第二章 ドーベルマン

第9話 名前

ボストンテリアが書き上げた辞表を戻ってきたビーグルに託して、さっそく王都へと向かう。

状況の説明を求めるビーグルに美生が言い聞かせてお願いすれば、どこまでもついてこようとするのでボストンテリアが威嚇するという一悶着もあったが、なんとか王都へとやってきた。

商店が並ぶ区域に来れば、獣頭の獣人に混じって人間姿の者たちもいる。往来を行き来する人たちを見て、美生はほうっと息を吐いた。


「私以外にも人間――トリンだっけ、っているんだね」

「もちろんだ。大抵のトリンは幼い時から相手が決まっている。誰とでもツガイになれるが、だからと言って誰でも受け入れられるものではないから相手が決まっていない者もいるが。けれど、誰にとってもいい匂いのするトリンは貴女だけだ」

「ええと、それがわざわざ召喚される理由なんだもんね?」

「救聖女と呼ばれる。召喚の条件も厳しく、消費魔力もかなりのものになる。今回は王太子殿下の相手だったが、王配であることが多いな」


そんなに労力をかけて召喚された途端に、クズに押し付けられるとか本当に腹立たしいことだ。再度、気持ちを新たに王都の商店を見れば、どこも綺麗な店で、活気がある。ここで商売をしていかなければいけないのかと思うが、美生がやりたいのはペットサロンなので、そのような店は見当たらないことに首を傾げた。


「毛をカットしたりする店はないの?」

「ないな。不特定多数に商売をする場合はできる限り距離をとる。医者だけが近くに寄れる唯一の職業だ」

「護衛とかは? 偉い人だと身を護ってくれる人が必要でしょ」


王族など近衛を侍らせるイメージがあるが、ボストンテリアは不思議そうに首を傾げた。


「身を護るには法具がある。かなり高価でたいていは家宝だから、数は少ないが。もちろん王太子殿下は身に着けているぞ」


なるほど、護衛に匂いを付けられるよりは、道具で守ってもらうということか。

納得していると、ボストンテリアは大通りの店を示す。


「ここいらの店は基本的には繁盛しているが、地価も高い。空き店舗も少ないし、貴女のような特殊な店の場合は、もう少し外れに店を持ったほうがいいかもしれない」

「わかったわ」


客層を眺めながら、美生は大通りを外れて、やや細い道を進む。

すると、一軒の小さな画廊を見つけた。


ふと足を止めて入口の横に飾られていた絵を眺めてみる。


「どうかしたのか」

「ん、なんか気になって?」


飾られた絵は海とトリン――女性が描かれていた。

春先の海のように柔らかな日差しの中、ぽつりと背中を向けて佇んでいる白いワンピース姿の女性にはどこか影がある。


なぜ目を留めたのだろうと美生がしげしげと眺めていると、突然画廊の扉が開かれて、中からイタリアングレーハウンドが転がり出てきた。

細身で、短毛。皮膚も薄いし骨折しやすい。だというのに、固い地面に激しくぶつかる姿に美生は息を呑んだ。


ペットサロンにだって彼と同じような青みがかった灰色の毛をもった寺岡さんちのあおちゃんがいる。美生のお客様で優しい毛ざわりにいつも癒されていたのだ。

というか、よくよく考えればこの世界にいる住人は、ペットサロンのお客様によく似ている。なので、一瞬でイタリアングレーハウンドに感情移入してしまった。


「大丈夫?」

「なんだ、ツガイなしのトリンだと?」


地面に転がったイタリアングレーハウンドに駆けよれば、出入口からダークグレーのスーツをかっちり着込んだドーベルマンが立っていた。金の腕輪に、金色の太いネックレス。どこまでもあちらの世界の裏稼業の人を彷彿とさせるようないでたちに、美生も思わず眉根を寄せる。


「たくさん侍らせてるわりにはいい匂いだな。たまには毛色の変わったヤツを愛でるのもいいか」


獰猛そうに笑う姿も堂にいっているが、内容は少しも穏やかでない。

美生がきつく睨みつけていると、後ろから落ち着いた声がかかった。


「ベルバウ、彼女に手を出すな」

「あん、将軍?」


ドーベルマンが美生の後ろに立っていたボストンテリアを認めて目を見開いた。


「なんで、こんなところに。というか、お前がオンナ連れまわしているのか?」

「お前に関係ない」

「へえ、本気か。そりゃあますます面白いな」


にやりと笑って美生の腕を乱暴に掴むと、そのまま立ち上がらせる。

ボストンテリアと同じく力が強い。

ぎりぎりと軋む骨に、小さく悲鳴を上げればドーベルマンが慌てて手の力を緩めた。


「なんだ?」


ドーベルマンは不思議そうに自分の手と美生を見やって、首を傾げた。


「非力なの、あんまり力を入れないでほしいわ」


懇願すれば、ドーベルマンはばっと手を放して、そのまま自分の耳を塞いだ。

ぺたんと耳を折るようにして手を当てている彼を、今度は美生が不思議になって見つめる。


「な、なん……だ? 声、か? 匂いも魔力もヤバイ。勝手に言うことを聞いちまう……何者だ?」


しきりに困惑した様子のドーベルマンが、ボストンテリアに縋るように視線を送る。


「彼女は救聖女だ。むやみに近づくんじゃない」

「救聖女だって? あいつら、またやらかしたのか。しかしそんな御大層な存在が勝手に城から出てこんなところで何やってんだ」

「お店を開こうと思って。もしよかったら遊びに来て」

「ああ、なんの店だ――っくそ、俺はいかねえぞ!」


上機嫌に尻尾を振ったドーベルマンははっと我に返ると頭を振って、慌てて大通りの方へと向かって走っていく。


「ふふ、変なの」

「あいつはベルバウだ。関わらない方がいい」

「ベルバウって名前なのかと思ったけど、違うの?」

「闇の住人の主という意味だ。つまり、裏稼業のボスだ。この世界では名前はツガイしか呼ばない。だから、誰も貴女に名前を尋ねないだろう」


最初にドーベルマンを見た時に抱いたイメージはそれほど間違ってもいなかったらしい。

そういえば、最初から名前を聞かれなかったし、誰も名のらなかった。

ボストンテリアの名前も知らない。


「ううっ」


地面に転がったイタリアングレートハウンドが呻いたので、美生の意識はすぐにそちらに向いた。


「大丈夫、しっかりして。どこか痛むところはない?」


どうやら今まで意識を失っていたようで、細い瞳をうっすらとあけて、必死に瞬きをしている。


「ああ、いい匂い……そうか、俺は死んだのか……」


いや、ちゃんと生きてるから、意識をしっかりと持ってほしいと美生はぼんやりと思った。

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