第46話 捜索と日常
アディメさんが勇者のもとから突如として消えたという話は、路地裏の浮浪者から一等地の貴族まで隅々といきわたった。
一説では、どこかの暴漢に襲われて、そのまま奴隷としてどこか遠くに売り飛ばされたという話がある。
しかし、勇者はそれを否定した。
勇者いわく、『彼女の剣の腕前に、そんじょそこらの暴漢が勝てるわけがないから』だそうだ。
実際、その勇者の考察は正解している。
なんだってその勇者のもとからいなくなった人は、魔法学校の男子寮にいるだけで、暴漢なぞには襲われていないのだから。
そして、アディメさん失踪を受けた勇者は、ホーラ国王にアディメさん捜索を打診し、王はそれを受諾。
勇者というものは一人で騎士団1つを動かせるらしい。国王は王都とその近辺の都市にホーラ王国第5騎士団を配置して、アディメさん捜索に力を入れている。
隣国と戦争中だと言うのに、随分力に余裕があるものだ。
「──ただいまー」
僕は一人で寮に帰り、そう呟く。
寮に一人で帰った時は、大抵寮のどこにも人がいないので返事は帰ってこないが、最近は違う。
「おかえりなさい」
部屋の奥の方から帰りの挨拶の返事が返ってきた。
耳を澄ませなければ聞こえないほどの小さな声だが、返事が返ってくるという物珍しさからか、つい耳に入ってきてしまう。
「大丈夫でしたか? アディメさん」
僕は壁に杖を立てかけて、地面に魔術書の入ったバッグを置くと、共用スペースの地べたに体操座りで座っているアディメさんにそう話しかけた。この寮は土足であるため地面は汚い。
「ええ、おかげさまで……」
アディメさんは、はにかみ笑いを浮かべながら読んでいた本を机に置いた。
「床に座らなくても……ソファに座ってもいいんですよ」
僕はそう言うが、アディメさんは、いえ、匿らせてもらっている身がそんなことは……。と遠慮をする。
この様子をフーリアさんのときも見た気がする。今思えば、あの人は常人よりも遠慮しがちな人だった。
先生は元気だろうか。
「もうしかして、寝るときもベッドじゃなくて地べたで寝てます?」
僕がそう言うと、アディメさんはアハハ……と曖昧な笑みを浮かべる。明言こそしていないが、その表情と朝の髪の乱れ方から彼女がベッドを使わずに寝ていることは明らかだ。
現状、アディメさんは僕がもと使っていた寝室を使っている。
他の寝室が汚すぎて、流石に女性を汚い部屋で寝かすのは駄目だろうと、僕が追いやられる形でそうなったのだ。
正直、ごわごわのソファで寝るのも、前世の会社での寝泊まりという懐かしい記憶が蘇るのでそれほど悪くはない。どんなに嫌な記憶でも、昔の事になると途端に懐かしくなる現象はなんだろうか。
「せっかく勇者の仲間と離れることができたんですから、ここではゆっくりと休んで良いんですよ」
それに、僕たちとしても床で寝られるというのは居心地が悪いからな。
「まま、座ってください」
僕はそう言ってアディメさんをソファに無理やり座らせる。
いえ、とか、そんな……とかをアディメさんは言っていたが、僕が「大丈夫大丈夫、座るだけだから、ね?」を繰り返していると、大人しく座ってくれた。
僕も彼女の反対側にある木製の椅子に腰掛けた。僕が椅子に座ると、椅子は軋んで不快な音を鳴らした。椅子もそろそろ新しいのを買わないとな。
「今日は何をして過ごしてたんですか?」
「今日は……剣の素振りをして、本を読んでいました」
なるほど素振りか。確かに適度な体力づくりは健康的にも精神的にも重要だもんな。特にこんな閉塞的な場所で暮らしていると、いやでも体を動かしたくなるだろう。
…………待て、素振り?
「えっ……ってことはもうしかして外に出たりしたんですか?」
僕が恐る恐るそう聞くと、アディメさんは某うさぎのキャラクターのように口を✕印のような形にしてコクリと頷いた。
「素振りの途中で人に見られたりしてませんよね?」
「それは……大丈夫なはずです」
良かった焦ったぁ……。
そういうのは本当に肝が冷えるから止めてほしい。
「あの……そういうことはできるだけ控えてください……」
「どうしてですか?」
「人に見られるのは色々とまずいからです。今度からは部屋の中で素振りをしてもいいですから……」
この際、寮が傷つく可能性ができるのは目を瞑ろう。
というか、僕たちが来る前から既に傷ついていたし、もうどうでもいいか。
「……? わかりました」
頭にハテナマークこそ浮かんでこそいたが、まぁ分かってくれたなら良いだろう。
「牛乳飲みます? 珍しく品質の良いものが安かったんですよ。その値段なんとフリル銀貨5枚! 破格だと思いません?」
僕はそう言って懐から牛乳の入った瓶を一本取り出した。
この世界で牛乳の低温殺菌法ができたのはつい5年前のことで、まだ世間的にも知られていない技術だからか、飲める味の良い牛乳というものは高い。フリル金貨1枚というのもザラにあるほどだ。
しかし、今まではチーズやバターを作るためのものだった牛乳が安全に飲めるというのは、元日本人としてはとても嬉しい。
「そ! そんな! いいです……私にはもったいない……」
うーん、どうしてもこの人は自己肯定感が低い。
別に飲んでもいいと言われたものは飲んでもいいのだが。
別段アレルギーというものでもなさそうだから、単に謙遜をしているのだろう。
「大丈夫大丈夫、飲むだけだから、ね?」
「いえ、ですから、その……」
「大丈夫大丈夫、飲むだけだから、ね?」
「その……」
「大丈夫大丈夫、飲むだけだから、ね?」
「えっと……じゃあ、頂きます……」
やはりこの方法が一番効果的だな。
欠点を挙げるとすれば、押し付けてる感が半端ないところぐらいか。
「美味しい……」
アディメさんはそう言って、牛乳をちびちびと飲む。大切そうに飲んでいるから、お世辞を言っているわけではなさそうだ。
今月の支給金以外の貯金である銀貨17枚を払った甲斐があったもんだ。また金欠だチクショウ。
しかし、一応安全ではあると思うのだが……お腹を壊してしまわないか少し心配である。
今のうちに治癒魔法の準備でもしとくか……?
幸いにもこの寮は汚すぎて虫がいっぱいいるからな。生贄が足りないことはないだろう。
僕がそう思ってアディメさんの方をちらりと見ると、彼女は泣いていた。
「ナンデ!? あ! お腹痛いんですか!? やっぱり牛乳が……」
僕は急いで杖を構え、周りに腹痛を和らげることができそうな生物を探す。
すると、アディメさんが泣きながらも僕に話しかけてきた。
「いえ、違うんです。こんなに優しくしてもらったのは初めてだから……」
アディメさんの泣き声が徐々に大きくなっていく。
ただ牛乳を飲ませただけなのに、こんなにも泣くものなのか……。
「……あっ、リー、バルト?」
気づかぬ内にハーミルくんが怖い顔をしながら部屋に入ってきていた。
アディメさんがお腹を壊したと思って杖を構えている僕と、顔を両手で覆って泣いているアディメさん。彼女の服は少しばかり乱れている。
何も事情を知らない人間から見ると、僕がアディメさんを杖で襲っているように見えるだろう。
しばらくは夕食抜きだなこりゃ。
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