヤジが煩くても、それでも真摯に相手の気分を害さないように言葉を告げた。頼むとはそういう事なのだから。何故に勇者という利点が通用しないのかに疑問を抱きながらも。その部分だけ聞こえてないのかな? と思いながらも。俺、本当に勇者だよ。と思いながらも。勇者に手を貸すのは人間の義務みたいなものだろ。と思いながらも。


 けれど、それでもミヨクから返ってくる答えは「嫌だよ」だった。


 勇者はすかさず最終手段をとった。


 ──それは、涙ながらの力説。願いを叶えて欲しいと懇願をし、最後には「どうか、助けてください」と土下座までする荒技であった。


 だが、それでもミヨクからの返答は「ごめんね」だった。眠そうな目で、まるで興味なさそうな目で、けれど時間には興味があるようで、いつの間にか取り出した砂時計を見つめながら。


 勇者は、キレた。


「へー、へー、あーそうですか! 時の魔法使い様はお高かくらっしゃいますか! だったら力ずくて命令してやろうじゃねーか!! オゥ、コラッ!」


 その時だった。


 勇者が立ち上がり、腰に下げていた鞘から剣を抜き、仲間たちと共に戦闘体制に入ったその時──


 ミヨクがようやく、否定的な言葉以外を発した。


「ダンロ・コガン・サマルーダ《世界よ止まれ》」


 その瞬間、世界中のあらゆる動きが止まった。風も雲も海も波も、どこかの地に降っていた雨も、雷も、雪も、地上のあらゆる生命の鼓動も、空気さえも、世界中の全てが静止した。ミヨクとゼンちゃんとマイちゃんは例外に。


「オイラたちは世界に許されているからな」


 ゼンちゃんがそう言い、すぐにマイちゃんが「ちょっと違うよ。許されているのは時の魔法使いのミョクちゃんだけ。オラたちはミョクちゃんに魔力を与えてもらってるだけだよ」と言い返して、ゼンちゃんにすかさず「うるせーな、細かいんだよマイは」と、蹴りを入れられて無駄に泣かされた。


「こら、ケンカすんな。魔力吸い取っちゃうぞ。それとマイちゃん、俺の名前はミヨクだよ」


 ミヨクはそう言ったが、2人のケンカには実はあまり興味がないようで欠伸をしていた。


「──それより、そろそろ帰ろうか。まだ眠いんだ。分かってると思うけど道中で人にぶつかったらダメだよ。凄く脆くなっているから。ちょっと当たっただけでも死んでしまうかもしれかいからね。だから気をつけて歩いてね」


「あっ、でも、でも、ミョクちゃんって呼んだ方が可愛いから、オラはそこだけは直したくないです……ダメかな?」


「ん? ああ、なるほど。じゃあ、マイちゃんはそれでいいよ。ゼンちゃんもそんな感じ?」


「おいおい、愚問だろ。男はちゃんなんて呼ばないんだよ。ミヨクはミヨクだ」


「そう。ゼンちゃんとマイちゃんって同じ魔力を与えてるのに本当に性格が違うよね。性別を変えただけでそんなに変わるのには俺もびっくりだよ。まあ、いいんだけどね」


「あっ、でもでもミョクちゃん。この人たち凄く困ってるみたいだったよ。本当に助けてあげなくていいの?」


「マイちゃん、それは勇者と魔王の争いに俺が関与するって事になるんだよ。俺はどっちも善とも悪とも思ってないから、どちらかの手助けは出来ないよ。依怙贔屓になっちゃうからね」


 ミヨクはそう言った。


「──それに、死んだ仲間の為に時間を戻して欲しいんだっけ? 戻したところで現時点での記憶を持ったまま戻るわけじゃないから同じ事を繰り返すだけだよ。勇者と魔王が戦った。その結果、勇者の仲間の1人が死んだ。その事実を繰り返すだけだよ」


「でも、でも、ミョクちゃんなら現在の記憶を残したまま過去に行かせてあげる事も可能なんでしょ?」


「マイちゃん。さっきも言ったよね。依怙贔屓はしないよって。世界の争い事にはなるべく干渉しないんだ、俺は」


 そう言って歩を進めるミヨク。マイちゃんはまだ何か言いたそうだったけど、ゼンちゃんに「ホラ、マイも早く行くぞ」とまた蹴られたので、泣きながら後を追っていった。


 ──世界に時間の流れが戻ったのはミヨクたちが自宅に着いた時。町では勇者たちが武器を構えた瞬間にミヨクたちの姿が突如として消えた事となっており、まるで狐に摘まれたようにただ呆然としていた。

 

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