創造の魔導書<未完の完>

十三岡繁

第1話 デリーター

 結衣が目を開けるとそこは全く知らない場所だった。普通閉じた目を開ければしばらくは眩しくて、はっきりとものが見えなかったりするものだ。しかしそこは薄暗い場所だったので、すぐにまわりの様子が見て取れた。石積みの壁で囲まれていて、上の方は暗くて見えない。天井があるのであれば相当高いのだろう。空気が動く様子は無いので、屋外ではなく屋内だと思われる。壁に窓はなく、出入り口と思われる床付近に開いたただ一つの穴からは、外から光が差し込んでいる。


 今が何時で自分がどうしてここにいるのかは全く分からない。ただ一番驚いたのは自分の置かれた状況よりも、すぐ近くに立っている存在にだった。それはこの薄暗い部屋にあって、白い体にフィットしたボディースーツをまとい、ぼんやりと輝いているようにも見えた。頭には結衣が思い描いた通りのデザインのマスクを被っている。


 そう結衣は彼の名前を知っていた。

「デリーター!」彼女は思わずそう叫んでいた。


 結衣の家は多くのそれとは少し違っていた。小学校に上がってすぐに母親が病気で他界してからは、父が男手ひとつで育ててくれた。最初の頃は母の死というものがぼんやりとしか分かっていなかったが、学年が上がるにつれてその意味を段々と実感を持って受け止められるようになっていった。小さい頃から母がいなかった分も父親には甘えて育ってきた。しかし小学生も高学年になり、世の中のことがおぼろげながら分かってくるとそれは変わってきた。

 

 父が会社で勤める部署を変えてまで、自分を育てるための時間を優先してくれていたことも知ってしまった。うれしかったかと言えば逆に後ろめたいような気がして、父のことを意識的に避けるようになってしまった。それが段々とエスカレートして、中学生になるころにはまともに口を利かなくなっていた。

 父のことは嫌いではない。むしろここまで母親の分まで自分を育ててくれて感謝もしている。しかし思春期特有の感情もあって、どうしても素直にはなれずにいた。


 また、結衣には親にも同級生にも話していない趣味があった。ノートに自分の空想の産物を書き記していく事だ。それは小学校の高学年になるころに始まって、中学生になった今も密かに続けている。イラストだけでなく、そのイメージしたものが持つ能力や大きさなど、様々な設定も文字で書き加えてある。もう、その空想を書き綴ったノートは何冊も溜まってしまっていた。


 その中でも繰り返し書いていたお気に入りのキャラクターが『デリーター』と名付けたヒーローだった。白いボディスーツを来た筋骨隆々の体格に、顔には口元だけが出たマスクをしている。しかし外に出ている口元だけ見れば彼がイケメンである事は明らかだ…という設定だ。


 このヒーローの変わっているところは、もちろん戦っても強いのだが、従来のヒーローの様に体力馬鹿では無く、最大の武器がその知識と頭脳であるところだ。世界の仕組みを全て理解していて、戦う相手の行動や能力を鋭く分析したうえで、戦い方を組み立てて勝利して行くのだ。


 その結衣の想像上のヒーローキャラクターが確かにそこには存在していた。彼を見て驚いた結衣は、他にその部屋に存在していたものにも気が付いていたが、見て見ぬふりをしていた。


「あのー…」気まずそうに結衣に話しかけてきたのは、黒いローブを身にまとった若い女性だった。声をかけられて、結衣は部屋の中に『デリーター』の他にもう一人存在している人間がいる事をようやく受け入れた。


「なんでデリーターがここにいるんですか?」異世界に召喚されたというお決まりのパターンである事は、あまりにそれらしいこの状況に結衣にはなんとなく想像がついていた。しかし彼女の疑問はそのデリーターの存在、その一点に集中していた。


「私が召喚したのは結衣さんだけです。そこの方は何故だかあなたと一緒に現れました。異世界から人間を召喚するなんて私も初めての事なので、こういう感じで合ってるのかどうかも良く分かりません」女性は少し困ったような顔をしてそう答えた。


「あなたが私を召喚したんですか?」ようやく普通の異世界転生物語のセリフに結衣は戻った。

「ある時あなたを召喚するようにと神託が下りました。私はそれに従ったまでです」女性は答える。

「召喚して私に何をしろと?魔王を倒す勇者とかそういうやつですか?」結衣は空想好きなのもあってその手の小説や漫画もいくつか読んだことがある。


「まぁ近いと言えば近いでしょうか」そう言って女性は結衣の顔を見て、それから少し離れたところに立っているデリーターの方も見てから続けた。

「では私が分かっている部分だけでもご説明してよろしいでしょうか?」


「私には構わずお話を続けてください」その言葉は結衣ではなかった。デリーターがそうしゃべったのだ。それを聞いて結衣は口をパクパクさせている。少ししてからようやく声が伴った。


「ああー!!デリーターが喋ってる!声も思っていた通りだー!!」結衣のセリフを聞いて、デリーターは右手の親指をあげてサムアップのポーズをとった。


「結衣ちゃんはじめまして。いや、はじめましてじゃないのかな」そう言ってデリーターはマスクから出ている口元にニッと微笑みを浮かべた。

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