第4話 なけなしの償い
「対策としてはなにかないの」
「誰かと番えばいいだけだよ」
困惑したまま問えば、医者はキッパリと告げた。
番えということはつまり夫を作れということだろう。けれどこれまで恋人がいたこともない仕事に生きてきた女にそんなすぐに恋人すっとばして夫など作れるわけがない。
「残念ながら、私にはそんな気持ちがわからないんだってば」
「トリンは本当に鼻が利かないよね。お嬢さんならいい匂いだなと思えば相手なんてすぐに見つかるのに。だからこそ、どれほど自分が危険なことを言っているのかわかってない。もしかして、お嬢さんには我々を撃退できる力でもあるのかな」
「そんなものあるわけないでしょう」
先ほどボストンテリアに腕を掴まれただけで骨が折れるかと思うほどの痛みだったのだ。行きたくなかったのに、部屋へと連れていかれたのもほぼ力づくだと言える。引きずられなければあの場にとどまって盛大に文句を言っていたというのに。
抵抗できる力があるのならとっくにやっている。
けれど、動物の嗅覚と同等を求められても困る。
確かに人間だって異性との相性を匂いで判断することもあるけれど、どちらかと言えば容姿や性格や相手の地位などである。
匂いだけで相性など決めることなど絶対ない。
匂いで相手の感情なんてまるでわからないし、ましてや自分についた複数の相手の匂いなんてわかるはずもない。
それで淫乱だからと好き者相手に身勝手なことを強要されるのも腹立たしい。
「その匂いであればある程度は相手を従わせることができると思うけれど完璧ではないし、どこまで効果があるのかはっきりしないんだよな。非力ならやっぱり諦めてツガイをつくることだね」
シェットランドシープドックの言葉には唸ることしかできない。
乱れた感情は理不尽さと怒りと、やるせないほどの苦しさを伴う。
連れ去られて、奪われて、さらに過酷な環境へと送られようとしている。理性も揺らぐなか、本能が拒絶を示した。
頼れる相手をつくるべき。
それが伴侶と呼ばれるツガイであり、そうすることでこの状況が改善するのなら、受け入れてもいいのではないかとささやく声もする。
けれど、やはり心が納得しない。
一番最初に出会って、都合がいいからとツガイになるとか、自分の体を護るために相手を受け入れるとか、そんななし崩しの関係になるために今まで独り身を貫いてきたわけじゃない。
仕事に打ち込みたくて、ひたすら知識と技術を磨きたくて、一匹でも多くのペットたちを快適にしたくて。今の職場で経験を積んで後に独り立ちして自分の店を持つことが夢だった。そのためにただひたすらに学んできたというのに、それが突然奪われただけでなく潰されようとしているのだ。
それを受け入れていいはずがない。
美生はぎりりと拳を握りしめた。
白くなるほど強く握り、そして震えた拳をただベッドへと押し付ける。
だが、言葉は出なかった。やるせない感情は渦巻くだけで、出口が見えない。
「わかった、俺が貴女を護ろう」
「え?」
どんな言葉をかけられても絶対に従うものかと固く決意した途端に、優しく凛とした声が落ちた。
青白くなった顔を向ければ、彼はいたましそうに瞳を細めている。
「もとから今回の召喚には反対だった。異世界からツガイを連れてくるなど、誘拐ではないか。一方的に奪われて何一つとして望みが叶わないなどということがあってはならない。殿下も今は頭に血が上っているだけでいつかは気づくだろうが、それまでは俺が貴女を護る。だから、貴女は好きなことをするべきだ」
「番わなくてもいいの?」
「ツガイは無理強いしてなるものではないからな」
ボストンテリアの毅然とした態度に、シェットランドシープドックの方がひどく慌てている。
「将軍、いったい何を言い出したんだい!? 番わないで傍にいるなんて、かなりの拷問だろう」
「なぜ拷問なのよ?」
「匂いのわからないトリンには絶対に理解できないだろうけれど、好みの匂いの傍にいれば発情する。ずっと飢餓感に苦しめられる地獄のようなものだ」
「問題ない。俺もツガイには興味がなかった。この年で独身で恋人もいないのがその証拠だろう」
「それは今まで匂いに反応しなかったからだろう。こんなにいい匂いが傍にいて、反応だってしっかりしているくせにやせ我慢するんじゃない」
反応していると指摘されたボストンテリアはだが動じず、そのまま続けた。
「殿下たちを止めることができなかった。彼女を元の世界に帰すこともできず、辺境伯へと送られることも止められない。ならば、せめて好きなことくらいはさせてやりたい。それがなけなしの償いだ」
美生は潔いボストンテリアの肩をばしんと叩いた。
「よし、わかった! 貴方の謝罪を受け入れるわ。だから、協力してほしい」
「お嬢さん!? なんで受け入れちゃうかなっ」
「小泉さんちのアルファくんは上得意様だし、やっぱり絆されちゃうというか」
「コイ、なに?」
「いや、知り合いに似ているからってこと。だから、シャンプーをさせて。今すぐに!」
「しゃんぷ?」
医者が目を回しているので、美生はボストンテリアに向き直る。
「体を洗わせてほしい。普段体を洗っている石鹸とかないの」
「ないな、湯で流せば十分だろう」
「信じられない、だからそんな状態なの……洗える場所はある? 医者である貴方にも確認してほしいんだけれど」
「隣にシャワーブースがあるから使えるよ。ここには石鹸もあるけど。でも、本当に将軍を洗うつもりなの」
「そのためにここに来たのよ」
当然だと言わんばかりに告げれば、顔を見合わせてそろってため息をつかれた。
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