第5話 恋する兄にヤバいマッサージ
朝の登校、晴れの日、ものすごく痛い青の日。
僕の心の中にある戸惑いと幸せへの導きのようなキラメク気持ち。相反するものが同時にあることは辛いものだと実感した。
しかしどうなのだろう。これほどまでに心が他人に支配されているというものは。リョウジのことばかり考えてしまっている。仕方ない。家に帰ればリョウジがいる。寝る前も起きた後も。
こうして、一人で通学をする時には、解放されるんだ。
いいや、解放だなんて。僕はリョウジのことが好きでたまらないのに。やはり混乱しているのだろう。
自転車で坂を下る時の頬に当たる風が、僕にやさしくいさめてくれるような気がした。
「はあ」
休み時間、いつものミツルにわざと聞こえるように、僕はため息をついてみた。
ミツルはまたマンガをモクモクと…と思ったら、参考書を読んでいた。
「やあ、がんばるね。ミツルくん」
「なに?当たり前のことだろ」
「えらいよ。僕なんて、それどころじゃ」
「いいですねーショウみたいに頭のいい人は」
「ありがとう。でもどうしたの」
「まだ1年だけど、進路考えて、ちょっとは勉強しないとヤバいって」
「ああ、そうなんだ」
「お前はどうするの」
正直、全く何も考えていない。まだ高1だし。これから。でも何もやりたいこともない。
「ミツルは大学に行くつもり?」
「ああ、まだわかんないけど。高2くらいになったら決めなきゃいけないんだろうな」
高2。高2といえばリョウジだ。リョウジの進路はどうなるのだろう。アメフトで結果を出して、推薦入学とかなのだろうか。
と、思っていると、教室の入り口にきらめく物体が突然現れた。光の具合でシルエットになって、その高い身長に長い手足がより映えた。こんなカッコいい人はこのクラスの人物でないことは確かだと考えた瞬間…
「ショウくん、ヨシダショウくんいるかな」
それは、リョウジだった。僕は兄弟にときめいてしまっていたのか。
「あ、いた」
「ニイ…」
ニイちゃんと言ってしまうところだった。さすがに人前ではよくないだろう。いやそんなことはないのかもしれないけど。
しかし寝室で見るリョウジとは、何かが違う気がする。するとリョウジは真顔になって僕の目を見て話してきた。
「あのさ、今日、練習試合グラウンドでやるからさ、初めてスタメンで出るの、放課後、時間あったら見にきて」
「あ、わかった、行きます」
「うっし。よろしく」
リョウジはいつものクシャっとした笑顔になった。なんかカワイイ…。
「う、うん」
「じゃ、後でね!」
足早に教室を去っていくリョウジを後にして、僕は気が抜けてしまった。おかしい。兄が教室に来て用事を伝えただけなのに。
「なあ、今の、お前の兄さんだよな?」
ミツルの声に僕は我に返った。「ああ、そうだよ」
「なんか、かっけーな。オーラがあるというか」
ああ、そうだね。と言いそうになってしまった。さすがにこれもヤバい。
でもミツルのような反応は正しいと思う。もしここに女生徒達がいたら大変な事態になっていただろう。なぜ、リョウジはこれほどまでに輝いているのか。
「はあ」
ため息をまた付いてしまった
「おまえ、大丈夫?」
ミツルの声も虚ろに聞こえてくるだけだ。
「もう、ダメかも…」
「マジで、大丈夫?」
「きょう、練習試合を見に付き合ってくれない?」
「ああ、いいよ」
一人でリョウジの試合を見るとクラクラして、倒れてしまいそうになるからミツルも誘うことにした。
「付き合ってくれてありがとう」
「いいよ、今日は部活は休みだからな」
ミツルは暇つぶしのために、リョウジの試合の観戦を一緒に見てくれた。試合といっても、グラウンドでやるもの。練習の続きみたいなものなのだろう。フェンスの裏側に2人で立って見た。
「お兄さん、なんで誘ってくれたんだろうな」
フェンスに手をかけて、ミツルが呟く。
「ああ、初めて試合のスタメンに入ったとか。推薦で入ったけど、強豪だからレギュラーにはなれないとか言ってた。まだ2年だからかもしれないけど」
「スポ薦も大変なんだな、あ、こっちに手振ってる人いるけど、あれは…」
アメフトの格好をした人が僕らに対して手を振っていた。しかも両手で。
「うおー来てくれたー」
その声はリョウジだった。こっちに駆けてくる。
「ありがとうーショウくん、あ、お友達も」
「うん。がんばってね」
軽く会釈をしてリョウジは足早に戻っていった。
「なんかさわやかな人だなーお前と大違い」
「ひどいなあ、まあーそうだけど」
ミツルの容赦ない素直な感想に頷きもしつつ、試合を観戦した。
アメフトは当たりが強くて身体が大きくないと辛いスポーツなのだろう。あのプロテクターもそれからの防御のためなのかな。
「やっぱ野球と比べたらすげえ走るなあ」
そんな声を聞きながら、ある事に気がついた。
リョウジは他の選手に比べたら身長は高いけれど、ガタイは大きくはないんだと。他の人は体格は横に太く、言葉はわるいけど太って見える。そうでなくてはいけないのだろうけど。その中ではリョウジは細く見えた。
「お、兄さんディフェンス成功したな」
というミツルの声もあまりきかずに、リョウジの肉体ばかりを見てしまっていた。あの太い腕と意外に細い足、そして…お尻も。
それは決して変態的な見方をしているわけではなく、身近にいる人間のにくたいのやくどうを…なんて言い訳も心の中でしていた。
要するに惹きつけられてしまったのだ。
あの手で僕の手を握った。あの身体が隣で寝ていた。あの腕で抱きしめられたい。
なんて…やはり変態なのだろうか僕は!
「ミツル、僕帰る」
「え、どうしたん?気分悪くなった?」
「ああ、うん。大丈夫だけど、兄さんには顔は見せたから」
「わかったけど、送るか?」
「ありがとう。でもいいよ。今日はありがとう」
「ああ、気にすんなよ、オレは楽しかったから」
「悪いな」
なんだか恥ずかしくなってしまって、僕は帰路についた。ミツルには悪いことをしたような気がして仕方がない。
ああ、やはり自己嫌悪に陥ってしまった。
クラクラクラクラしつつ帰路についた。
夕闇が悲しく美しい。
何かいいことがありそうだと思った日に、そうではなかったけど頑張って、と語りかけるようなオレンジに染められた街が、目に痛い。
自宅に着くとドアの鍵は開いていた。「お帰りなさい」という母の声が中から聞こえてきた。
「来てたんだ」
台所でエプロンを付けて、おかずを盛り付けながら母は話し始めた。僕も椅子に座る。
「ごめんね。なかなか顔出せなくて。忙しいことこの上ないの。調子はどう?」
「別に大丈夫だよ。元気にやってる」
「ああ、そう。リョウジくんは?まだ学校?」
「うん。今日は兄さんが出る試合を観に行ったよ。学校であった練習試合」
「あら、そんな仲になったのね」
そういえば、リョウジとの進展については僕とリョウジしか知らない事だったんだ。
「うん。いい感じだと思うよ」
「よかったわー」
台所仕事が終わったのか、エプロンを外して母は席に座った。
「年頃の男子2人だけで、いきなり一緒に暮らすなんてね。普通はうまくいかないものでしょう、安心したわ」
「まあ、そうだよね。リョウジさんが優しいからね」
「ほんと、ノボルさんも優しいからね、父親似なのかしら」
「そうかもしれない」
「だから、あなたとも合うのかもしれないわね」
何かを悟られているような気がしてしまった。しかし、悪いことではないのだろう。悪いことでは…
「そ、そうだね」
「なんか、顔色が変わったわ」
「別に、なんでもないよ」
「いいのよ。まだあなたは若いの。自分の気持ちに素直になったほうがいいの」
「うん」
「今ある世界ってそのうち変わるの。大人に近づいたら周りはどんどん変わっていく。私もそうだったから。だから大切にしたほうがいいわよ」
「大切に?」
「大事なものが見つかったらね」
これは、リョウジのことだけではないのだろう。素直に聞いておこう。
「わかりました」
「まあいい子。なんか変わったわね」
「そうかな」
「うん。じゃあ、私はまた今日行かなきゃいけないの。ごめんね。リョウジくんによろしく」
母の言葉が心に響いてしまった。
リョウジのこと、僕は素直に受け止めようと思う。たとえ許されなくても、この思いを否定することは止めよう。
たとえ…それが叶わなくても。
ああ、せつないせつない。
でも、そのせつなさの源は、すぐにやってくる、この家にやってくる。必ず帰ってきて、そして同じ部屋にいてしまう、そして夜を共にもするのだ。
あーなんて幸せなことなのだろう。僕は実感した。この幸せをありがたく受け止めて、大事にするべきなのだ!
なんて、ちょっとアツくなりすぎた自分が恥ずかしくなってしまった。
落ち着こう。カームダウンだカームダウン。英語の授業で覚えた言葉を心で繰り返した。
しかしその落ち着きは長く続かずに無尽蔵な足跡で壊されてしまった。リョウジが帰ってきたのだ。
「うーし、帰った」
座る僕の両肩を後ろからグッと掴むリョウジ。振り返りその顔を見ると、ニヤっと白い歯を見せてきた。
ああ、かわいい…と思ってしまった…
「おかえりなさい」
「うしし、あ、このメシは?ショウくんが作ったの?」
「ううん。これはお母さんが来て作ってくれたやつ」
「あれ、でももう帰った?」
「ついさっき帰りました」
「あらーそうか。とりあえず超腹減ったから食べよう」
「僕も食べます」
食事はそこそこに、がっつくリョウジを僕は観察をしていた。なるべく、そうしているのがわからないように、なんて思っていたら、すぐに目が合ってしまった。
そして「うまいおね」なんて食べ物が口に入ったまま話すリョウジ。さっきのグラウンドでの勇ましい姿からは考えられない。
けど、やっぱり、かわいい…。
「あ、きょう来てくれてありがとう。ほんとに。」
「いや、最後まで見られなくてごめんなさい」
「気にしないよ。お友達も来てくれて」
「ディフェンスは…成功してましたよね」
「お」
リョウジは嬉しそうに手を差し出してきた。僕も掴む。
「ショウくん、わかってるねーうれしい」そう言うと親指を何度も突き刺して笑っていた。
ミツルの受け売りで申し訳ないけど。
「きょうは負けちゃったけど、また次がんばるよ」
「そうなんですね。なんかごめんなさい」
「アハハ、ショウくんは全く悪くないよ」
「はい」
「あー今日はなんか、いつもより疲れちゃった」
「お風呂、入れてありますよ。この後どうぞ」
「うわーありがとう、じゃあ、一緒に入ろうか?」
「遠慮しておきます」
リョウジが入る風呂の水音が聞こえてくる。
正直、一緒に入りたかった。ニイちゃんいいよ入ろうと言えばよかった。仲良し兄弟なのに、冷たく突き放してしまった。申し訳ない。ダメな弟だな。あとで謝った方がいいのだろうか。あ、このまま途中で風呂に入っていってもいいんだ、いや、しかし、それは…
でも、今から風呂に乱入するのは、自分らしくないと思った。やめておこう。リョウジから乱入するのはリョウジらしいと思うから、いつかのソレを期待しておこう。
なんて…ヘンタイ極まりない自分をまた感じてしまっていた。
「ああ、いい風呂だった」
リョウジはシャツと短パンを穿いて、タオルと遊ぶように戯れながら風呂から出できた。冷蔵庫からスポーツドリンクを出して、一気に飲み干す。
その水が喉を通る音すらも僕は愛おしいと感じるようになっていた。そして、そのまま部屋へ入っていった。相当疲れているのだろう。今日はもう寝るとみて、話しかけるのは止めておいた。
部屋でリョウジはすでに突っ伏していた。僕も寝る準備をして、電気を消そうかなと思っていたら、うめき声が聞こえてきた。
「ううー」
「どうしましたか」
「あのーショウくん。オレ、ちょっと身体やばくて」
「マジですか」
「いやーあの。ちょっと頼みたいことがあって」
「はい?」
「悪いけど、ちょっとだけマッサージしてくれないかな」
「え」
マッサージ、マッサージ、
リョウジの身体をマッサージ。
どうしよう。どうしよう。落ち着かないと。カーム…ダウン…
「でも、僕やったことなくて。素人ですよ」
「いいよ。ちょっとだけでも…ごめんね」
ごめん、と来たら僕がやらざるを得ない性分だということを、リョウジはわかり始めているのだろうか。
黙って、リョウジのベッドの側に行った。
突っ伏すリョウジ。僕は上に乗ればいいのだろうか。マッサージなんて、どこかでなんとなく見ただけ、やったこともないけど。
「とりあえず、背中の方から」
「うわーありがとう」
「ケガしてるところ、ないですかね」
「ないよ」
「はい。痛かったら言ってください」
意を決してうつ伏せになっているリョウジの上に乗った。そして背中を上から両手でさする。風呂上がりで湿っていて温かい。でもこれがリョウジの温もりなんだと実感する。
シャツの上からでも筋肉が付いていることがよくわかる。自分の背中とは大違いだ。さすってから、指に力を入れて背骨の両端あたりを押してみる。
「う、うん」
リョウジがすこし声を出した。痛いのだろうか。でももう少し、範囲も広げて。
「ああ、ああ」
「痛いですか」
「いや、そんなことない、気持ちいいよ」
更に首周りも押してみたり。
「ウッ」
「もう少し弱くしますか」
「いや、大丈夫。なんかすげえ。上手いね」
「え」
「ショウくん、上手いね。ほんとうに初めて?」
「ですよ」
調子に乗って、肩も押してみた。ツボとかはわからないけど、固くなっているところを探し当てて。やっぱりリョウジの肩も大きい。こんもりしたものは筋肉なのだろうか。柔らかいような固いような。とりあえず自分の肉体とは全く違う。
「ああ、いい。いいねいい」
喜んでいるみたいで良かったけど、これでいいのだろうか。僕はリョウジの肉体の素晴らしさを感じてしまっていた。マッサージをする側がこんな事を考えてはいけないのだろうけど。
「ショウくん、ゴットハンドだね」
「え?」
「神の手のような腕前だということ」
「いや、そんな」
「マッサージ屋、ひらいた方がいいよ・・ああん」
「そうですかね」
うつ伏せのままのリョウジは何故か声が小さくなっていて、かわいい。
今度は腰あたりを触ってみた。すごく固い。
「ああっ、そこ、そこヤバいああ」
「痛いですか」
「ううん、めちゃすごいあーーーんはあ」
リョウジの叫びが異常な気がしてきた。叫びというか、これは喘ぎ声のようだ。。
またヘンタイな事を考えてしまった。でも正直たまらない。。
躊躇したけど、これはマッサージなんだ正当な行為なんだと自分に言い聞かせた。
指に力と気持ちを込めて。言葉にはできない思いをここに伝える。
ニイちゃん 好きだよ
ニイちゃん ニイちゃん 僕の思いに 気がついて。
「あーうーあー」
僕の思いが通じたのか、リョウジのうめき声は止まらなかった。指の力は通じたのだろう…
次は脚だ。短パンから伸びるリョウジの脚には、これも僕には無い毛がたくさん生えていた。
近くで見ると、離れて見るより迫力がある。ケモノのようだと思ったけど、そこまでは太くはないとも気がついた。力強く美しい…足だ。
会話が途切れたので、これについて話してみる。
「毛、すごいですね」
「け?」
「足の毛です」
「ああ、そうかな。気にしてないけど、あうううう」
「やっぱり腰と脚が凝っているような気がしました」
「そうだよそう、ずっと走ってるから、だから気持ちいいいああ」
「良かったです」
「ごめんねウウ、疲れさせて。ああー」
「大丈夫、僕は何もしてないです」
「でも悪いよ、そんな。あああんあああ」
悩ましいリョウジの声に、僕も悩ましくなってしまっていた。
「そろそろ、止めておきますか。どこかで読んだんですけど、マッサージをやりすぎると揉み返しというものがあって、良くないらしいです」
「そうかあ、わかった。ありがとう」
「いえいえ」
「ああー、ごめん、オレ眠くなってきた」
「よかった、ゆっくり寝てください」
突っ伏したままのリョウジを見守り、ベッドから離れようとすると、リョウジの腕が僕を押し倒してきてしまった。まるでタックルのように。
そしてリョウジの横に僕は寝転がる体勢になってしまった。しかしリョウジは突っ伏したまま。片腕が僕の上半身にかかっていて動けない。
「ショウくん、きょうはありがとう。マッサージもだけど、見に来てくれてうれしかっ…」
リョウジはかなり眠いらしく、目を閉じたまま、うつろに話した。
そうだ、わざわざ教室にまで来て誘ってくれたのだった。なのに途中で帰って本当に申し訳ない。
「ニイちゃん、ごめんね。最後まで見れなくて」
すると、少し笑みを浮かべたまま、リョウジは目を閉じた。
僕はずっとリョウジの顔を見ていた。すこし口を開けてクカーという息を吐く。
その寝顔は今日見てきたリョウジの表情の中で、一番可愛らしいものだった。
朝の自分から、寝る直前の自分、全く違う感情になっている事に気がついた。
僕は胸に乗っているリョウジの腕にそっと触れた。あたたかく、そして僕と違って毛が生えている手を。
ほんとうに僕は幸せものだと実感した。おやすみなさい。ニイちゃん。
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