閑話 ボストン・テリア4

鮮やかな手腕で宰相補佐官から開店資金を巻き上げた彼女は、清々しく笑う。

けれど使い方のわからない魔方陣や契約の石をしげしげと眺める様子に説明してみれば、素直に頷いてくれる姿が愛おしいとしみじみと心の中で噛みしめる。


彼女は美しく、そしてとても可愛らしい。

それが異世界から来たからということもあるし、救聖女であるからかもしれない。

とにかく、彼女の魅力には抗えないのだなと実感しながら、宰相補佐官の部屋を出て

しばらく廊下を進んで人気のない中庭まで来ると、トリンは勢いよく頭を下げた。


「ごめん、嘘ついて勝手に取引に使って。断りもせず触ったことも悪かったわね」


彼女の突然の行動に、目を瞬かせる。将軍職に就く前から、表情はあまり動かないが、それなりに困惑した。

自分が彼女に謝ることはあっても、彼女の方から謝られる理由が全く思いつかなかった。

どこかで彼女の意思に反するようなことをしてしまったのか。

いや、謝られているのは自分だ。つまり不愉快だと思わせるような行動をしてしまったのだろうか。


すんと鼻を動かすと、彼女からは確かに後悔している匂いがする。

ボストンテリアは興味深そうに首を傾げた。


「上手く金を手に入れたんだろう。なぜ後悔している?」

「貴方の了解を取らずに共犯者にしちゃったから……それに一方的に触るのもよくないんでしょ。匂いつけと同じ行為だもの」

「構わない。俺が少しでも貴女の役に立てるなら好きに使えばいい。最初からそのつもりだ」

「他人の好意を当てにして気持ちを踏みにじることはクズのすることだわ」

「本人が了承しているのに?」


彼女の言葉の何一つとして理解できなかった。

問い返したところで、トリンは目一杯頷くだけだ。

匂いは後悔ばかりで、苦しそうだ。

被害者である彼女が抱く感情ではないし、ましてやこの自分の気持ちが一つも伝わっていないことにも不思議な気がする。


思わずトリンの手を掬うように取り、そのまま自身の頬に当てる。


「もっと撫でてほしいくらいだ」


もっと撫でて、貴女の匂いをつけてほしい。

自分は彼女の匂いに包まれて、これほど幸福だというのに。

言葉にしない懇願は、やはり彼女には伝わらないようで、逆に不思議そうに見つめられる始末だ。


「むやみに匂いをつける行為はクズの行いなんじゃないの?」

「貴女の匂いに惑わされているのかもな。貴女の匂いで満たされたい。そのためならなんでもするし、不快なことなど一つもないな」


うっとりと瞳を細めて告げれば、さすがに匂いのわからない彼女にも伝わったようだ。これは相当に惚れられている、と。

慌てて手を取り戻した彼女の行動を、つい名残惜しく瞳を眇めて見つめてしまった。


「そして貴女の身に俺の匂いが移るのも大歓迎だ」

「何一つ返せませんけれど!」


思わず即答で断れば、ボストンテリアは可笑しそうに笑う。


「貴女から何もかもを奪った世界の住人なんだ。これ以上の施しを受け取るわけにはいかないだろう?」


想いを返してほしいわけじゃない。

奪った側が、そんな不相応なことを願えるはずもない。

けれど、不意に与えられる匂いを、ぬくもりを、どうして拒むことができるというのか。


貴女は俺のツガイだ。


「町に行くのだろう、早くしないと日が暮れるぞ」


大きく頷いたトリンに、ただ優しくとろけるほどに甘く見つめるだけだった。

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