第7話 俺たち男だし、しかも兄弟だし

「ずっと、こうしたかったんだよ。ごめんね。イヤなら…」



最後の言葉を待たずに僕はリョウジの胸に顔を押し当てるようにした。イヤなはずがない。その言葉に代えて彼の胸に飛び込むように。

「ありがとう。わかったよ。うれしい。言葉にしなくてもショウの気持ちがわかった。」

リョウジは僕の両肩を掴んだまま少し身体を外した。そして僕の目を見て語りだした。


「ショウと初めて会った時に、カミナリが落ちてきたんだ。オレに。」

「カミナリ?」

「よくわかんないけど、そんな感じだった。あの時、オレ変だっただろ」

そうかもしれない。狼狽しているのか、興奮しているのか、明らかに異常ではあった。

「その後の握手、ショウの手を握った時に、そのカミナリが洪水になったんだよ」

「え、わからない」

描写が独特すぎて理解ができなかった。

「…オレはコイツを、好きになるんだって。その思いがドドッと洪水のように溢れてきたんだ」

「ニイちゃん…」

これは好きだ、と言われたのだろうか。僕は混乱していた。そう捉えていいのだろうかと。

「オレがショウと話してる途中でアーとか言い出したりしてたの覚えてる?」

「ああ、何回もありました」

「あれはな、抑えていた」

「何を」

「話している最中に、抱きしめたくなったりした、その時」

「えっ」

「ダメだダメだって。男だし、しかも兄弟だしダメだって。でも」

「でも?」

「お前を抱きしめたくなったのを抑えてたんだ。あと」

リョウジは息継ぎを大きくして、続けた。

「好きだっていう気持ちもね。抑えるようにしてた」

「ニイちゃん…」

リョウジは恥ずかしそうに顔を下げて、少し間を置いた後に、静かに話を再開した。



「…ごめん。オレめちゃくちゃキモいよな。おかしいよな。ホントおかしいことばかりだった。オレにはそんな趣味はなかったし、考えもしなかった」

僕もそうだった、と叫びたかったけど、しばらくリョウジの話を聞くことにした。

「一方的に話してごめんな。ショウは…オレのことを、どう思ってるのかもわからないのに」

「ニイちゃん、こんなこと、信じてもらえないかもしれないけど」

もう心のままに物を言うことにした。意を決して。

「ニイちゃんが今、話してくれたこと、僕も同じ。ずっとそう思っていた」

「ショウ…」

ニイちゃんの手の力が強くなったのがわかった。

「ニイちゃんが気を使って優しくしてくれてるのは、それは兄弟になったからなんだろうと思ってた。でもほんとうに嬉しくて、いつの間にか…それは好きかもしれないという気持ちになってた。自分の中にはなかったものが溢れてきた。ダメだとはわかっていたけど」

「ショウ、ありがとう。でもな。」

ニイちゃんの僕の目を見る力が強くなった気がした。

「オレはお前を兄弟だから優しくしていたわけではないよ。お前のことが好きだったから。ただそれだけだった」

「そうなんだ、ごめん」

「悪くない。謝る必要はないよ」

「ニイちゃんは、ほんとうに優しい」

僕の肩を掴むリョウジの手の力が優しくなった。

「オレはお前が何をやろうとすべて理解するつもりだよ。好きだからね。兄ちゃんとして、そして人間としてね。ただの恋ではないからね。強い愛、あっ」


リョウジの話の途中にたまらなくなってしまって、僕からリョウジに抱きついた。抱きついてしまった。それが僕が出来る一番の愛の表現だったから。

「お前からこんなことするなんて」

リョウジの言葉の語尾があがっているのがわかった。顔は見えないけれど、おそらく微笑んでいるのだろう。

「ショウ、好きだよ。ほんとうに。こんな気持ちになったのは生まれて初めてだよ。もう止められない。ごめんね。ほんとうにごめん」

「あやまらないで」

「ありがとう、優しい子だね。優しい弟でよかったよ」

するとリョウジは僕の両肩を掴んで、顔を合わせるように引き寄せた。

「今はもう、オレはショウを抱きしめることに、我慢しなくていいんだな」

「うん」

「良かった、良かった」


そのリョウジのあたたかい温もりを直に感じた気持ちからか、、僕の心の中にあったものが、言葉で溢れてきた。

「ニイちゃんの匂いがする」

「オレの匂いって?」

「一緒に寝た日の朝に、起きたらニイちゃんの匂いが自分からしていたのがわかった」

「臭かったかな?」

「違うよ。その時に、僕はこの匂いが好きだって思った。愛おしいって。そこで、気がついたんだ。僕はニイちゃんの事が好きなんだって」

「ショウ…」

ニイちゃんは僕の目を見つめてきた。これまでよりも強く、そう感じた。

2人の身長差から、僕を見下すようになる。僕は見上げる。少し震えていた自分に気がついたのか、リョウジが手に力を込めた途端に、顔が近づいてきたと思った瞬間

「好きだよ」

というリョウジの一瞬の囁きの後に、僕らの唇同士が触れ合っていた。キスをされた。

その瞬間、僕は目を閉じていたのかどうかもわからない。混乱していた。兄にキスをされてしまったのだから。

リョウジはこれまでにない位の優しい微笑みを僕に向けてきた。彼に応えなければいけないけど、僕はこの期に及んで照れていた。僕も、と言えばいいだけなのに。言えない。


僕は決心した。こちらからお返しをしたらいいんだ。背伸びをして、リョウジの唇に。僕の唇を重ねた。

リョウジは言葉を発することはなく、背伸びをしたままの僕を両手で抱きしめた。そしてキスを続けた。前よりも初めての時よりも長く。リョウジの唇の感触がわかった。人間の唇というものは、このようなものだったのかとも思った。

今日の2回のキスは僕にとっては初めてのキスだった。


沈黙の時間。

ソファに並んで座り、リョウジの肩にもたれかかった。僕の頭を寄せて、2人の頭を当てて、髪を撫でて。誰かに触られるということに慣れていないからか、やはり照れくさいけど、リョウジの指が僕の髪を触っているということが嬉しかった。

このリビングから見えるベランダから優しい光がこぼれていた。観葉植物の影がいつもより濃く、僕らを見つめているような気がしてしまった。誰かがそこにいるように、監視をしているように。これはもしかしたら後ろめたさから来るのかもしれない。

こんな事をリョウジには話してはいけないのだろう。つまらない話だし。



リョウジはそんな僕を見透かしたのか、黙ったまま僕の手を握ってきた。そして、その手は僕の腕へと伸びてきた。優しく何度も上下に撫でていた。僕はずっとその手を見ていた。

「ショウの手、今まで握るだけだった。こうやって、今はもっと触ってるけど、いいかな?」

僕はうなずく。

「ニイちゃんの手、気持ちいい」

リョウジは僕の言葉を聞くと、腕にキスをしてきた。短く、何度も。すごく嬉しい。すごく安心する。こんな気持ちになれるなんて。

「こんな時が来るなんてな」というリョウジの言葉に、僕もうなずいた。そして、頭をリョウジの胸に寄せた。さらに僕の頭が撫でられる。そしてふたたび沈黙の時間に入った。


「オレたち、やっぱりお似合いだったんよな」

リョウジがリョウジらしい話し口で沈黙を破った。

「え?」

「オヤジたちが言ってた、まだ初めて会ったくらいの時に」

「ああ…そうだったね。でもなんで?」

「お前を抱きしめた時のピッタリ感」

「…」

確かにそうかもしれないけど、まさかそんなことを考えていたなんて。

「それもあるけど…あとはキスした時の身長差」

「はい…」

これも確かにそうかもしれない。

「あと真面目な話、さっき2人で何も話さない時間あったよね、5分くらい」

「そうですね」

「あの時、別に沈黙が苦痛じゃなかったんだよね。オレはね。ショウは?」

「はい。全然大丈夫だった。」

「こうして話していても、話さなくても大丈夫なんだ。だからずっと一緒にいられる」

このポジティブシンキングは素晴らしいなと素直に思った。すると

「今日はさ、ほらアレ初めての夜、なんだっけ」

「初夜?」

「そう初夜。オレたちにとっての始まりの日だった。今夜がほんとうの初めての夜だよね?」

「一緒に寝たいということ?」

「また寝たい。寝たい!あと、そこで話したいこともある」

少しだけ神妙になったリョウジに含みを残し、僕らは寝支度を始めた。


シャワーを終えて部屋に戻ってきたリョウジがベッドに横になる。おいでー呼ばれて行くと、リョウジがタンクトップを着ていた。いつものパジャマとは違う。男とはいえ、肌の露出が多いと少し違和感というか、まだドキドキしてしまう自分が恥ずかしい。

その事には触れずにリョウジの横になった。

「おいで」リョウジが枕に手を伸ばして、そこに僕の頭を乗せるようにと合図をした。

その通りにしたけど、顔をリョウジに向けるのは恥ずかしいので、腕の下側に入り、顔は胸の方にすり寄るようにした。するとリョウジが僕の髪を触り始めた。


「ショウの髪、ほんと好き」

「この髪のどこが?」

「サラサラだけど適度な湿り気があって触り心地がキモチイイ」

僕も触られてキモチイイよって言いたいけど、言えない自分が申し訳ない。ので、目の前にあるリョウジの左胸をトントンと軽く触った。その手は、すぐリョウジの手によって動きが遮られた。

リョウジを顔を見ると、いつもの優しい笑み、これは破顔というやつなのだろうか。この前に読んだ本に書いてあって覚えた言葉だ。


「ショウに話したいことがあって」

「うん」

「オレたち、こんな関係になったけど」

こんな関係とは、どんな関係なのか、複雑な関係だと改めて感じた。

「きょう、やったこと。ここまでくらいで止めておこうと思うんだ」

言っていることがよくわからなかった。

「今日やったことって何?」

「うーんと」

リョウジが僕の上半身をグッと引き寄せた。

「この『ファースト・上級ハグ』のこと」

「ハハハ、それは抱きしめてくれたこと?」

「そうそう」

「ちょっとウケました」

「ちょっとかー。あとは、これ」

リョウジが僕のオデコに軽くキスをした。

「わかった。ここまでで留めておこうということ」

「そう。この先に何があるかはオレはよくわかんないけど」

僕もわからない、いや、わかるような気もするけど。今は怖くて考えられない。

「オレたちはまだ若いし、あと家族だからな。じせいしん?も必要だと」

「なるほど。自制心」

リョウジが思ったよりもマトモなので少し驚いたけど、これは兄弟だということが大きいのだろう。

「でもさ、オレ、ショウのこと好きだからね。ほんとに」

「はい」

照れてしまう。うれしいけど、どう返したらいいのだろう。

「ショウ、大丈夫大丈夫、不安な顔しないで」

「そんな顔してたかな」

「オレの気のせいかな?でも大丈夫」

と言うと、僕の頬に軽くキスをしてきた。

「ショウのほっぺ好き」

その次は、鼻に。

「鼻も好き」

「おでこも、もう一回」

「手も腕もね」

「で、このサラサラ髪も」

たびかさなる部分キス攻撃に、僕は戸惑うことさえできなくなっていた。

素直に「ニイちゃん、僕はもう…どうにかなりそう」と、甘い降参を申し出た。

「じゃあ、もう寝ようか」

「はい…ニイちゃん」

「うん?」

「ありがとう。僕のことを認めてくれて」

リョウジはしばらく黙ったあと、僕の頬に優しくキスをした。

「おやすみ」


僕はリョウジの方を向いて、手を握り合って、お互いの顔を突き合わせながら、眠りに入っていった。もう恥ずかしくなかった。

僕はリョウジに愛されているんだ、そう感じたから。

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