ショートショート「文学賞常連」

トオルKOTAK

小滝橋トオルのショートショート「文学賞常連」

 今年も出来ばえが群を抜いていた。ますます巧くなっていた。私が百人町文学賞の審査員を務めるようになって十二年。十年の区切りで辞めさせてもらおうと思った三年前に、「稲田早章」から最初の応募があった。

 早章は「はやあき」と読む。イナダハヤアキ。ペンネームだという。早大出身なのか。早稲田町に住んでいるのか。早稲田は私の住む神楽坂の隣駅なので、東西線で顔を合わせているかもしれない。四十歳・会社員、だそうだ。私よりも干支がちょうど一回り下。しかし、それは嘘ではないか。巧いのだ。巧すぎる。小説づくりの巧(たくみ)と言っていいだろう。もしかして、私と同業者……つまり、プロの作家が名前を伏せて書いているのではないか。何のために? 遊び心か、気分転換か。受賞しない限り、一円にもならないのに。もし、人工知能が審査員を務めているなら、まちがいなく、イナダハヤアキを選ぶだろう。人物キャラクターの造形・ストーリーの運び方・過不足ない情景描写――すべてが一級品なのだから。

 実は、「ひょっとして、巧いと感じるのは私だけではないか?」と、疑り深い私は以前のパートナーにも、現在のパートナーにも、その年の応募作を読ませてみた。どうでもいい話だが、行政の「同性」パートナーシップ制度が、私たちに相応の権利をもたらしてくれるが、私はそれにお世話にならないでいる。結果、私の「同棲」パートナーが変わる分、イナダハヤアキは、私を含めた三人から「天才」と認められた。カラダの性が「男」ばかりの三人だが、文学の評価にそれは関係ない。

 今年、イナダハヤアキはSFを書いてきた。去年は純愛物語だった。その前は、歴史小説。「こんなモノも書けるのだ」と言わんばかりに、毎年違うジャンルで応募してきて私を唸らせる腕前は、もはや、同一人物とも思えない。

「先生、今年はいかがでしたか?」

 文学賞の運営担当者であり、公務員のスズキが頃合いを見計らって私にメールしてきた。百人町文学賞は、町の広報活動の一環だが、予算がないので、審査員は私ひとり。つまり、私の独断と偏見で受賞作が決まる仕組みだ。

 私は、スズキに、「イナダハヤアキ」を除いた応募作の感想と評価をしっかりと的確に戻していく。受賞賞金よりも高いギャラをもらい、プロ作家としての自負と責任感で役割をしっかり果たしているのだ。実際、これまで選んだ大賞作は、そこらの文芸誌に掲載されてもそれほど恥ずかしいものではなく、文学賞継続の面目は保たれていると思う。

 それにしても、イナダハヤアキは巧すぎるのだ。巧すぎて、大賞に選んではいけないと思う。文学賞のレベルが上がってしまい、応募作の生態系が崩れてしまう気がするのだ。いや、正直なところ、それは言い訳で、私のたくましい嫉妬心と虚栄心がイナダハヤアキを排除し、毎年、「イナダハヤアキの小説を読む」という、審査員だけに与えられた特権を私は享受しているのだ。密やかな楽しみにほかならない。

 そんなわけで、今年も躊躇なく、私は、イナダハヤアキをふるい落とした。また、来年のお楽しみ。次もきっと楽しませてくれるにちがいない。

 そうして、第十二回百人町文学賞をホームページで発表した数日後、スズキから連絡があった。メールではなく、珍しく電話だった。興奮口調で、私の執筆仕事に割り込んできた。

「先生!僕たちの文学賞をパクった、同じ応募条件の文学賞を隣県が作ったんです」

 何も驚くことではない。文学賞の創立は町興しの手っ取り早い手段なのだから。

 スズキは息せき切って、先を続けた。

「その大賞作の出来がレべチなんです!」

 レべチ……まだ二十代のスズキはいつも流行りの言葉を使う。困ったもんだ。

 レベルが違う――その言葉を反芻し、ふと、私は嫌な予感に囚われた。まさか。

「受賞者の名前は?」

「イナダハヤアキ。稲に田んぼの田です」

(おわり)

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