第55話 罪悪の放棄
僕が麦わら帽子を渡したその日から、アディメさんは謝罪の言葉を繰り返さなくなった。
謝罪の言葉を繰り返さなくなったと言っても、罪の意識を完全に拭い去ることは難しく、依然として僕たちに対する罪悪感というものはあるようだ。
だから、アディメさんは僕たちの顔を見るたびに申し訳無さそうな顔をする。
「アディメさん、今日の調子はどうですか?」
僕はアディメさんに対して、病院の定期検診の常套句のような言葉を放つ。
「その……大丈夫です……」
今のアディメさんの声は耳を澄まさなければ聞こえない程に小さい。
これ以前の声量も小さかったと言えば小さかったが、今と比べればかなり声が出ていたのだと思う。
「あの……水を飲んでもいいですか……?」
彼女の語尾には何かしらの余韻が残って、何かに対して怯えている印象を感じる。
「いいですよ」
僕がそう言うと、彼女は机の上に置かれている水の入ったコップへ手をのばす。
手とベッドの足に繋がれた鎖の拘束具が金属の擦れた音を出す。
アディメさんはごくごくと水を飲む。この瞬間だけが、彼女の自然な表情を見ることができる貴重な時間である。
「あの……」
アディメさんはコップの半分程の水を飲むと、もじもじし始めた。
何か問題があったのだろうか。
「どうしたんですか」
「トイレ……に行きたいんですけど……」
「あぁ……分かりました」
僕はそう言って、アディメさんの両腕と両足、腰につけている拘束具を慎重に迅速に外す。この動作を何回も繰り返していると僕の腕も洗練されていくようで、最初拘束具を外すのに1分程掛かっていたのが、今では10秒ほどで取り外せるようになった。
嫌な成長である。
「ありがとうございます……」
アディメさんはいつも通りの申し訳なさそうな表情をして、急いでトイレのある1階の方へと歩いていった。
僕はそれについていく。今のアディメさんの様子では無いと思うが、逃げ出したり自殺を図られるのを防ぐためだ。
流石にトイレの中には入らないが。
僕はアディメさんがトイレをしている間に考える。
勇者は何故未だに僕たちを騎士に突き出さない?
普通だったら僕たちを何が何でも見つけ出して、騎士団の騎士に突き出すのがいいだろうに、彼は未だに僕たちを突き出すどころか、聴衆にアディメさんを見かけたことすら発表していない。
僕が勇者の立場であれば、懸賞金でも懸けて更にアディメさん捜索に力を入れるだろう。
それでもそうしないのは、単なるプライドの問題か、単純に勇者自身が僕を探そうとしているからなのだろう。
もしくは勇者が僕たちを探していることを僕たちに悟らせないために、わざと情報を公開していないのか?
どちらにせよ、警戒を怠ることなかれ。そういうことだろう。
「終わりました……」
アディメさんが恥ずかしそうな顔をしながらトイレから出てきた。
流石にトイレを終えたという報告をするのは恥ずかしいのだろう。
「昼食でもとろうか」
僕はアディメさんを気遣うようにそう言った。最近では敬語を使うことが多くなってきたから、アディメさんの落ち着いてきたこの機を利用して、またタメ口の関係に戻そう。
昼食をとろうと言っても、食堂から買ってきたパンぐらいしか無いが。
「わかりました……」
アディメさんが力なくそう答えた。
僕は共用スペースの長机の上に置いてあるパンが3つ入った紙袋をとる。
中に入っているパンは味も何も付いていない、ただの硬いもっさりとしたパンである。
味付きのパンを買うのにも余裕がなくなるほど、寮の掃除用具やらなんやらにお金を使ってしまった。
食費を減らすレベルで節約をしなければ本当に生活の余裕が無くなってしまうほどにマズイ。
「私なんかのせいで、こんなパンしか買うお金がなくなったんですよね……ごめんなさい」
アディメさんが硬いパンを齧りながら涙をこぼしてそう言う。
それほどまでにマズイのかこのパンは。
「アディメさんがそんなに気に病む必要はないよ。元はと言えば勇者を倒すことができなかった僕が悪いんだから」
「ダメです。そんなことを言っても、悪いのは全て私ですから……」
思った以上にダメージがぶり返してきているな。
そろそろ警戒しなければいけない頃合いだろうか。
アディメさんの心を癒やす言葉なんて僕には言えやしないだろうが、アドバイス程度ならできるかもな。
僕はそう思って口を開いた。
「疲れたときは、抱え込んでいるものを全部捨ててでも、休んだほうが良いよ」
「どういう……ことですか?」
食いついてきたな。
「そんなに思い詰めてたら、いつかは壊れるかもしれないでしょ? だから壊れる前に思い詰めてるもの全てを放棄してでも、自由に自分のしたいことをしてみたほうが良いってこと」
「でも私……自由に自分がしてみたいことなんて1つも……」
アディメさんが俯きながらそう言った。
まぁ、自由にしろと言われて即座に何をするか決めれる人なんて少数派だろう。
「それは後で考えていいから、今大事なのはどうやって抱え込んでいるものを捨てるかだよ」
「抱え込んでいるものをどうやって捨てるか……」
アディメさんは食べかけのパンを机の上に置いて、しばらく考えている素振りをする。
パンは全体の5分の1ほども食べられていない。
僕が放った今の言葉は、前世の社畜だった自分に対しても言った言葉である。
あのときは、大量の仕事やらなんやらを抱えてしまって、最終的には壊れる寸前にまで行ってしまっていた。神様の転生がもうちょっと遅かったら、僕はこの世界に廃人として誕生していたのかもしれない。
だから僕は、過去の自分に対して遅すぎるアドバイスをした。今こんなことを言ってもあの頃の僕には届くはずもないだろうに。
何故この考えを社畜時代に思い浮かばなかったのだろうと悔やまれる。
そう考えると、一種の逃げ道を作ってくれた神様には最低限の感謝をしなければ。
「まあ、自由なんて概念、人によって違うし。本当にやりたいことをしていればいいよ」
僕が無責任にそう言うと、アディメさんは何かを思いついたかのような顔をして、先程までとは比べることができないほどの大きな声で言った。
「私、やりたいことを決めました」
彼女は決心づいたような顔で、僕の方をまじまじと見つめる。
「それはなんです?」
そのあまりの気迫に僕は思わず敬語に戻ってしまう。
「それは……内緒です」
アディメさんは少し微笑んでからそう言った。
彼女の今朝の申し訳無さそうな顔も今では影すら見せておらず、彼女に何らかの自信ができたことがわかる。
僕はそのことに嬉しさを感じながらも、後日のアディメさんの変わりように困惑してしまった。
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