マスターと「第3話」

 ここは、……お気に入りの喫茶店。


 落ち着いたBGMはクラシカルな旋律――、お客さんの囁き声も風景の一部に溶け込んでいく。


 心地よい空間、明るすぎない照明にノスタルジックな雰囲気におちいる、不思議さ。


 ――今日は、何度目かの来店日です。


 外は先ほど降り出した、しとしと雨。

 しばらくは五月雨模様さみだれもよう――、降ったりやんだり。


 元カレから電話が鳴った昨夜ゆうべ

 ざわつき出してるこころ、さざなみの翌日……。


 すっかり常連気分な私?


 いやいや、まだまだ常連さんには程遠いよね……。


 でも嬉しい、マスターには顔を覚えてもらえたみたい。


「いらっしゃいませ。ああ、お席はいつもの場所でよろしいですか?」

「はっ、はい……」


 窓際の席が好き。

 二人がけのテーブルが窓に寄り添うように、晴れの日は差し込む陽の光がちょっと幻想的ですらあって。


 私も呑み込まれ、絵本の一部になったみたいな、異世界にかたとき迷い込んだみたいな。


貴教たかのり〜、ちょっと出掛けてくるな。……お客さまいらっしゃいませ、ごゆっくりどうぞ」


 店の奥から、シンプルでスタイリッシュな服に身を包んだ人が颯爽と店内とキッチンの間を通り抜けていく。


 ――ドキッ。


 私に気づいて視線が合うと、その人はにこやかに笑ってくれた。


 ――ドキリ、ドキドキ……。


 彼は扉を静かに開け、喫茶店から外の景色に消えていく。


「えっ? えっと……」


 私の大好きなイケメンなマスターが二人いる!?


「ご注文、お決まりになりましたか?」

「あ、あの……さっきのあの人は?」

「ああ、双子の弟です。一緒にこの店を切り盛りしているんですよ」


 ああっ、ちょっと待って!


 ……私、どちらに恋したのでしょう?


 そっくりすぎて、私には区別がつかない。


 この恋のときめきの先、私が恋したのって、どっち?


 恋にたしかに堕ちたのに、焦がれた相手が誰にだか分からなくなるだなんて、恋する乙女失格だ――。


 どちらか、分かるの?


 また、来ても良いですか?

 私、素敵な喫茶店ここに来て、確かめても良いですか?


 馬鹿みたい。

 答えなどない滑稽な質問を自分の心の内で繰り返している。


 窓には当たる雨粒の音。


 眺めた外の世界には、鮮やかなライトブルーに雲の柄の可愛らしい傘を差した、さっきの人が軽やかに歩いている。


 喫茶店の素敵なマスターの弟さん。

 双子の兄弟だった。


 私はどちらのマスターに恋したのだろうか?


「あっ……」


 私は見てはいけないものを見てしまった。


 ショックで、胸がギュウッと締めつけられる。


 鋭い痛みが走っていく。


 視線の先には、相合い傘な二人。

 マスターの弟さんの差し出した傘の元には、はにかんだ顔の可愛い彼女。

 なぜかそんなに寄り添わない二人が、かえって初々しい甘い雰囲気醸し出してる。


 私は、この喫茶店で、お兄さんと弟さん、どっちのマスターに恋をしたのでしょうか?


「お待たせしました」


 マスターが珈琲とプリンを持ってきてくれた。

 プリンの山肌を、カラメルソースが美味しそうに滑ってる。きつね色の山のプリンのてっぺんには宝石の輝きを放つサクランボが旗めく。


「雨が降ってきましたよね。お客さま、傘はお持ちですか?」

「あっ、……え〜っと」

「お持ちでなかったら、帰りにうちの傘を使ってくださいね」

「いっ、いいんですか!?」


 緊張で。思いがけず、大きな声が出てしまい、恥ずかしくなりうつむく私。


「もちろんっ。ぜひ使ってください。ねっ?」

「は、はい。……えっ、え〜っと。……ありがとうございます」

「はい。……ああ、これ、今日来てくれたお客さまにサービスです」


 可愛い、なないろ金平糖。

 ちっちゃな袋に入って、リボンがきゅっ。


「親しい友人と作ってみたんですよ。彼女、和菓子屋さんで働いているんです」

「ありがとうございます」


 店内には気づけば、マスターと二人だけ。


 雨、ばんざい!

 ありがとう。


 傘を借りたら、返しに来なくっちゃね。


 叶わなさそうな、私には尊すぎる高嶺の花なイケメンマスターへの恋。


『憧れるだけでかまわない。望んだらダメ』


 心のなかで呪文のように唱えてる。


 騒がしくなる胸に、諦めろって言い聞かせてる。


 私には到底無理だから。

 心の安らぐ拠りどころ。


 ここに来れば出会える、優しい微笑みが待っててくれてる。


 甘い片想いしてる私にもなれる、そんな非日常――、特別な時間で甘いシュガータイムが待っている。


 失恋確定な恋――、心地の良い居場所はなくしたくない臆病な私。


 また、来よう。



 


 

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