第54話 後遺症
僕が男子寮についた時、空は灰色と青色の混じった色に変化していた。
寮の中からは話し声、怒鳴り声ともに聞こえない。喧嘩は終わったのだろうか?
「ただいまー……?」
僕はそう言って扉をそっと開ける。
やはり寮の中からはこれといった喧嘩の会話は聞こえない。
やはり収まったのだろうか?
破れたカーテン、割れたランタン、抜けた床、足が何本か折れている机、中の綿が散乱しているソファ、傾いている壁の絵画、中の本が全て地面に転がっている本棚、ガリガリと猫が引っ掻いたような傷の付いている扉、中身がこぼれているインク瓶、マキビシのようになっている魔石だったもの。
そして、しまいには辺り一帯に血液と思われるものが付着している部屋を、僕は目の当たりにした。
「……は?」
僕は目の前の光景が信じられなくて、一度寮の外に出て寮の外観を確認する。
本当にここがつい2時間程前までは僕がいた男子寮なのかが信じられなかったからだ。
だが、現実は無情にも伝える。
ここは僕たちの男子寮だ。
僕は大急ぎで寮の中に入る。
扉のボロさのせいか、玄関を思いっきり開けたときに何かが外れる音がした。
だが、今はそんなことは言っていられない。
トイレ、共用スペース、キッチン、倉庫、裏口玄関。
1階にある全ての部屋を回っても、ルラーシアちゃんたちは居ない。あるのは凄惨な現場と血液のみだ。
となると、ルラーシアちゃん達がいるのは2階か寮の外ということになる。
僕はところどころ新しい傷の付いている階段をゆっくりと昇る。
2階の光景を見たくない気持ちと、もしルラーシアちゃん達がいなかったらどうしようという不安から、一段、また一段と足を上下させる動きが鈍くなる。
一度学校に戻って、往復してみようか。そうしたら、もしかしたらこの寮の光景は元通りになっていて、ルラーシアちゃん達がほのぼのとした会話をしているかもしれない。
そんな下らない有り得ないことを考えている内に、僕はついに最上段に登った。
わずか10段程しかない階段が、100段に感じた。
2階の惨状は、1階に比べては軽微なものだったが、それでも荒れていることには変わりなかった。
折れている蝋燭、割れた窓ガラス。
窓ガラスには、土属性の魔法だろうか? それで割れた穴が塞がれている。少なくともあと2日で、この魔力でできた補強部は霧散していき、風がこの2階部分へ吹き抜けるだろう。
僕は階段を上がって一番左の寝室から部屋を確認する。
1つ目の寝室は無傷だった。
無傷と言っても、入寮してから一度も掃除をしていないから前の寮生による汚しが付いてはいるが。
2つ目の部屋も同様に、無傷の汚い部屋であった。
そしてついに、僕はハーミルくんの使っている寝室を確認する。
中から灯りは漏れてきていない。おそらく灯りは点けていないのだろう。
僕はそっとハーミルくんの寝室の扉を開ける。
無傷。
僕はほっとため息をつく。
安心によるため息だ。ここは荒れていない、掃除されているただの綺麗な部屋だ。
しかし、ハーミルくんがこの部屋で寝ている様子は無い。彼は一体どこへ行ったのだろうか。
妙な不安感が僕を襲う。
僕は僕がおかしくなってしまう前に、ロントくんの寝室も確認した。
ここも無傷。ロントくんは寝ていない。
というか、ここやけに本が多いな。魔術書から料理書、小説まで色んなジャンルの本が並んでいる。
これだけでどのくらいのお金を使ったのだろうか。彼のいつも金欠だと言っていた理由がわかった。
この部屋の内装は気になる所が多いが、好奇心よりも大きな不安心が勝ってしまったため、僕はこの部屋を出た。
最後は僕の部屋だ。
いや、今は僕の部屋というよりも、アディメさんの部屋とでも言ったほうがいいのだろう。
僕はドアノブに手をかける。
この丸っこい金属の塊を回すことで、この寮で何が起こったかわかる。
理由はないが、そんな気がしてならない。
開けたくない。このまま逃げてしまいたい。寝て起きれば元通りになっているのでは?
ロントくんがいつも通り共用スペースで本を呼んでいて、ハーミルくんが外の花たちに水を与えている、そんな日常が、寝れば戻ってくるのではないか? そんな馬鹿らしいことを考えては、ドアノブを回そうとする手の力に躊躇が宿る。
ええい、儘よ。
僕はそう思ってドアノブを回し、扉を前に押す。
「……え?」
灯りは付いているが、薄暗い部屋である。
荒い、荒れすぎている。
窓ガラスは枠ごとどこへ行っており、これもまた土属性の魔法で応急処置を施されている。
机は中心から真っ二つに折れており、ビリビリに破られている魔術書のページが部屋の床を埋め尽くしている。
ベッドは中身が飛び出ており、水を入れるためのコップが粉々になっていて、ランタンが壊れて中の油が漏れ出ている。壁にはクレーターができており、天井の木材が折れて垂れ下がってきている。
若干の蝋燭の火が、この部屋の主な光源になっている。
無事なのは、僕がフーリアさんから貰った、あの大きな杖だけだ。
歩く度にギシッと床が軋む音がする。前まではこんな不快な音はしなかったのに。
「痛!?」
別にそこまで痛くはないのに、反射的にそう叫んだ。
僕がそう叫んだのは、何かを踏んだ感触があったからだ。
柔らかく弾力がある、けれども何か硬いものがある。まるで何かの肉を踏みつけたような感触だ。。
地面は見たくない。何が転がっているのか大方察しがついているからだ。
まず、この床に転がっている魔術書のページに、ところどころ赤いインクが付いていたのを、僕は見逃さなかった。
この部屋には赤いインクなんて無いし、魔術書には赤いインクで書かれている箇所なんてなかった。
この部屋は地味に鉄臭い。
手が震え、動悸がする。
「あぁ、ぁぁ」と小さな悲鳴が勝手に口腔から出て、途方に暮れた涙が瞳から流れ落ちる。
胃が痛い、胸が苦しい。ここで気絶してしまえたらどんなに楽か。
僕は地面に転がっている計5体のそれを確認した瞬間、くずれ落ちてしまった。
幸いだったのは、本当に幸いだったのは、全員もれなく生きていたことだった。
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「ごめん、僕がついていながら……」
頭に包帯を巻いているロントくんがそう言った。
「ううん、僕がいても同じ結果になっただろうから、全員生きていただけで良かったよ」
あの日、僕が学校の教室へ向かった後、アディメさんが自殺を図ったそうだ。
自責の念に苛まれた結果だろう。彼女は自身の片手剣で首を刎ねようとしたらしい。
だが、僕の例の細工によって片手剣は鞘から刀身を見せることはなかった。
残念なことに、僕のやったあれは余計なお世話でもなんでもなく、お手柄になったわけだ。嫌な予感が的中してしまった。
アディメさんは剣で自殺をできないと悟った瞬間、今度は割れたガラスで首の頸動脈を掻っ切ろうとしたらしい。
それをロントくんとフィモラーちゃんが必死に阻止。異変に気づいた絶賛喧嘩中だったハーミルくんとルラーシアちゃんがロントくんたちに加勢。
自殺をするために暴れ回ったアディメさんと、それをさせまいと阻止するロントくん達が争った結果が、あのザマである。
幸いにも全員軽症で済み、一番ひどい怪我をしたのはフィモラーちゃんだが、彼女は腕にガラスによる軽微な切り傷と頭の少量の出血で済んだ。
アディメさん以外の4人は魔法学校の医務室へ運び出し、アディメさんはロントくんの部屋のベッドで安静and拘束をしている。
アディメさんは早めに寮に復帰したハーミルくんによって監視しており、自殺は極力図れないようにしている。
可哀想だとは思うが、致し方ないのだ。
「帰ったら寮の掃除だから……逃げないでよ?」
「アハハ……しばらく隠居しようかな……」
僕たちはちょっとした談話をした後、僕はそのまま寮へ帰った。
医務室の先生には4人で大喧嘩をしたという体で言い訳をしている。少し苦しいような気もするが、まあそこまで深掘りはされなかったからいいだろう。
「壊れた備品を揃えるのに、夏休みの支給金全部消えそうだなぁ……」
僕はトホホ……と呟いてA-2-3教室男子寮の入り口へと向かう。
そして僕は寮の玄関を開けて辟易とする。
ここまで酷いと、掃除をする気も起きない。
下手をしたら、入寮時よりも酷いかもしれない。
「ただいま……」
僕はそう挨拶をする。
だが、寮内からはおかえりのおの字すら聞こえない。前までは誰かしらが挨拶を返してくれていたのに。
僕は2階のロントくんの部屋に向かう。
最近では、この行動が一番嫌な瞬間である。
「ただいま……」
僕はロントくんの寝室の扉を開ける。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
アディメさんは比較的軽症で済んだ。頭を壁に打ち付けたことによって頭部から少し血が出ただけで、それ以外に目立った外傷はなかった。
少なくとも、身体的外傷の方には。
問題は心的外傷だ。
彼女は自身の自殺未遂による、ロントくん達へ傷をつけた事による罪悪感に耐えることができなかった。
──彼女は壊れてしまったのだ。
「リーバルト……代わってくれない……? 流石にキツイや……」
ハーミルくんが心底疲れ果てた様子でそう言った。
こんな呪詛だらけの部屋で、彼もよく耐えたものだ。
「いいよ。隣で寝てくると良い」
「ありがとう……」
ハーミルくんはそう言ってこの部屋を後にした。
この部屋にいるのは、健常な僕と壊れかけた機械人形になったアディメさんだけだ。
「アディメさん……」
「!? ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…………」
僕がこの部屋に入ってきたのにようやく気がついたのだろう。彼女の謝るスピードが早まった。
僕は土属性魔法でできた鎖状の拘束具を補強した。無論、彼女に気づかれないように慎重に。
「大丈夫ですから。僕は怒ってませんし、ロントくんたちも怒ってません」
僕はできるだけ優しく、静かにそう語りかけた。
今の彼女はちょっとでも触ったら割れるような、ヒビの入ったガラスだ。
完全に割れているわけではない。しかし、ちょっとでも取り扱いを間違えば……割れる。
「今日は良いものを買ってきました、もうすぐ夏でしょう?」
僕はそう言って、僕のバックの中をゴソゴソと漁る。
アディメさんの謝罪の言葉が止んだ。
「麦わら帽子ですよ、青いリボンの付いた……可愛いでしょう?」
僕はそう言ってアディメさんに青いリボンのついた麦わら帽子を見せる。
フリル銀貨2枚で買った麦わら帽子だ。
「フリル銅貨3枚まで値切って買うことができました。あげます」
僕はそう言って彼女の枕元に麦わら帽子を置いた。
彼女は一瞬物珍しそうな顔をして、すぐにいつも通りの申し訳無さに塗れた悲痛な表情になった。
またすぐに謝罪を繰り返すだろうから、僕は即座に話を続ける。
「大丈夫ですよ。ここにはあなたを迫害する人も、嫌悪する人も居ません。居たら僕がぶっ飛ばします」
僕は小さな微笑みを浮かべながら、そう話しかける。
慎重に言葉を選んで、壊れそうになったら急いで補修をする。はたしてこれが彼女を傷つけない言葉になっているのかは分からないが、何も努力しないよりかはマシだろう。
南中した太陽による日光が僕を照らし付ける。
その日光は、無差別にアディメさん以外を照らしつけ、僕の心とは真反対の暖かさと明かりとなる。
嗚呼、わびしい。
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