第3話 愛の豚の生姜焼き



今までにないことが起きてしまった。僕の心の中に恋という初めての感情が芽生えてしまった。

そして困ったことに、その相手はまだ出会ったばかりの義理の兄だった。


そんなモヤモヤの中で朝を迎えた。まだリョウジは寝ているけど、僕は朝食の準備をすることにした。リョウジはこの家の事がよくわからないだろうから、自分がやるしかない。


部屋を出て、あることに気がついてしまった。

自分のパジャマから、今までに感じた事の無い匂いがしてきたのだ。それはリョウジの匂いに違いないけど、彼の体臭なのだろうか何だろうか。一緒の布団で一晩すごしたのだから、そんな事もあるのだろうけど、昼間には感じなかったものなのに。

これがリョウジの匂いなんだ。あの大きな身体から発せられたもの、どこかで暖かみのあるような、やさしい香りだ、すこし…汗の匂いもあるのかもしれない。


なんて思う自分が恥ずかしくなった。まるで変態じゃないか僕は。

「最悪だヘンタイだ」

心の中でつぶやきながら顔を洗った。いつものより水をキツめに当てて。しかし匂いの記憶というものは、なかなか消えないものだ。これは一生忘れないものなのだろうか。

自分を恥じると同時に、僕の中に愛しいものが込み上げてくるのも感じてしまっていた。

もしかしたらこれは…やはりヘンタイだ。ただの…


そんなヘンタイの僕が作る朝食をニイちゃんは食べてくれるのだろうか、なんてくだらない事を考えつつ、卵を割り、ベーコンを焼いた後に、スクランブルエッグを作った。

ニイちゃんはまだ起きてはこない。部屋までここから呼べば気がつくような気がするけど。どうしよう、起こしにいくのか。まだ寝ていたらどう起こしたら良いのだろう。


そうしていると、いつのまにかニイちゃんは部屋から出てきていた。洗面所で髪を整えていたのだ。もう制服も着ていた。ブレザーにネクタイも締めたその姿はとても凛々しい。そういえばまだニイちゃんの制服姿を見たことがなかったんだ。


「よっ おはよう」

「おはようございます」

起き抜けのニイちゃんが通りすがりに僕の頭をポンポンと叩いて、2人の1日が始まった。

「おお、朝飯だ、ありがたいねえ」

「カンタンなものだけど」

「すげえ この崩れた卵焼きうまい」

「崩れた卵焼き!そんな言い方初めて聞いた」

「変かな?でもうまいよ」

「スクランブルエッグと言いますよ」

「そうなんだ、スク…ブ…ダメだ覚えらんない」

こんなカンタンなものでも喜んでくれてうれしい。ニイちゃんはいつも僕のことを肯定してくれるような気がするけど、それに甘えてはいけない。

「ショウやんが料理うまいって本当なんだね」

「ショウやん、今日は違う呼び方なんですね」

「ダメかな?」

「自由にどうぞ」

「ショウやんそろそろ、オレに敬語使うの止めてもいいよ」

「…確かに」

自分でもそう思う。普通の兄弟のように振る舞わなければいけないのだろう。

いや、僕たちは普通の兄弟ではない、血はつながっていないけど。だからこそ、努力が必要なのだろう。

「わかったよニイちゃん。もう敬語は…やめる」

「おお」

「やめる…ますね」

「ああ」

「失敗しました…した…」

「大丈夫、ゆっくり行こう」

「ハイ、そうだですね」

「アハハ」

「そういえば、そろそろ学校に」

「うっす オレは瞬間皿洗いが得意だからまかせて」

「素晴らしい お願いします」

こうして楽しい?2人の朝食タイムは終わった。



「道はわかるけど、今日はショウやんが先に行って」

自転車で兄を先導することになった。兄弟で初の登校、こんなことがこれからの日常になるんだなあと、いつもの坂道の空を見ながら思った。

今日は曇りで景色はイマイチ冴えないけど、気温は暑くもなく寒くもない、湿度も良い感じだ。まるで僕の今の気持ちのようじゃないか。

こんな内省的なことばかりを考えるのも良くないのかもしれない。僕には話し相手ができたんだ。


「いいねえ、この辺りの景色」

リョウジが後ろから大きな声で話しかける。走行中なので「いいでしょう」と簡単に返答するしかない。また後で話せばいい。昨日までの自分とは違う時間が流れているんだと実感させられた。


信号待ちの間に、リョウジに登校前に聞いてみたい事があったので聞いてみた。

「新しく兄弟ができたって、クラスの人とかに話す?」と。

「聞かれたら答えるかな」

「そうか、僕もそうしようかな」

これは、よくあることではないけど、変わったことでもないこと。変わっていると感じているのは自分だけなんだ。

青信号になり駆け出した時に、リョウジがまた後ろから話しかけてきた。

「ほんとうはさあ」

「え?」

「オレはーみんなに話したい」

「ハイ?」

「かわいい弟ができたってさあ」

「!」

僕は普通にドキドキしてしまった。恥ずかしくなってしまった。リョウジは僕のこころをもてあそんでいるのだろうか。朝からもう止めてほしい。ほんとうに。

でも、もちろん嬉しかった。僕もだよーとか、素直に言えばよかった。おかしいのだろうけど。



「ダメだ」

教室で僕は自分の頬を軽く叩いた。朝から自分は色ボケをしている。ニイちゃんの事が頭から離れない。勉強をしていても、彼が僕を見つめている瞳とか、手のぬくもりとか、そして今朝のあの匂いとかを思い出してしまう。

ダメだダメだと、ブツブツ言うのが聞こえてしまったのか、後ろの席からミツルが小突いてきた。

「どうしたんだよ、今日もオマエおかしいよ」

「ごめん。わかってる」

「何かあったのか?」

「なあんにもないよないない」

何かがありすぎて、嘘も下手になるほど狼狽してしまった。しかしミツルにすべてを話すわけにはいかない。

「でも大丈夫そうだな。今日のショウは口角が上がってる」

「え?こうかく?」

「口の両端。笑ってるってこと」

「笑ってはいないつもりだけど」

「お前の心の中でなんか良いことがあったんだな」

「そうかなあ…」

「まあ別にいいよ。それより、家の方、お兄さんとかどうなった」

「あ」

そういえばそうだった。彼は何もしらないのだ。なので普通に普通に。

「兄さん、いい人だったよ。上手くやっていけそう」

「そっか。よかったな。リョウジさんだっけ。お前とは真逆っぽいけど」

「確かに。まだ、ぎこちないけど向こうが合わせてくれてる」

「なるほど。いい関係なんだな」

「そう。いいかんけ…」

ハッとした。

リョウジはひたすら僕に気を使ってくれているだけなんだ。兄として、義理の弟に気づかっている。それを未熟な僕はまだ受け止めきれていないだけなのかもしれない。もっと彼に心を開かなくてはいけないのかな。

「いい関係だけど、自分はもっと心を開かなくてはいけないと思ってる」

心のままにミツルに話した。

「…お前、変わったな、なんか大人になった」

「そうかな?」

「俺には姉ちゃんが1人いるけどさ、なーんにも考えてないからな。お互い。だからお前たち兄弟は、なんかいい感じだと思うよ」

「そうだね。でも、僕も最終的にはなーんにも考えない感じになりたいな」

「家族ってそういうもんだからね」

ミツルとの会話は有益な物だった、心から感謝した。



帰路に着く前に、母から連絡があった。今日は2人とも家に帰らず外で食事をすることになった。

夕食は自分たちでなんとかしてーという事だった。

自分たち、そうだ僕に加えてリョウジがいるんだった。そういえばリョウジの連絡先をまだ聞いていなかった。彼の帰りは何時になるのだろう。帰宅部の僕のほうが帰りは早いだろうから、自分で用意をして待っていればいいのだろうか。

新しい生活になったんだなと、家に帰って途方に暮れていた。1人で暮らすには広い家。今はもう1人いるけど。帰宅をじっと待っている自分はまるで…結婚した女のようではないか。と思っていたら恥ずかしくなってきた。「なーんにも考えない感じ」にしたいのに。


「まあいいか」とリビングのソファーに横になって、スマホを見ていた。なんとなくリョウジの名前で検索をしてみる。アメフト部メンバーの一覧に名前はあったけど写真は無かった。どこかにないかなあと思って画像検索もしてみた。


おかしいな。昨夜は横に寝ていた男が、急に遠いものに感じてきた。リョウジには自分の知らない世界がたくさんあるんだ、と気がついてしまった。自分には何もない。今の自分にあることは、オカダ・リョウジの弟だということだけなのかもしれない。

それならそれでいいかなとも思った。これから何かを見つけよう。何か…


なんて思っていたら、玄関のベルが鳴りリョウジが帰宅してきた。

「うっす、腹減った」

いきなり強烈な帰宅の挨拶だった。

「あの、今日はおかあさん達はいないです。連絡来てなかった?」

「うん。まだ何も教えてないから、オヤジからも何もきてない」

「そうかー。では悲報です。まだ夕ご飯の支度してないです。」

「まじで、腹減ったのに」

「どこかに食べに行きますか」

「うーん」

「お金ならありますよ」

「オレ、ショウやんの生姜焼きが食いたい」

「ああ」

「お母さんが言っていた例の絶品の生姜焼きを」

「それは母さんのデタラメですが」

「いや、ぜったい食いたい」

「わかりました…」

冷蔵庫には豚肉はなかった。生姜はあるけど、キャベツも玉ねぎもない。

「スーパーに行く必要がありますね」

「そうか。じゃあ一緒に行こう」

「付き合ってくれますか」

「付き合う付き合う」

「では、ご飯を炊いてから行きましょう」

「りょー」


スーパーは自宅からすぐの所にある。いつも行くけど、他の誰かと行くのは初めてだった。

「いつもスーパーとか行きますか」

「行かないねえ 料理しないし。コンビニくらいかな」

「ですよねえ」

「でもなんか楽しいね。このキャベツは高いのかな?」

「今日は安いですね、買いましょう」

「すげーな ショウやん主婦みたい」

「男だから、主に夫と書いて主夫ですかね」

「そんな言葉あるんだ。なんでも知ってるね」

「普通ですよ」

こんなくだらない会話でも楽しい。いつものスーパーが特別なステージに思えてきて、しまった。いけない普通普通の事、僕は自分に言い聞かせた。でも、

「なんかデートしてるみたいだね、オレたち」

なんてことを帰り際に平気で言い出す義理の兄。どうしたらいいのだろう。僕は楽しいけど。更に

「荷物持とうか?」

なんて聞いてくる。重くはないので断る。

「別に大丈夫ですよ。優しいんですね。いつも女の子にもそんな気遣いしているんですか」

「したくてもさあ、機会がないよ」

とリョウジは哀しそうな素振りを見せた。歩きながら、聞いてみたかったことも聞いてみた。

「ニイちゃんは女にモテるんですよね?超がつくレベルで」

以前にミツルが言っていたことを確かめたかったのだ。

「そんなこと誰が言ってた?」

「うわさです」

「あー まあ、周りがどう思うとオレは別にモテるとかは思わないな、それに今はそんなこと無いし」

「なるほど。確かに過去はどうでもいいと」

「そう、それに…」

何か言いたげだったけどニイちゃんはそれ以上は話すことはしなかった。もう家が近いからかもしれない。

でも僕は悟った。この人はたしかにモテるのだろうと。見た目だけではなく、その人と成りが人を惹きつけるものがあるのだと思う。それは個人的な見解かもしれないけど。

と、いうことは自分もその中の1人だということ、多数の中の1人なんだ。


しかし、今はそれよりも料理をしなければいけない。


「すぐできますから、部屋で待っててください」

「うい」

豚の生姜焼きはすぐにできる。以前にテレビでタモリがやっていたらしいタモリ風の豚の生姜焼きを作る。いつも作っているのでお手の物だ。付け合せのキャベツの千切りは少し苦手だけど、スライサーでごまかせば大丈夫。

ニイちゃんは部屋にいるはずが、キッチンの近くでうろうろしていた。なんとなく視線も感じた。

「どうしましたか」

「いや、なんかこう」

と、やはりよくわからない挙動だ。すると僕に近づいてきたと思ったら立ち止まって

「あー」とか言い出して手で頬をパンパンと叩いていた。どうしたんだろう。

「もうできますよ。席で待っていてください」

「わかった、おかあさん」

「もうーおかあさんは止めてください、できましたよ」

「うおおお」

まるで子供みたいなリョウジに僕は微笑むしかなかった。自分はなんて幸せなのだろう、と思ってしまった。


その後、豚の生姜焼きを一口食べて、リョウジは止まってしまった。

「あの。。どうでしょうか」

「言葉にならないよ。それくらいにうまい」

割とふつうな反応だなと思ってしまった。けど

突然「うまいうまいうまうまうまうまー」なんてクレッシェンド気味に言い出した。

「良かった。。です」

「ショウやん!…正直に言ってほしい。これは奮発して超高級豚肉を買ったのだよね?」

「違います。普通の豚肉ですよ」

「おかしいから、この柔らかさ。異常なほどに、うまい!」

「焼く前の豚肉に小麦粉をまぶしたからかもしれない。タモリもそうしてるようで」

「なるほど。ひと工夫するだけで、こうも違うんだね」

「喜んでくれてうれしいです」

「うーん毎日食べたい食べたいな」


鼻歌を交えてはしゃぐリョウジを見て、思ったことを言ってみた。

「ニイちゃんって、なんか赤ちゃんみたい、子供みたいになる時がありますよね」

「うーん、それは。オレは小さい時にあんまオヤジに構ってもらえなかったからかも」

「そうですか」

お互い片親だったからかよくわかる。子供だった時は少なかったから。1人だと自立をしていくしかない。生活の隅々においてそうだった。

「それにショウやんといるとなんか落ち着いて、そんな気分になっているのかも」

ニイちゃんがそう言って見せてくれた笑顔は、ほんとうに子供のようなものだった。純粋な人なんだなと思ったら、僕はちょっと泣きそうになってしまった。

「わかります」

「ありがとう、ああーなんかショウくんを…嫁にほしいな」

なんて言われてしまった。ここは笑っておくところだろう。そんなことはできないのだから。

でも、「僕たち、結婚しなくても兄弟ですよ」と返した。

「あ、そうか。じゃあ結婚と違って別れることもないってことだね!」

僕は大きく頷いた。別れることはない。


でも、僕たちは兄弟、そして男同士。愛し合うことすらも、許されないのだ。


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