第5話 原動力

正直、ボストンテリアの覚悟がどれ程のものなのか美生にはわからない。

ただ医者の慌てように、相当なのだなとは推測できるだけだ。だが、実感が伴わない同情はすぐに協力者としての助力を請うことへと切り替わる。


そもそもここに来たのは、ボストンテリアを洗ってカットするためだ。

仕事人間の美生にとっては何よりも重要なことで、優先すべきことである。

なにより、先ほどからボストンテリアを見るたびに、仕事欲が疼いて仕方がない。


渋る二人を押し切って、シャワーブースに案内してもらって裸になったボストンテリアを放り込む。腰にはタオルを巻きつけてもらった。引き締まった筋肉は毛に覆われていて、中途半端にドキドキする。男の裸など父親かプールに遊びに行って見るくらいの経験しかない。まじまじと見たことはないし、ましてや触るなど初めてだ。これは客だと言い聞かせて、適温に調節したシャワーをかける。

さすが定期的に異世界からトリンをよんでいる世界だ。シャワーはあるし、石鹸も充実している。温度調節は魔石を使うという説明を受けたが、それもすぐに使いこなせるほどに便利だ。


こうなってくるとシャンプーがないのは不思議で仕方がない。よばれたら絶対に開発すると思うのに。それほどシャンプーを作るのは難しいのだろうか。それともシャンプーの代替品があるのだろうか。


しっかりと頭から濡らす。濡れるのを嫌がるこも多いが、ボストンテリアはじっとしているので、思わずいつものように褒めてしまった。


「じっとしていてお利口ね。お湯は熱くないかしら」


横で見ていたシェットランドシープドックがぷっと吹き出して、ボストンテリアに睨まれている。睨まれるのはいつものことなのか、医者はまったく気にした様子はなかった。


石鹸を泡立てながら自分の肌で刺激を確かめる。すぐにきめ細かい泡になり、ぴりぴりとした刺激はまったくない。これなら肌が弱いこでも十分に洗うことができるだろう。

頭からゆっくりと泡をつけて、マッサージをかねて揉みこむように指を使っていく。肌が弱いためこすりつけるのではなく、泡を滑り込ませるようなイメージで行う。力はあまりいれないけれど、適度な加減が難しい。

ボストンテリアは背が高いので、屈んでもらうがそれでも十分に大きい。大型犬を相手にするのは重労働だが、さらに大変になると実感した。


「随分と丁寧なんだね、洗いながらマッサージまでしてくれるんだ?」

「そうね、洗ってカットが基本料金なんだけど。マッサージしながら洗ったほうが、血行がよくなって汚れが落ちやすいし、臆病なこもリラックスできるでしょう。もちろん手早くしてほしいこにはしないけど」


テリア系は本来水が苦手なのだが、小泉さんちのアルファは小さい頃からサロンに通ってくれていて、とくにこのマッサージが大好きだった。いつもとろんとなって大人しく受け入れていた。だから似ている彼なら大丈夫だと思ったのだが、反応はイマイチよくわからない。


「大きいから時間がかかるのが問題ね。力加減も難しいわ」

「ちょうどいい」

「そうなの? なら、よかったわ」

「将軍がすっごい気持ちよさそうなのは匂いでわかるよ。っていうか、かなり興ふ――っぶ」


シェットランドシープドックに向かってボストンテリアは腕を振ってお湯をかけた。

ちなみに美生は防水の魔法をボストンテリアにかけてもらったので、まったく濡れない。普段は一緒にびしょ濡れになるのでありがたいことだ。


「もうなんで突然動くの。流すから、目を閉じてね」

「わかった」


シェットランドシープドックは頭を振って水気を飛ばしながらニヤニヤしている。まったく懲りていないようだ。

構わずに泡を洗い流していく。毛はつやつやしていて、シャンプーもトリートメントいらずだ。これは確かにシャンプーがないわけだと納得する。


「次は顔よ。こうして皺と皺の間の汚れもきっちりと落としていくの。普段から気を付けてね。ここに汚れがたまって肌荒れの原因になるんだから。泡を付けていくわよ」


説明しながら顔を洗っていくと、シェットランドシープドックはふんふんと興味深そうにのぞき込む。


「なるほど、なるほど。本当に丁寧だ」


同じように体を洗っていく。下半身の大事なところは自分でやってもらうしかないが、きっちりと足まで洗い終える。

ボストンテリアにはカットは必要ないので、乾かして終了になる。

乾かすのは魔石を使ったドライヤーだ。同じく防水の魔法で一瞬で乾かすことができるらしいのだが、撫でながら乾かすと説明すればボストンテリアはドライヤーを希望した。

横で医者は腹を抱えて笑っていたが、何がおかしいのかわからない。


「顔にはしっかりとクリームをつけてね。せっかく綺麗になったんだから、こまめに洗うことよ」


下半身をしっかり乾かしてから、上半身は寝台に腰かけてもらって乾かしたので、彼は項垂れたような姿のままこっくりと頷いた。


「保湿クリームみたいなものってあるの?」

「傷薬ならあるけど、あとは化膿止めとかかな。そういう肌荒れ程度につける薬はないね」


服を着ていくボストンテリアはなるべく見ないようにしながら、美生は腕組みをする。

とりあえず、仕事をやり遂げた達成感で大変満足したけれど、こちらの世界で仕事をするためには問題は山積みだ。


「保湿クリームもないのか。まずはさ、仕事を再開したいのよ。そのために必要なのは場所でしょ。どこかにお店を構えたいのよね。で、シャンプーできる場所でしょ。シャワーブースだと閉鎖的だしもっと広い場所が欲しいのよね。カット用の道具は一式持ってるから問題ないとして、カットできる場所も必要だし。お客様が来やすいとこじゃないと続かないから城の中でやるわけにもいかないし。あ、そうだ、いくつかシャンプーとかも教えて欲しい。そのこの体質に合ったものを調合するのは得意なんだけど、一から作るのはやったことないのよね」


ここに呼び出された時に、道具を掴んでいて本当に良かったと思う。道具を探すとこから始めなければならないとなると途方に暮れていた。まぁ、時間がかかったとしても美生のやることは決まっているけれど。

目標到達への道は短いことは良いことである。


「うーん、お嬢さんの技術や仕事の内容はなんとなくわかったけれど、随分と能天気なことだね……」

「場所は町の商店街でいいだろう。王都だからかなりにぎわっている。今から行ってみるか。シャンプーは体を洗う石鹸ということだろう。石鹸などを売っている店もあるから、ついでに探せばいいんじゃないか。それもいくつか店があるからその中から気に入りを見つければいい」

「わかった。あ、でもこの格好で町に行ったら目立つかしら?」


仕事着ではあるが、サロンで使っている襟付きのポロシャツと動きやすいパンツスタイルだ。靴はスニーカーである。

服を着たボストンテリアが、美生を上から下まで見つめる。


「そうだな、見慣れない格好ではあるがそこまで問題はない。騎士用の軽装ならすぐに用意できるが、出掛ける前に騎士の詰め所に寄るか?」

「格好に問題がないなら平気よ。じゃあ、町にいこうか」

「まて、まて、まてーーー!!」


淡々と進む話が終了すれば、医者が慌てたように声をかけた。


「何よ?」

「いや、もう非常識すぎて何から何まで突っ込んで聞きたいくらいなんだけど、取り敢えず、なんで勝手に出ていくこと前提!?」

「誰の許可が必要だというの」

「俺のことなら、辞表を出してくるから気にしなくて大丈夫だ」

「辞表?! 聞かなきゃいけないことがまた一つ増えた……ってそうじゃないだろ。店を開くなら許可がいるし、シャンプーっていう石鹸を買う金とか、とにかく召喚されたしかもツガイのいない魅力的な匂いのトリンが勝手に城をでるとか無理だから。お前も連れ出すんじゃない!」

「なにそれ、面倒ね。勝手に誘拐したくせに、そんな言うこと聞かなくちゃいけない理由がないわよ。けどお金か。なるほど、それが今すぐに必要ということは分かったわ」

「問題は金だけじゃないからね……その匂いはどうするの」

「魔法とかで匂いを隠すことはできないの?」


美生を召喚し防水魔法やシャワーの魔石があるのだから、魔法は一般的に普及している世界だ。匂いをわからなくさせることはできないのだろうか。


「匂いに敏感な世界で相手の感情も匂いで判断できるんだよ、隠すことは明らかにやましいことがあると明言しているものだ。犯罪者などに多いからお勧めはしない」

「そうね。なら、やっぱり先に解決できるところから頑張りましょう」

「なんの対策もなしに出ていくのは変わらないのか……」


伝わらないと肩を落とした医者に、美生はにんまりと笑う。


出来ないことをいつまでも嘆いていても仕方がない。

腹立たしいこと限りないけれど、怒りをいつまでも抱いていても状況は何もかわらない。むしろ、悪化するかもしれない。


だったら、最善を尽くせ。今できることを探して動くべきだ。

美生は自分の名前に誇りを持っている。

両親は美しく生きて欲しいと願って名前をつけてくれた。美しいということはなにも外見だけでなく、心意気のことだ。

だからこそ、一心にトリマーとして打ち込んできたのだから。


動かせる体があって、動ける状況で、嘆くだけだなんて馬鹿みたいだ。

それが原動力となる。


「お金なら支払ってくれそうな相手に心当たりがあるわ」

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