第3話 ちょっと危険

「つまり、王太子の番える相手がいないから万人受けする特質がある私が呼ばれたということ?」

「理解が早くて助かる。王族は近親婚を繰り返しすぎて問題が起きた。そろそろよそから血を入れるべきだと国王陛下が決められたというわけだ。こちらの世界のトリンには相性があるから、条件が合致したのなら召喚したほうが確実だろう。けれど、そうしてせっかく召喚した君がいろいろな匂いをつけているからふさわしくないと見なされた」


勝手な理屈だ、と怒りが湧いたが美生が口にしたのは別のことだった。


「私は元の世界には戻れないの?」


先ほど、元の世界に帰してと騒ぐのを落ち着かせると説明されたときから嫌な予感はしていたのだ。


「残念ながら、一方通行だと言われている」

「私は家族や友人や職場を一度に失くして、そのうえ、誇りである仕事もクズ扱いで奪われるってわけ。脇目も振らずに打ち込んできた人生捧げた天職と!」


腹の底からため息を深々と吐き出して、告げれば医者は静かに頷いた。


「そのためにも唯一の番う相手は必要だ。この世界で生きていく支えになるからね」

「それが、クズの辺境伯だと?」

「辺境伯?」


医者は小首をかしげて不思議そうにつぶやいた。

ボストンテリアが気難しい顔をして補足する。


「西の辺境伯だそうだ。殿下が、宰相補佐官の提案に乗った」

「ああ、彼は自分の息のかかった相手を殿下に番わせたかったんだろうな。最初から召喚にも反対していた。だからといってわざわざ呼んだトリンを西の辺境伯に預けるとは。愛人の一人としてということだろう。これだけ複数の匂いがついていればふさわしいと思われたのか。なんともむごいことを」

「西の辺境伯の愛人は十七人だと聞いたけれど。正妻はいないの?」

「番っていないからな、どれも愛人だ」

「ふーん」

「現実味がない? 実感がわかないかな」


医者からくりくりした瞳を向けられて、美生は素直に頷いた。

別にあちらの世界でも何処かの国の王族とか金持ちはハーレムを築いているなんて話をちらほら聞いたことがある。だからこそ、愛人が17人いようが驚くほどのことではない。


「まあ、まだ夢みたいだと思ってるけど。それよりも、もともと結婚願望はないし、恋人が欲しいと思ったこともないから。つまりここでいう誰かと番いたいっていう気持ちがわかないから、別に愛人が何人いようが全く気にならないというのが正直なところね」


誰かを愛したことも愛されたこともない。そのうえ、誰かを愛したいと思ったこともない。もちろん、誰かから愛されたいだなんて考えたこともないのだ。


「おお、ある意味、素晴らしい愛人候補なんだね」

「感心するところか?」


シェットランドシープドックがにこにこと笑う横で、ボストンテリアが疲れたように告げた。


「でもねえ、お嬢さんにその気がなくても、この世界ではちょっと危険だね」

「え?」

「ツガイに匂いをつけるのは禁忌だと言ったよね。この世界では匂いっていうのはとても重要なんだ。なんせ皆鼻が利くし、相性を確かめるのも匂いで感じるくらいなんだから。ちなみに相手の感情も匂いでわかるほどなんだけど、まあその話はおいておくとして。お嬢さんの場合はね、数多くの匂いがついているからわかりづらいけれど、近くにいればお嬢さん自身の匂いだってよくわかる」

「え、そんなに匂うの。危険って臭いってこと?」


仕事中だったから一度もシャワーを浴びていない。

本格的に暑くなる前ではあったし、店は冷房が効いていたからそれほど汗をかいた覚えもないけれど、それなりに動いていればいい運動になるのだ。


「臭いだなんてとんでもない。とても魅力的で離れがたい匂いなんだからさ」

「は?」

「ツガイ持ちでもくらっとくるほどだ。頭の芯が痺れる感覚っていうの? 君の言うことをなんでもきいて下僕になりたいってくらいには惑わされる蠱惑的な匂いだね。そのうえ、感情を込めればますます強力になるようだ。さすがは救聖女様だ」

「救聖女……なにそれ」

「国を救ってくれる異世界からの召喚者の呼び名だね。誰からも愛される匂いというのも納得だ。さっきから将軍なんてすっかりまいって、この状態なんだからさ」

「へ?」


医者がにやにやとした笑いでボストンテリアを見やれば、彼は気まずそうに視線を逸らした。

まったく否定する素振りはないということは事実ということだろうか。


「この国で一番の堅物の将軍がこのざまだよ」

「と言われても私にはただ上手に待てのできる賢いことしか思えないのだけれど」

「将軍、呆れられてるだけだからそんな大きく喜ばない……はあ、お嬢さんには将軍の匂いはわからないんだから仕方ないけど、さっきからひどく浮ついているよ」

「えーと?」


どこがどのように浮ついているのかわからない。

視線を向けても彼は微動だにせず、無表情でつぶらな瞳を向けてくるだけである。


「三十のこの年まで異性なんて寄せ付けもせず、ツガイなんて興味ないなんて剣の道一筋。家柄も地位もあり、性格も真面目だよ。まあ融通きかないけど、西の辺境伯よりはずっとお勧めかな。でもとことん恋に縁遠い朴念仁が短い時間でこんな様子なんだから、君の危険性は理解できると思うんだけど」

「…………こんな様子って言われても私には少しもわからないだけれど、たくさんの匂いをつけていればクズなのよね? クズだとわかっていても近づいてくるものなの」


普通は相手の性格が低俗だとわかっているのなら、近寄らないものなのではないのだろうか。


「貴女は何一つ悪くない」

「堅物をここまで恋に溺れさせるほど蠱惑的な匂いだよ。そのうえ、だからこそ自分も遊んでもらえるかもっていう低俗なやつらも残念ながら一定数はいるわけなんだよ。そいつらは良識の欠片もないから。自制も理性もないけだものに襲われる危険性はとても高いんだよね」


つまり、複数の匂いがついている美生を拒否した王太子とやらは良識があるということか。だとしてもクズに押し付けるほどには低俗だけれど。


しかし、だ。

それは決してちょっとで済むような危険ではないのではないだろうか。


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