君の部屋を最期に見ました

きつね月

君の部屋を最期に見ました


 君の部屋を最期に見ました。


 東京の郊外にある古びた十階建てのマンション。その最上階の君の部屋。

 入ると花の匂いが漂ってきて、狭いな、というのが第一印象でした。

 机、布団、ベランダ、台所、ユニットバス、リクライニングチェア……生活のすべてが見渡す限りの範囲にしかなく、それぞれの位置からそれぞれに手が届きそうなほどの広さしかありません。

 私はそんな光景に呆れつつ、君らしいな、と思っていました。


 ――掃除が面倒と思うんだけど。

 ――でも生きている以上は掃除をせずにはいられないから、そんなにたくさんのスペースは要らないんだ。


 という生前の君の言葉を思い出しました。


 部屋は綺麗に片付いているとは言い難い様子でした。

 ごみで溢れているというわけではありませんでしたが、そこら中に本やCDが積まれています。全部読んだり聴いたりしていたのでしょうか。電子が全盛のこの時代に、よくまあこれだけのものを集めたものだ――と呆れていると、そういえば君は滅多にメールもLINEも返信してこない人だったよなあ、とちょっと納得しました。

 お陰で、君が死んだことも警察の連絡があるまで知りませんでしたし、葬式が終わって君が灰になってしまった今ですらそれが実感できていないのも、きっといつか気まぐれに返事が帰ってくる、と思ってしまっているからなのでした。

 こっちの都合も気持ちも知らないで、本当に君らしい。


 部屋には花が咲いていました。

 と言ってもそれは本物ではなく造花でした。

 空の酒瓶を花瓶の代わりにして、それらは部屋中に無造作に並べられています。百円ショップのタグが茎の部分に引っ掛かっていて、そこに花の名前も書いてあります。


 『リリー』、『デイジー』、『桔梗ききょう』、『菖蒲あやめ』、『ハイドレンジア』、『ジャスミン』、『ヤクルマソウ』、『アネモネ』、『ブーゲンビリア』、『向日葵ひまわり』『ライラック』『ユーカリ』『カスミソウ』――


 君が何を思ってこんなものを買ったのか。本の山以上にところ狭しと咲いたそれらが生前の君の言葉を語ってくれることはありませんが、そんな色とりどりの花に囲まれて暮らしていたんだと思うと、少しは慰めになるかもしれないのでした。


 君の部屋を最期に見ました。

 見に来てしまいました。

 ここに来る前は、もしかしたら私の気付いてあげられなかった君の苦悩や怒り、絶望、そんなものに触れてしまうんじゃないか――と怖がりもしましたが、そんなことはなく。

 でも、もしかしたら、君の幽霊にでも出会ってしまえるんじゃないか――と心のどこかで期待もしていましたが、そんなこともなく。

 私はただ君の部屋に来ただけでした。

 そして生きていた頃の君の行動の一端に触れて、君のことを想うだけでした。

 

 花の匂いがします。

 生前の君が部屋のどこかに芳香剤でも置いたのでしょう。私はその匂いを嗅いでいます。

 十階建ての窓からは郊外の景色が見渡せて、気だるげに流れる雲からは、もうじき夏が来るという気配を感じています。

 これはあまり好きな香りじゃない――ということを君に伝えることはもうできず、最近暑くなってきたね――と君と言い合うことももうできない。

 そう思うと悲しくて、このまま窓から飛び降りて君のところへ逝ってしまおうか、なんて気持ちも湧いてきますが、きっと私はそうしないでしょう。


 だって、私のなかにいる君が、きっとそれを許さないだろうから――

 そんなことをふと思えただけで。

 それでも、ここに来てよかったんだと思ったのでした。




 

 

  


 

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